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神楽坂七不思議|泉鏡花

文学と神楽坂

 明治28年、泉鏡花氏の「神楽坂七不思議」です。これと地図や番地と比べてみます。

神樂坂(かぐらざか)(なゝ)不思議(ふしぎ)

なか何事なにごと不思議ふしぎなり、「おい、ちよいと煙草屋たばこやむすめはアノ眼色めつき不思議ふしぎぢやあないか。」とふはべつツあるといふ意味いみにあらず、「春狐子しゆんこしうでごす、彼處あすこ會席くわいせき不思議ふしぎくはせやすぜ。」とふもやうひねのなり。ひとありて、もし「イヤ不思議ふしぎね、日本につぽん不思議ふしぎだよ、うも。」とかたらむか、「此奴こいつ失敬しつけいなことをいふ、陛下へいか稜威みいづ軍士ぐんし忠勇ちうゆうつなアおめえあたりまへだ、なに不思議ふしぎなことあねえ。」とムキになるのはおほきに野暮やぼ號外がうぐわいてぴしや/\とひたひたゝき、「不思議ふしぎ不思議ふしぎだ」といつたとてつたが不思議ふしぎであてにはならぬといふにはあらず、こゝの道理だうり噛分かみわけてさ、この七不思議なゝふしぎたまへや。

眼色 目つき。物を見るときの目のようす。また、普段の目の表情。
春狐子 「春狐」は人の名前で、誰かは不明。泉鏡花だとも。子は「名前の下に付けて親しみか、自分の名には、卑下する意味」。
会席 日本料理の形式の一つ。江戸時代以降に発達した酒宴の料理。現在では日本料理の主流に。
捻る いろいろと悩みながら考えをめぐらす。わざと変わった趣向や考案をする。苦心して俳句や歌などを作る。
勝つ 日清戦争で勝ったこと。両国が朝鮮の支配権を争ったのが原因に。
稜威 天子の威光。御厳(みいつ)

東西とうざい最初さいしよきゝたつしまするは、
しゝでらのもゝんぢい。」
これ弓場だいきうば爺樣ぢいさんなり。ひとへば顏相がんさうをくづし、一種いつしゆ特有とくいうこゑはつして、「えひゝゝ。」と愛想あいさうわらひをなす、其顏そのかほては泣出なきださぬ嬰兒こどもを――、「あいつあ不思議ふしぎだよ。」とお花主とくい可愛かはいがる。
次が、
勸工場くわんこうば逆戻ぎやくもどり。」
東京とうきやういたところにいづれも一二いちに勸工場くわんこうばあり、みな入口いりぐち出口でぐちことにす、ひと牛込うしごめ勸工場くわんこうば出口でぐち入口いりぐち同一ひとつなり、「だから不思議ふしぎさ。」といてればつまらぬこと。
それから、
藪蕎麥やぶそば青天井あをてんじやう。」
下谷したや團子坂だんござか出店でみせなり。なつ屋根やねうへはしらて、むしろきてきやくせうず。時々とき/″\夕立ゆふだち蕎麥そばさらはる、とおまけはねば不思議ふしぎにならず。

東京実測図。明治18-20年。地図で見る新宿区の移り変わり。昭和57年。新宿区教育委員会。獅子寺は赤い丸。

しし寺 獅子寺。通寺町(現在の神楽坂六丁目)にあった曹洞宗保善寺のこと。江戸幕府三代将軍である徳川家光が牛込の酒井家を訪問し、ここに立寄り、獅子に似た犬を下賜しました。以来「獅子寺」と呼んでいます。明治39年、保善寺は中野区上高田に移転しました。
弓場 弓の稽古場。
顔相 占いで、顔の外面に現れた運勢・吉凶のきざしを見ること。
花主 こう書く熟語はありません。「得意」は「いつも商品を買ってもらったり取引したりする相手、顧客、お得意、親しい友」。「花」は花のように美しいもの。「主」は一家の長、主人。
勧工場 かんこうば。明治・大正時代、一つの建物の中に各種商店が連合して商品を陳列し正札販売した一種のマーケット。「牛込勧工場」は六丁目にあり、現在はスーパーの「よしや」
逆戻 再びもとの場所・状態に戻ること。
藪蕎麦 今は神田、浅草、上野が「藪そば」の御三家。神田藪の本家がここ団子坂にありました。神楽坂の場所は不明ですが、岡崎弘氏と河合慶子氏は『ここは牛込、神楽坂』第18号の「遊び場だった『寺内』」の図で明治40年前後の肴町のソバヤ(図の中央)を書いています。ここでしょうか。
青天井 青空。空。空を天井に見立てていう。
下谷 上野駅を中心とした地域で、1878年(明治11)、下谷区が成立。1947年(昭和22)、浅草区と合併して台東区に。
団子坂 文京区千駄木町二丁目と三丁目の境にある坂道。明治時代、坂の両側に菊人形が展示、東京名物の一つに。
攫う 掠う。さらう。油断につけこんで奪い去る。気づかれないように連れ去る。その場にあるものを残らず持ち去る。
 

