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万平は神楽坂の頂上近く、3丁目にあった小料理屋です。戦後に建てた古い切妻の平屋のままで、入り口脇に歩道に傾いた柳の木がありました。
けやき舎の「神楽坂 まちの手帖」第12号(2006年、平成18年)の「あの頃の神楽坂」では
>>万平の柳は風流だったなあ。つい釣られて入っちゃうんだよね。
と回顧しています。これを少し掘り下げてみます。
昭和27年ごろ、「東京文学散歩」の写真では、すでに切妻の店が建っています。吊り看板は「鮨」で、後年のすき焼きとは違う名物だったようです。店頭には木が生えていますが種類は分かりません。
同じ昭和27年、ID 4793-4794でも確認できます。枝垂れているので柳のように思われます。
昭和28年、ID 99では木が歩道側に傾いている様子が確認できます。
昭和39年ごろ、ID 11では、すでに柳が屋根より高くなっています。
昭和52年、テレビ「気まぐれ本格派」では幹が太くなり、青々と茂った柳が確認できます。
ただ、この状態では歩行者の通行に支障が出かねません。おそらく定期的に枝打ちをしていたでしょう。同じドラマの中で、枝のない様子が確認できます。
少し前の昭和48年、ID 8806でも冬場の裸木になった柳が見て取れます。
昭和59年、『私説東京繁盛記』の写真では木が途中で切られています。苦情対策や、歩道を管理する区の指導であったかも知れません。
しかし写真を見ると、この時代の木は万平に限らなかったことが分かります。そのひとつが坂下の「紀の善の柳」です。
昭和28年頃、ID 5190では神楽小路から通り側に枝が伸びていることが確認できます。
昭和46年、『神楽坂の今昔』の写真では、2階屋根に届くほど育っています。
昭和52年、テレビ「気まぐれ本格派」でも、たびたび映っています。
万平の柳が印象的だったのは、古風な店構えや吊り行灯風の店名看板とよくマッチしていたからでしょう。でも、枝が伸びても手入れが十分でなく、幹が太くて邪魔だったから記憶に残ったのかも知れません。