文学と神楽坂
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 54は、昭和36年4月に神楽坂1~2丁目を撮ったものです。撮影の方向は、坂下から坂上です。街灯は昭和36~7年まで続き、鈴蘭の花をかたどった鈴蘭灯でした。電灯は1本あたり3個なので、よく見ると、かなりの電灯は壊れています。別に神楽坂通りに桃の造花がいくつもあります。コートを着た人はいますが、半袖の人はいません。
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 54 神楽坂入口から坂上方向
「神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂1~2丁目(昭和36年?) |
- 清水衣裳店
- 翁庵
- 桃の造花では?
- 甘味 桜井。1階ショーケースに
「お赤飯」
- 「生花 花 造花」「田口屋生花店」(果実店の萬屋販売所ではなくなっている)
- 山崎パンの配送車が停車中。反対側のヤマザキパンに行くところ
- 左側の田口屋生花の下で配送車の扉に隠れて「1日-15日 大東○ 百円」。おそらくクジのイベント。(100円買うと100万円当たる)
- 小栗横丁に通じる通り
- 電柱看板「森本不動産」。小栗横丁に入り1軒裏にあった。
- 田口屋生花店。丸い看板「花」
- 志満金
- 電柱看板「 ⚫大久保」。仲通りにありました。⚫は他の写真で「倉庫完備」
- 数軒して「タイヤモンド毛糸 大島糸店」
- 数軒があり「新古美術品店」か。将来は「松本商店」になる場所。
- 「ク」スリ
- 遠くに「(三菱銀)行」
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- 「ヤ」が見える。2階はニューマヤ美容室。1階の入り口にスタンド看板の価格表。コールド(セット■)1500 シャンプー100など。コールドパーマとは熱は使わず、代わりに薬剤を使用
- 1階は山田紙店
- 公衆電話
- 神楽堂。ヤマザキパン
- 神楽小路に行く小道があり、その上に「ダン(ス)⇒」がある。小柳ダンス
- BAR みなみ
- 志乃多寿し
- 山一薬品
- スタンド看板で「1日ー15日 大東京○○まつり 百万円」。下には「神楽坂○興○」。神楽坂通り商店会は、昭和41年まで「神楽坂振興会」でした。
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ID 48(昭和34年)と比べると、いくつかの場所が代わっています。左側は万屋販売所だったのから「生花 花 造花」となり、右側は「トリスバー」から「BAR みなみ」に代わりました。昭和35年の神楽坂三十年代地図では万屋が出ています。
1960年、62年は人文社「日本分県地図地名総覧」から。63年は住宅協会「全住宅案内図帳 新宿区」から。田口屋とbarみなみ