奧行おくゆきなしの牛肉店ぎうにくてん。」
いろは)のことなり、れば大廈たいか嵬然くわいぜんとしてそびゆれども奧行おくゆきすこしもなく、座敷ざしきのこらず三角形さんかくけいをなす、けだ幾何學的きかがくてき不思議ふしぎならむ。
島金しまきん辻行燈つじあんどう。」
いへ小路せうぢ引込ひつこんで、とほりのかどに「蒲燒かばやき」といた行燈あんどうばかりあり。はややつがむやみと飛込とびこむと仕立屋したてやなりしぞ不思議ふしぎなる。
菓子屋くわしや鹽餡しほあんむすめ。」
餅菓子店もちぐわしやみせにツンとましてる婦人をんななり。生娘きむすめそでたれてか雉子きじこゑで、ケンもほろゝ無愛嬌者ぶあいけうもの其癖そのくせあまいから不思議ふしぎだとさ。
さてどんじりが、
繪草紙屋ゑざうしや四十しじふ島田しまだ。」
女主人をんなあるじにてなか/\の曲者くせものなり、「小僧こぞうや、紅葉さん御家へ參つて……」などと一面識いちめんしきもない大家たいかこえよがしにひやかしおどかすやつれないから不思議ふしぎなり。
明治二十八年三月

辻行灯

いろは 昔は牛肉店「いろは」でした。現在は神楽坂6丁目2の駐車場です。
 単に
大廈 たいか。大きな建物。りっぱな構えの建物。
嵬然 かいぜん。高くそびえるさま。つまり、外から見ると大きな建物なのに、内部は三角形で小さい。
辻行燈 江戸時代、辻番所の前に立ててあった灯籠形の行灯
仕立屋 「神楽坂通りの図。古老の記憶による震災前の形」では「洋服・八木下」と書いてあります。この時は「島金」(現、志満金)は小栗横丁(鏡花横丁)にでていました。
菓子屋 菓子屋は1~3丁目だけでも9店がありました。不明です。
塩餡 塩で味をつけた餡
雉子の声 雄の雉は春になると「けんけん」と甲高く鳴いて雌を呼びます
曳く 物に手をかけて近くへ寄せる。無理について来させて、ある場所に移動させる。
けんもほろろ 「けん」「ほろろ」はともに雉の鳴き声。頼みや相談などを、冷淡に断ること。
絵草紙 挿絵を多く入れた大衆向けの読物。絵草紙屋(京屋)は大久保通り西側にある神楽坂5丁目にありました。また、絵葉書屋は3丁目北側最西部(開成堂)にありました。
島田 島田まげ。未婚の女性の髪形の1つ。
曲者 一筋縄ではいかない人。ひとくせある人。
ひやかす 相手が恥ずかしがったり当惑したりするような冗談を言う。からかう。
気が知れない 相手が何を考えているのかわからない。相手の考え・意図が理解できない。
   

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故郷七十年|柳田国男

文学と神楽坂

 柳田国男氏に「故郷七十年」(神戸新聞、1958年)という本があります。民俗学が絡んだ自叙伝の本ですが、森鴎外尾崎紅葉などは普通に書き、しかし、泉鏡花については、かなり大胆な書き方をしています。以下は『定本柳田國男集 別巻3』に出ていた「泉鏡花」です。ちなみに柳田国男の生年は明治8年、泉鏡花は明治6年です。

