ID 12215とほぼ同じ場所で、道を渡った高速の真下から道沿いの建物を撮影したものです。 建設中の坂道が、飯田橋料金所に上がる首都高のランプ。その手前の坂のように見えるのは目白通りの上り車線です。一番右にガードレールが見えます。 この区間は神田川の「江戸川橋分水路」建設のため通行止めになっています。一番、奥に工事車両が見えます。その先は新白鳥橋に分岐する交差点があります。 道路脇の建物は新小川町で、出光とロゴマーク()と看板「全軽和」、ナショナル(現、パナソニック)のロゴマーク()などが見えます。「全軽印」の看板のビルの左は東京電力新小川町変電所で、現在も変わりません。その左側の消火栓広告は「きもの英」です。
ID 8267と8286は飯田橋駅のホームの市ヶ谷側、西口に向かうスロープの下から撮った写真です。正面の橋は牛込橋で、写真説明にある「飯田橋」は写っていません。線路は中央・総武線1番線で、新宿駅方面から御茶ノ水駅方面に乗客を運びます。 右下は飯田濠ですが、この頃、悪臭に悩んでいて、アオコもありました。また建物については……
ID 652とID 12102は東口構内の写真です。現在は「東口コンコース階」といいます。 天井の電光パネルは「国鉄きっぷうりば/TICKETS/→」「ご案内/国鉄450円までのきっぷは/自動きっぷうりばでお求めください/520円以上のきっぷは窓口でお求めください」「自動/き(っぷうりば)」「定期券・回数券はこの先を/左に曲って5番窓口(へ)/(お回りください)↑」「450円/220円」 下部はポスターなどを貼った立て看板が構内を区切っています。「みどりの窓口/駿台電算専門学校」「(こんに)ちは幸せさん」「旅先でこまったら 旅行者援護所/いい旅。/東京YMCA国際ホテル学校」「青梅鉄道公園/経理専門学校4月生募集中 簿記 税理士 公認会計士/東京C.P.A.専門学院」「周遊指定地のご案内/安房白浜・外房海岸/鴨川加入者ホーム/旭簡易保険保養センター/潮来簡易保険保養センター」 左奥に「禁(煙)/タイ(ム)/朝8:00-9◯/夕17:00-18◯」
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12103 飯田橋駅 ガード下
ID 12103は飯田橋駅ガード下の写真です。ガードの向こうには千代田区飯田橋四丁目の南東部で「きそば」と「中村屋」の看板が見えます。ガード内には駅名板「飯田橋駅/IIDABASHI STATION」があり、右には東口の入り口があり、看板は「UC(C) コーヒ(ー)/空缶は空缶(入れに)/コーヒー」。
夏目漱石のお孫さんと結婚した 本当かどうか、わかりませんでした。 外国で宣伝した Margaret Price著「Classic Japanese Inns and Country Getaways(日本の宿)」(講談社、1999年)。全て英語で書いてあります。 日本の宿50選 国立国会図書館、新宿区立図書館、アマゾンで「日本の宿50選」は見つかりませんでした。
手水舎の裏に御供水が見えます。「ごくうすい」「おこうすい」と読むようです。御供水とは神仏に供える水のこと。八角形の石とフタからできていて、新宿文化観光資源案内サイトでは天保5年(1834)8月に奉納されたのこと。 ID 14157の陰刻とは文字や模様をくぼませた彫り方。ID 14157の真ん中に「川喜田新右ェ門」という陰刻があります。また文政10年(1827年)に提出した「牛込町方書上」では神楽坂5丁目と6丁目の間に川喜田屋横丁があって「川喜田屋久右ェ門」がそこに住んでいたといいます。この2件は7年しか離れていないし、2人はなにか関係があれば面白いと思います。また、ほかの氏名でも「〇〇屋」が多く、奉納する人は商人が多かったことがわかります。
ID 8255について、左手には神輿を格納する神輿庫。その奥には見えないが純米大吟醸「白鷹」の積み樽。明治19年、神楽坂の酒問屋・升本総本店の店主、升本喜兵衛は倉庫に白鷹を発見し、神楽坂の料亭などで広く販売しました。 境内に駐車車両。筑土八幡の表参道は石の階段。しかし、正面左手の裏参道では車は通行可。 正面は玉垣と拝殿。玉垣の石柱には寄進者の名前が刻まれています。拝殿は昭和20年の戦災で焼失しましたが、昭和38年、氏子の浄財で再建。拝殿前には1810(文化7)年に奉納された狛犬2匹。左は口を閉じた吽形、右は口を開いた阿形の狛犬。 右には社務所。その前に見えませんが、神楽を奏する神楽殿。これも見えない宮比神社。注連縄をかけた銀杏が見え、前にある百度石は百度参りをする時に標識する石。またも見えない庚申塔。右で見切れている手水舎の一部。一番手前は古札などの「お焚き上げ」用ドラム缶。古札は初詣の参拝者が納めることが多いので、正月明けの撮影でしょうか。 ID 8256は庚申塔。目黒区「歴史を訪ねて 目黒の庚申信仰」は、「庚申信仰は暦のうえで、60日ごとにある庚申の日に行われる信仰行事で、中国の不老長寿を目指す道教の教え(中略)。人の体内には、三尸と呼ばれる虫がいて、庚申の日の夜、人が眠ると、この虫が体内から抜け出し、その人の行状を天帝に知らせに行く。知らせを受けた天帝は、行いの悪い人の寿命を縮めてしまうというのだ。そこで、長生きしたければ、三尸の虫が天帝の元へ行かないように、庚申の日は、一日中眠ってはならない。この教えが、庚申信仰へとつながっていった」。この庚申塔では、猿1匹は桃の実を取り、別の1匹は手に持っており、下に男女名10人が刻まれていました。