その「軽い心」と並んで目立つのは、「東京ワンタン本舗」のこれまた大きな看板である。中央線の車中から眺めている限りでは、神楽坂は「軽い心」と「東京ワンタン」に占領されているようでなんだか可笑しい。 |
ほんの一部ですが、「東京ワンタン」の大きな看板は今でも見ることができます。
Googleでも右図のように東京ワンタン本舗の看板は現在もあります。ただし、「ワ」と「東」だけしかわかりませんが…
神楽小路の中に進み、上を見ていると、「銀鈴会館」の上に、この看板が出てきます。
以上、報告でした。
その「軽い心」と並んで目立つのは、「東京ワンタン本舗」のこれまた大きな看板である。中央線の車中から眺めている限りでは、神楽坂は「軽い心」と「東京ワンタン」に占領されているようでなんだか可笑しい。 |
ほんの一部ですが、「東京ワンタン」の大きな看板は今でも見ることができます。
Googleでも右図のように東京ワンタン本舗の看板は現在もあります。ただし、「ワ」と「東」だけしかわかりませんが…
神楽小路の中に進み、上を見ていると、「銀鈴会館」の上に、この看板が出てきます。
以上、報告でした。
昭和45年、稲垣足穂氏が『海』に発表した「我が黙示録」です。ここでは「稲垣足穂全集10」(筑摩書房、2001年)から取っています。東京大空襲も、B-29爆撃機も、焼夷弾も、第二次世界大戦も、全くでていませんが、何が起こったのかは明らかです。
そんな冥界のやからでなく、又、アルコール幻覚でなく、私が曾て現実に見た最も華麗壮大な物象を御紹介したい―― 戦時中、牛込横寺町にいた頃だった。午後三時すぎだったろう。私は神楽坂上を矢来の方へ歩いていて、頭上におどろくべき景観を見た。雲のまんなかが開けて、そこが赤熱化した真鍮さながらに光り輝いているのである。それはあの〽妙なる恵みや天なる御門は、わがためひらかれたりとリフレーンの付いた、讃美歌を思い合わさせた。灼熱のふちを備えた天の門があいているのだった。 それから横丁へはいって、我が住いにいったん帰り、あの天の門がどうなったか見ようとして、それとも他に用事があったのか、もう一ペん矢来の通りに出てみた。 先刻の天の輝ける門は大きなのが一つ、その他に余り目立たない五ツ六ツがあったように憶えているが、それらが右の方へ向って、それぞれに光に縁取られた竜になって、編隊を組んで走り出していた。天の門は崩れておのおの竜形になっていた。これはあの玉を掴んでいるシナの竜では無い。キリンビールの商標に似た、馬形の火で竜であった……。 私はその見事さに呆れたように見上げていたが、気が付いて赤城神社境内の西に面した崖ぷちにまで出て、そこで釘付けになってしまった。 竜群は遠くへ飛び去ってしまった。入れ代って右手の遥か向うに、大斜面の上に載った、言語に絶する展望があった。 全体が青い、幾分ぼやけた色をした広大な斜面は、そのまま大都の遠望であった。それは只の都市ではない。無限に見える傾斜面には、黄金の塔や銀の橋や宝石作りの家々が立ち詰っているように見えた。私が立ちつくしていた小一時間のあいだ、その不思議な都は少しずつ右へずれているようであったが、大体として形はくずれなかった。ド・クインシーはその著『英国阿片吸飲者の告白』の中で、アヘンの夢に見た都会を挙げ、あんなものは時たまの夢の中でしか見られない。自分の下手な文章では却ってぶち毀しだと云って、その代りとしてコールリッジの詩を引用している。星々が燦めき、揺れ動く不安な空をバックにしたおどろくべき宮殿風城塞の描写なのである。私はこの都を表現するのに、さしずめ黙示録第二十一章にある所を引く以外はない―― 「都は清らかなる玻璃のごとき純金にて造れり。都の石垣の基は、さまざまの宝石にて飾れり。第一の基は碧玉。第二は瑠璃。第三は玉髄。