 「故郷七十年」の1は、泉鏡花、2は自然主義小説について、3は30歳代に住んでいた加賀町、4は河童についてです。

  柳田国男は民俗学者で、市谷加賀町柳田家(よう)嗣子(しし)(民法旧規定で、家督相続人となる養子)として入籍し、結婚しています。

   泉鏡花

 星野家の天知夕影の兩君と、妹のおゆうさんとの住居は日本橋にあつた。中庭のある變つた家で、すぐそばに平田禿木も住んでいた。おゆうさんはどちらかというと、兄の友人などからちやほやされることに、意識的な誇りを覺えるというやうな型の婦人だったやうに思う。後に吉田賢竜君の所へ嫁いだ。
 吉田君は泉鏡花と同じ金澤の出身だつたので、二人はずゐぶんと懇意にしてゐた。よくねれた溫厚な人物で、鏡花の小説の中に頻々と現はれてくる人である。私が泉君と知り合ひになるきつかけは、この吉田君の大学寄宿舎の部屋での出來事からであつた。
 大學の一番運動場に近い、日當りのいゝ小さな四人室で、いつの年でも卒業に近い上級生が入ることになつてゐた部屋があつた。空地に近く、外からでも部屋に誰がゐるかがよく判るやうな部屋である。その時分私は白い縞の袴をはいてゐたが、これは當時の學生の伊達であつた。ある日こんな恰好で、この部屋の外を通りながら聲をかけると、多分畔柳芥舟君だつたと思ふが、「おい上らないか」と呼んだので、 窻に手をかけ一気に飛び越えて部屋に入つた。偶然その時泉君が室内に居合せて、私の器械體操が下手だといふことを知らないで、飛び込んでゆく姿をみて、非常に爽快に感じたらしい。そしていかにも器械體操の名人ででもあるかのやうに思い込んでしまつた。泉君の「湯島詣」という小説のはじめの方に、身輕さうに窓からとび上る 學生のことが書いてあるが、あれは私のことである。泉君がそれからこの方、「あんないゝ氣持になった時はなかつたね」などといってくれたので、こちらもつい嬉しくなつて、暇さえあれば小石川の家に訪ねて行つたりした。それ以来、學校を出てから後も、ずつと交際して来たのである。
 鏡花は小石川に住む以前、牛込横寺町尾崎紅葉の玄關番をしばらくしてゐた。しかし誰でも本を出すやうになると、お弟子でも師匠から獨立するのが一般のしきたりになっていたやうだ。ことに泉君は何となく他の諸君に対する競争心があって、人からあまりよく思われないやうな所があつた。
 酒を飮むにしてもまるで古風な飮み方をするし、あとの連中はまあ無茶な遊び方が多かった。そのいちばんの巨魁小栗風葉で、この連中は「あゝ、僞善者奴が」と泉の惡口をいうものだから、しまいには仲間割れがしてしまつた。
 同じ金澤出身の徳田秋聲君などともあまりよくなく、徳田君の方で無理してつき合っているような様子がうかがえた。徳田君は外國語の知識も若干あつたが、泉君の方は、それは昔風で、たゞ頭がいゝから、他人が譯した外國のものなども、こつそり讀んでいたやうである。いろ/\なことがあつたが、私にとっては生涯懇意にした友人の一人であつた。

とび上る学生 泉鏡花作の『湯島詣』から取った、部屋の外から中に一気に飛び込む場所です。

(にぎや)かだね、柳澤(やなぎさは)、」と(まど)(した)園生(そのふ)から(こゑ)()けたものがある。
        二
 一番(いちばん)(まど)(ちか)柳澤(やなぎさは)は、亂暴(らんばう)(むね)(そら)して振向(ふりむ)いたが、硝子(がらす)(ごし)(した)(のぞ)いて()て、
龍田(たつた)か。」
(たれ)()()るかい。」
根岸(ねぎし)新華族(しんくわぞく)だ、(はひ)れ。」と()つて()(なほ)る。
 同時(どうじ)に、ひよいと(まど)(ふち)()(かゝ)つた、飛附(とびつ)いて、(その)以前(いぜん)器械(きかい)體操(たいさう)()らしたか、()(かる)さ、(かた)()()げて(しつ)(なか)に、()()瀟洒(せうしや)なる(かほ)()したのは、龍田(たつた)()若吉(わかきち)といふのである。
 (あづさ)()(ゑみ)(ふく)み、
堪忍(かんにん)してやれ、神月(かうづき)はもう子爵(ししやく)ぢやあない。」といひながら腕組(うでぐみ)をして外壁(そとかべ)附着(くツつ)いたまゝで()る。柳澤(やなぎさは)椅子(いす)をずらして、
「まあ(はひ)れ、丁度(ちやうど)()い。(いま)其事(そのこと)()いて、神月(かうづき)問題(もんだい)といふのをはじめた(ところ)だ。一寸(ちよつと)(その)休憩時間(きうけいじかん)よ。神月(かうづき)(ひど)辯論(べんろん)(きう)して、き(さま)()るのを()つて()たんだぜ、龍田(たつた)()たらばツて()ういつてな。」

