「新宿郷土研究」第5号(新宿郷土研究会、昭和41年)に「郷土落穂集」という多分事実を集めたものがあります。どこかに原典があるはずです。たとえば「牛込区史」、各種新聞の縮刷版などです。事実1件は部分的にはわかっています。あと1件は残念ながらわかりませんでした。では「郷土落穂集」です。
郷 土 落 穂 集 ・避病院第1号と牛込衛生会 牛込には、中川忠純を会長とする牛込衛生会というのがあった。これによって、明治19年(1886)全国的に流行したコレラ病の発生に際して、升本喜兵ヱら9氏が共同病院設立委員になって建設に活躍したものである。この結果区内78カ町のうち43カ町の賛同、625円の寄附金によって弁天町132番地いまの団地アパート附近に平屋カヤぶきの共同病院を設立したのである。これにコレラ病の患者を多数収容して、伝染病の予防に貢献をしたのであるが、明治27 年(1894)2月廃止したのである。 |
なお前記の共同病院に関しては、左記の記録がある。
一、建 設 明治19年。
一、建設地 弁天町134番地。
一、建設費 1620円66銭は区内43ヶ町1901戸より寄附。
一、地所坪数 634坪。
一、建 坪 90坪6合5勺。(十畳室四、三畳室十二、湯殿二、物置二、死亡室一、渡り椽9坪5勺)
一、処分 明治27年売却。(此金額717円88銭)
本会は本区内の衛生の普及を図る目的で、以内居住者及び関係者を以て組織し、毎月十銭を年二回に拠って出する者を通常会員とし、一時に十円以上醵出する者を終身会員とし、別に会長の推薦による特別会員の定めがある。 |
なお、「牛込区史」と「郷土落穂集」では建設地(弁天町132番地対134番地)と建設費(625円対1620円)の点で違っています。多分「牛込区史」が正しいと思います。
避病院 ひびょういん。伝染病患者を隔離収容した病院。伝染病法は平成11年(1999)に廃止し、感染症法に変わった。感染症法の避病院もなくなった。
中川忠純 東京府組織で第4期(明治16年8月8日から20年9月7日まで)の牛込区長は中川忠純氏でした。
渡り椽 渡り縁。母屋と離れを繋ぐ渡り廊下
※矢来の酒井邸の爆裂 この間『東京新聞』(9月8日付)の「幕末の東京」に淀橋水車小屋の爆発事件を取りあげていたが、牛込矢来の酒井邸の爆裂事件は書かれていないので誌してみよう。 嘉永6年(1853)6月米国使ペリー浦賀に来たるの報は、太平の夢を破った。これより先幕府は急遽海防をゆるがせにできぬとあって、西洋式の火薬の製造を始めた。 牛込矢来下の酒井修理太夫の下屋敷においても、火薬を製造中、水車の心棒の過熱で大爆発を起し、これに従事した者の手足が、往来まで飛び散るという大惨事があった。こうした事故は、技術の未熟から新宿区内では、淀橋、他区では、板橋、世田ガ谷にも時を前後して同様な大爆発事件があった。黒船到来ということで、いかに当時幕府が、あわてたかを物語ることができよう。 |
依然原典は追及中。「牛込区史」や新宿歴史博物館の「酒井忠勝と小浜藩矢来屋敷」(平成22年)ではありませんでした。
爆裂 爆発して破裂すること。
9月8日 多分、昭和41年