第四は緑玉。第五は紅縞瑪瑙。第六は赤瑪瑙。第七は貴橄欖石。第八は緑柱石。第九は黄玉石。第十は緑玉髄。第十一は青玉。第十二は紫水晶なり。十二の門は十二の真珠なり。おのおのの門は一つの真珠より成り、都の大路は透徹る玻璃のごとき純金なり。われ都の内にて宮を見ざりき。主なる全能の神および羔羊はその宮なり。都は日月の照らすを要せず、神の栄光これを照し、羔羊はその灯火なり。諸国の民は都の光のなかを歩み、地の王たちは己が光栄を此処に携えきたる。都の門は終日閉じず(此処に夜あることなし)」 |
2018年にできたのがこの神楽小路から横に入っていく道の石畳。店舗は2018年11月9日にできました。
神楽坂ビストロ&カフェ フロマティックといい、ラリアンスグループがつくっています。パンとワインとラクレットチーズが得意です。
昔はここには石畳はなく、アスファルトでした(下図)。
ここは神楽坂1丁目ではなく、2丁目に当たります。石畳は私道です。
以前はまったく変哲もない道でした。それが変わります。少し変わったときにGoogleでは写真を撮っています(360度のGoogleの写真。右図はその一部)。左側には薄朱色の壁がありますが、石畳はまだありません。昔の店舗は「神楽小町」でした。
現在(2018年11月)は、こんな道と右側に新店舗ができています。
また、突き当たりから入口にむけて撮ると、反対側は立派な黒塀に変わっています。
明治43年8月12~13日、森田草平氏は牛込矢来町62番地に転居、さく女史と家庭生活に入りました。女史は藤間勘次といい、藤間流の日本舞踊の先生でした。
実は2年前の明治41年3月、氏は心中未遂事件を起こしています。明治40年4月、天台宗中学の英語教師になり、さらに6月、閏秀文学界の講師となり、ここで、平塚明(明子、らいてう、雷鳥)女史を聴講生として知ります。二人の中は急速に進展し、明治41年3月、塩原尾頭峠で、平塚明子女史と心中未遂の塩原事件を起こしています。
明治42年1月1日~5月16日、氏は朝日新聞にこの事件をモデルにした「煤煙」を連載します。ここでは、最後の数部分を読んでみます。なお、この出典はおおむね「日本現代文学全集41」(講談社、昭和58年)でありますが、さらに必要があれば国立国会図書館の「煤煙」(如山堂、大正2年)を借りています。
女は包を解いて、手紙の束を雪の上へ投出した。その上へウィスキイの殘りを注ぐ。男は踞がんで燐寸を擦つた。小さな靑い火がぼぼと燃えて、その儘すうと煙を出して消えた。二たび擦る。燐寸が半ばから折れた。三たび、四度目に燃え上つた。男の戀を連ねた文字が燃える。黑く燻つて消えようとしては、又ぶす/\と燃え上つた。
要吉はそれを見詰めてゐた。眼も離さず見詰めてゐた。いよ/\黑い灰となつて仕舞つたのを見濟まして、不圖女をかへり見たが、自分の顏に泛んだ失望の色が自分の眼にも見えるやうな氣がした。 俄に山巓からどつと風が落ちて來た。灰を飛ばし、雪の粉を飛ばし、われも人も吹飛ばして仕舞ひさうな。二人は犇と相抱いた。風は山を鳴らして吹きに吹く。 「死んだら何うなるか、言つて、言つて。」 女は男の腕を掴んで、嗄れた聲に叫ぶ。 「言つて、言つて。」 「私には――言へない。」 女は凝乎と男の顏を見守つてゐる。それを見ると、男の心には又むら/\と反抗心が起った。生きるんだ、生きるんだ、自分は何處迄も生きるんだ。 つと内衣嚢から短刀を取出して、それを握ったまゝ立上った。女はその氣色を見て、 「何うするんです」と、突走るやうに訊く。 あなやと言ふ間もなく、要吉は谷間を目蒐けて短刀を投げた。 「私は生きるんだ。自然が殺せば知らぬこと、私はもう自分ぢや死なない。貴方も殺さない。」 二人は顔を見合せたまゝ聲を呑んだ。