天知 星野天知。ほしのてんち。評論家。小説家。帝大農科大学卒。1887年平田禿木らと日本橋教会で受洗。明治女学校で教鞭を取り、1890年『女学生』を創刊、主筆に。26年、北村透谷らと「文学界」を創刊。のち書道研究に没頭。生年は文久2年1月10日、没年は昭和25年9月17日。享年は満88歳。
夕影 ほしのせきえい。建築家。帝大建築科卒。「文学界」同人となって雑誌経営の実務を担当。大卒後は内務省技師。日光東照宮の修復などに携わった。生年は明治2年11月8日、没年は大正13年3月19日。享年は満54歳。
頻々 ひんぴん。同じような事が次から次へと起こること。
伊達 人目にふれるような派手な行動をする。派手なふるまいなどで外見を飾る。
畔柳芥舟 くろやなぎかいしゅう。英語・英文学者。評論家。明治31年、一高教授。のち「大英和辞典」(冨山房)の編纂に専念。生年は明治4年5月17日。没年は大正12年2月20日。享年は満50歳。
湯島詣 芸者蝶吉が主人公。華族の令嬢を妻にした青年神月梓を配し、梓が狂人となった蝶吉とついに心中する話。
小石川の家 鏡花が住んでいた場所でしょう。小石川区大塚町57番地です。
巨魁 盗賊などの悪い仲間の首領。

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小品『草あやめ』①|泉鏡花

文学と神楽坂

泉鏡花作「草あやめ」(明治36年)の最初の1節です。当時の神楽坂2丁目の様子がわかります。まだこの辺りは華街にはなっていなかったのですね。

二丁目にちやうめ借家しやくや地主ぢぬし江戸兒えどつこにて露地ろぢとざさず裏町うらまち木戸きどには無用むようものるべからずとかたごとしるしたれど、表門おもてもんにはとびらさへなく、けても通行勝手つうかうかつてなり。たゞ知己ちかづきひととほけ、世話せわもを素通すどほ無用むようたること、おもひかはらずりながら附合つきあひ五六けん美人びじんなきにしもあらずといへどみだり垣間見かいまみゆるさず、のき御神燈ごしんとうかげなく、おく三味さみきこゆるたぐひにあらざるもつて、頬被ほゝかぶり懐手ふところで湯上ゆあがりのかた置手拭おきてぬぐひなどの如何いかゞはしき姿すがたみとめず、華主とくいまはりの豆府屋とうふや八百屋やほや魚屋さかなや油屋あぶらや出入しゆつにふするのみ。

[現代文] 二丁目の私の借家の地主は、江戸っ子であり、門などは閉めない。裏町の木戸には無用の者は入ってはいけないと型どおりに書いている。しかし、表門を見ると、扉はなく、夜が更けても誰でも勝手に通行できる。ただし、近くの人の通り抜けはよくない。一般的な言葉を使うと、素通り、つまり、立ち寄らずに通り過ぎる人は、いらないと私は考えている。
 お付き合いした五六軒を見ると、美人もいるが、やはり、みだりにのぞき見はいけない。待合のように提灯はかかっておらず、奥には三味線の音も聞こえてこない。さらに、ほおかぶり、懐手、湯上りの肩に置手拭といったいかがわしい姿もない。あるのは、得意客を回る豆腐屋、八百屋、魚屋、油屋が出入する音だけだ。

二丁目 神楽坂2丁目22番地のこと。泉鏡花は明治36年から39年まで、ここを借りていました。
露地を鎖さず 「ろじをとざさず」。露地は覆いがない土地。これを戸・門などでしめない。
通行勝手 勝手に通行できる。
素通り 立ち寄らずに通り過ぎる。
かはらず 変わらず。変わることないが。そう考えているが。
お附合 「お付き合い」。人と交際すること
美人なきにしもあらず 「なきにしもあらず」とは「無きにしも非ず」。ないわけではない。美人ではないわけではないが
垣間見 間からからこっそり見ること。のぞき見。
御神燈 芸者屋などで縁起をかついで戸口につるした提灯。
三味の音 芸者さんは午前中から三味線の練習をしました。
類にあらざる 同類ではない。似ていない。芸者さんとかは来ていない。
頬被 手ぬぐいなどで頭から頰にかけて包み、顎のあたりで結ぶこと。
懐手 手を袖から出さずに懐に入れていること。傍観者の立場という感じでしょうか
置手拭 手ぬぐいを畳んで、頭や肩にのせること
如何はしき いかがわしい。怪しげだ。疑わしい
豆府屋 行商の豆腐屋はラッパを鳴いて売り歩いていました。行商の八百屋、魚屋、油屋もありました。

