2018年10月29日(月)、モンテネグロ・コトルに。
コトル湾の一番奥にコトルがある。
船外のテラスカフェ。オーシャニアのPRで使う写真
530、起床。同じ11階にあるラウンジからコーヒーをもらってくる。船内新聞『Currents』ではコトルの歴史など。
700、オープンエアのテラスカフェで食事。右の写真はオーシャニア会社がだしている写真。この日は雨が降りそうな天気だったので、覆いの傘はなかった。
800、妻はモーニングヨガと、830、ピラティス。ヨガはインドから来た修行・治療法、ピラティスはリハビリから来た深層筋トレーニングだそうです。
840、アドリア海からコトル湾に入ると、波が静かになり、海面は鏡のように……とまではいかないけれど、小さいさざ波だけになる。また、コトル湾を囲む山の色がとても白い。どうもこれは石灰岩ではないかと疑う。
アドリア海から
コトル湾に
コトル湾の写真で出ているが、魚の養殖場があった。この魚はインターネットで調べて和名で書くと、ゴウシュウマダイ(gilthead seabream)かヨーロッパスズキ(European seabass)だという。
コトル湾を渡るだけで3時間ぐらいかかる。1200、着岸するとすぐに町に出る。町に入る前に観光勧誘する人が非常に多い。入口の脇には観光案内所もある。ここで地図をもらったが、巨大な地図。教会や要塞の名前は日本で使う名前とは相当違う。
コトル地図
1番に「海の門、西門、1555年」と書いてある。1555年につくられた「海の門」または「西門」という意味。
下の写真で一番高いところに旧ユーゴスラビアの国章。その下の文言は「Tuđe nećemo, svoje ne damo、Tito」で、これはbunbunさんによれば「他人が有する物を我々は欲せず、我々が有するものはけっして与えない」という言葉。当時、チトーなどの政治家たちが共通に使ったスローガン。さらにその下の「21-XI-1944」は1944年11月21日で、コトル町がムッソリーニから解放された日。
観光案内所(左上端)、Clock Tower(左上), Pima Palace(真ん中), St. Tryphon Cathedrale (右下)
で、いよいよ中に入ってみると、最初に目につくのは44番の「町の時計塔、1602年」(Clock Tower)。時計塔の前の四角錐は「恥の柱」で、罪人を縛り付けるために使用したもの。
時計塔
37番は「プリマ宮殿、17世紀」。英語はPima Palaceなので、少し混乱。プリマ家は14~17世紀の名家。
21番は「聖トリファン大聖堂、1166年」(St. Tryphon Cathedral)で、ロマネスク様式のカトリック教会。ロマネスク建築とは、ゴシック建築以前、つまり西暦1000年から1200年までの、中世西欧の建築様式。ロマネスクとは「ローマ風の」という意味。
聖トリファン大聖堂
聖トリファン大聖堂の内部。露光の関係で日は強いように見えるが、本当はもっとうす暗い。
23番の「聖ルカ教会」が普通だけど、まあ観光案内所を正しいとして「聖ルーカ教会、1195年」は、ロマネスク様式とビザンチン建築の両方の特徴を併せ持つ教会。昔はカトリック教会。1657年からは正教会。
聖ルーカ教会
22番は「聖ニコラス教会、1909年」は、1909 年に建てられた新しい教会。
聖ニコラス教会
聖ニコラス教会
1300、武器広場(Trg od Oružja)で食べようと思ったが、ハンバーガーやピザで1人で€15する。またも船で昼食。ウェーブズグリルで。
妻はドゥブロブニクに行くのにはどうするの、と11階のコンシェルジュに聞く。
1700、カナッペが来る。野菜サモサと、甘いサンドイッチ。
1830、さて、アジア料理の「レッドジンジャー」は結構よかった。各種のアジア料理と思っていたが、そうではなく、真のアメリカ料理、あるいは、アメリカ人が考えたアジア風の料理。好きな箸を選べる、圧縮おしぼりに水を加えると膨らむ、鉄瓶でお茶をいれる、突き出しはアメリカで大人気の枝豆、などは、いかにもアメリカ人らしい。本当の日本料理はありません。
私たちが頼んだものは
Chicken Satay (鳥のサテ)
Vietnamese Summer Rolls (ベトナムの生春巻)
Skewers, Sushi, Tempura (串焼き、寿司、天ぷら)。
寿司は巻き寿司。天ぷらではなく、フリッター
ベトナムの生春巻
Avocado lobster salad(サラダ)
Lobster Pad Thai(ロブスター入りの焼きそば)
Beef teriyaki(牛の照り焼き)。
美味しいけど、照り焼きではない。ゆずがはいっている?
牛の照り焼き