天上の風に吹き散らされて、雲間の星も右往左往に亂れて、見えた。女は又叫ぶ。 「歩きませう、もつと歩きませう。」 「うむ、歩きませう。」 二人は雪明りをたよりにして、風の中を行く。風のために雪が氷り始めたやうだ。只、その上層を破れば、底迄踏み込まずには置かない。やっと半町程進んだ時、ばたりと背後で倒れる音がした。朋子は崖を踏み外したまゝ、聲も立てずにゐる。遽てて、それを引上げようとして、一緒にずる/\と摺り落ちた。三間ばかり落ちて行つたが、危く雪の洞に引かゝつた。 二人は折重なつたまゝ動かなかった。だん/\風の音も遠くなるらしい。要吉は腹の辺りから冷たい水が沁み込んで来るのを覚えながら、ついうと/\とした。その後は何うなつたか知らない。 不圖、誰かに喚び起されるやうな氣がして眼を開いた。朋子が凝乎と自分の顔を見守つてゐる。「ね、歩きませう、もつと歩きませう。」 女は急に男の手を持つて、同じ事を繰返した。 要吉は默つて立上つた。見返れば、月天心に懸つて、遠方の山々は宛ら太洋の濤がその儘氷つたやうに見えた。わが居る山も、一面に雪が氷つて、きら/\と水晶のやうな光を放つた。あゝ氷獄!氷獄! 女の夢は終に成就した。到頭自分は女に件れられて氷獄の裡へ來た。――男の心には言ふべからざる歡喜の情が湧いた。最う可い、もう可い! 二人は手を取合つたまゝ、雪の上に坐ってゐた。何にも言ふことはない! 二人は又立上った。堅く氷つた雪を踏みしだきながら、山を登つて行く。 山巓も間近になつた。 だん/\月の光がぼんやりして、朝の光に變つて行く。 (明治42年1月~5月「朝日新聞」)
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不図 ふと。不斗。思いがけなく、突然起こる。不意に。これといった理由や意識もなく、物事が生じる。
泛ぶ うかぶ。浮かぶ。奥に隠れていたものが表面に現れる。
山巓 さんてん。山巓。山顚。山のいただき。山頂。
犇と ひしと。ぴったりと密着する。
つと ある動作をすばやく、いきなりする。さっと。急に。
内かくし 内隠し。洋服の内ポケット。うらかくし。
突走る つっぱしる。突っ走る。勢いよく走る。まっしぐらに進む。
あなや ひどく驚いた時に発する語。あっ。あれっ。
上層 じょうそう。層をなして重なっている物の上の方の部分。
遽てて あわてる。うろたえる。急いで…する。
摺る する。こする。印刷する。
天心 てんしん。空のまん中。中天。
氷獄 読みは「ひょうごく」(国立国会図書館「煤煙」から)。この言葉は本来ありません。勝手に作ったのでしょうか。なお「八寒地獄」は、寒冷に責められる地獄のこと。
裡 り。うら。うち。物のうらがわ。なか。内部。
それから約1年後、氏は藤間勘次女史と矢来町62番地で夫婦関係になりました。
遠藤登喜子氏は『ここは牛込、神楽坂』第6号の「懐かしの神楽坂 心の故郷・神楽坂」で書き
勘次師は、二代目藤間勘右衛門(後の勘翁)の門弟で、三代目勘右衛門、後の初代勘斎(松本幸四郎)は先代市川團十郎、松本白鴎、尾上松緑三兄弟の父君です。勘次師は、また作家の森田草平先生の奥さまで、花柳界のお弟子は全く取らず、名門の子女が多く、お嬢さま方がそのころ珍しかった自家用車に乗り、ばあやさんをお供にお稽古に来ておられました。 藤間のお三方のご兄弟ももちろんこの頃は若く、踊りの手ほどきを勘次師にしていただくためよく来られました。私はまだ小学生で、時々お稽古場で豊(松緑)さんと顔が会うと、住まいが同じ渋谷だったので、お稽古の後、付人のみどりさんという若い男の子と三人で神楽坂をぶらぶら歩いて、よく履物の助六の下にあった白十字でアイスクリームなどをごちそうになったものです。 |
下の地図で二人が住んだ矢来町62番地は赤い多角形で書きました。