あさまだき納豆賣なつとううり近所きんじよ小學せうがくかよをさなが、近路ちかみちなればいつたもとつらねてとほる。おはなやおはな撫子なでしこはな矢車やぐるま花賣はなうりつき朔日ついたち十五日じふごにちには二人ふたり三人さんにんくなり。やがて足駄あしだ齒入はいれ鋏磨はさみとぎ紅梅こうばい井戸端ゐどばた砥石といしゑ、木槿むくげ垣根かきね天秤てんびんろす。目黑めぐろ(たけのこ)うりあめみの若柳わかやなぎ臺所だいどころのぞくもゆかや。

[現代文] 早朝、納豆を売る人が出てくる。近所の小学校に通う幼児も近道をとおり、五人や六人、一緒に歩いている。お花を売る姿も見える。撫子の花や矢車の花を売り、月の一日や十五日になると、二人三人呼びあって、皆で買うようだ。やがて行商の足駄の歯入やハサミ研ぎが出てくる。紅梅の井戸端に砥石をそろえ、木槿の垣根に天秤を下ろす。目黒の筍売屋は雨の日に蓑を着て、若い女性が台所にいるのを見ている。これもいい感じだ。

小学 竹内小学校です。場所はここ。明治20年の地図ではここ。平成9年の『ここは牛込、神楽坂』第4号16頁によれば、「『近所の小学』というのは、現在、東京理科大学の一部になっている所にあった私立竹内小学校のことで、公立の津久戸小学校が創立されるまで、付近の子供たちはほとんど、ここに通っていたと聞きました」と書いてあります。実は津久戸小学校ができてもただちに竹内小学校が消えたのではなさそうです。津久戸小学校が作られたのは明治37(1904)年4月。ほぼ20年後の大正11(1922)年になっても、東京逓信局編纂『東京市牛込区』では、この2つの小学校は依然同時にあります。大正12年、関東大震災が起こり、それから、ようやく昭和5(1930)年には竹内小学校は消えています。また、昭和45年新宿区教育委員会の「神楽坂界隈の変遷」「古老の記憶による関東大震災前の形」を見ると、私立竹内小学校はかなり大きな敷地を占めていました(下図)。

古老の記憶による関東大震災前の形竹内小学校
現在は理科大のキャンパスです。竹内小学校

朝まだき 早朝
幼き おさなき。年齢がごく若い。未熟だ。
袂を連ねて 袂とは和服の袖付けから下の、袋のように垂れた部分。袂を連ねる人と行動を共にする。
撫子 なでしこ。ナデシコ科の多年草。
矢車 やぐるまぎく。キク科の一年草。
足駄 あしだ。下駄の一種。東日本では歯の高い差歯(さしば)の下駄をアシダと呼んでいる。
歯入 はいれ。下駄の歯を入れ換えること。その職業。
鋏磨 ハサミ研ぎ。
紅梅 こうばい。ウメのこと。
木槿 ムクゲ。アオイ科の落葉低木。写真は左からなでしこ、やぐるまぎく、むくげ 藁(わら)を編んで作られた雨具の一種。
若柳 若い柳。ここは美人のことだと思います。たとえば、柳眉とは柳の葉のように細く美しい美人の眉をさします。同じではないでしょうか。
床し 気品・情趣などがある。

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小品『草あやめ』⑤|泉鏡花

文学と神楽坂

 翌朝あくるあさ(れい)(あき)さん、二階(にかい)駈上(かけあが)跫音高(あしおとたか)く、朝寢(あさね)(まくら)(たゝ)きて、()きよ、(こゝろ)なき(ひと)人心(ひとこゝろ)なく(はな)かへつて(じやう)あり、さく(ひやゝ)かにいひおとしめし()ぢたりけん、シヽデンの(はな)(ひら)くこと、今朝(けさ)一時いつときに十一と、あわたゞしく起出(おきい)でて(はち)いだけば花菫はなすみれ野山(のやま)滿()ちたるよそほひなり。()つゝ(おも)はず悚然ぞつとして、いしくも()いたり、可愛かはゆき花、あざみ鬼百合おにゆりたけんば、()ことば(いきどほ)りもせめ姿形(すがたかたち)のしをらしさにつけ、(なんぢ)(やさ)しき(こゝろ)より、百年もゝとせよはひ(さゝ)げて、一朝(いつてう)(さかり)()するならずや、いかばかり、(われ)(うら)なんと、あはれ()ふべくもあらず。くちそゝ()てつ、書齋(しよさい)なる小机(こづくゑ)()て、(ひと)なき(とき)端然(たんぜん)として、失言(しつげん)(しや)す。しかゆふべにはしをれんもの、(ねがは)くば、()(いのち)だに(ひさ)しかれ、(あら)(かぜ)にも()べきか。なほ心安(こゝろやす)らず、みづから()(こゝろ)なかりしを()いたりしに、(つぎ)(あさ)(いた)りて(さら)に十三の(はな)()けり、(うれ)しさいふべからず、やよや人々(ひと/”\)(また)シヽデンといふことなかれ、()(いへ)ものいふ(はな)ぞと、いとせめてであへりし、()()日曜(にちえう)にて宙外ちうぐわい(くん)(たち)()らる。
 巻莨まきたばこ()(ひか)たなそこ()()て、なん主人(しゆじん)むくつけき(なん)()(はな)のしをらしきと。主人(しゆじん)(おほ)いに恐縮(きようしゆく)して假名(かな)()()けば()()らずと()はる。(わす)れたり、斯道しだう曙山しよざん(くん)ありけるを、(はな)(ひと)()りて(ふところ)にせんもをしく、よく(いろ)()()(おぼ)え、あくる()四丁目(よんちやうめ)編輯局(へんしふきよく)にて、しか/″\の(くさ)はと()へば、同氏(どうし)(うなづ)きて、(かみ)()して(これ)ならん、それよ、草菖蒲くさあやめ女扇(をんなあふぎ)(たけ)(あを)きに(むらさき)(たま)(ちりば)たらん姿(すがた)して、()()よそほひまさる、草菖蒲(くさあやめ)といふなりとぞ。よし(なに)にてもあれ、()いとほしのものかな。

[現代語訳] 翌朝、例の秋さんが、その足音は高く、二階へ掛け上ってきた。朝、枕を叩いて、「起きてみてよ。冷徹な奴だな。人間には思いやりはないが、花には情がある。昨日は冷ややかにいわれ、軽蔑され、恥をかきました。でもシシデンの花は大きく開いている。今朝、一回の開花でなんと11輪」。私は慌ただしく起きだして、鉢を抱いてみた。花スミレは野山にいっぱいのよそおいだ。見ていると思わず感動した。「見事に咲いた、可愛い花。アザミ、オニユリなどの勇ましい植物だとすると、私の言葉に腹立ちもあろう。しかし、シシデンの姿形はしおらしく、心は優しい。百年の年齢を献げても、一日の朝には最盛時を見ない場合もある。私に対する怨みをどれほどもっているのか。まして、あわれさでは、言っても言い切れない」と。私は口の中を洗い終えて、花を書斎の小机の上に置き、人がいない時に、姿勢を正し、失言だったと、あやまった。シシデンは夕方になると、しおれるので、願わくは、葉の命だけでも永久に、また、荒い風にも当てるべきではないか。しかし、これで安心はまだできない。私は真に心なき人だったと悔んでいた。次の朝、さらに花は十三輪ほど咲いた。その嬉しさはいいきれない。さあさあ、人々が再びシシデンということはもうない。わが家の美人よ、せめてその美しさを味わおう。その日は日曜であり、後藤宙外君も立ち寄った。
 巻タバコの手を控え、葉を手のひらでさすった。どうして大家は無風流であり、どうしてこの花はしおらしいのか。その大家は大いに恐縮し、「俗称の名前をなんでしょう」と聞くと氏もわからないときっぱり答えた。忘れていたのが、この分野で有名な人に前田曙山君がいる。花一輪を取り、懐中にいれるのは、おしい。そこで、よく色を見て、葉を覚えて、翌日、四丁目の春陽堂編集局に行き「こんな草は」と質問すると、曙山君はうなづいて紙に絵をかき「これでしょう」といったのである。「そう、これ、これ」というと、「草アヤメです」と答えた。青い竹でつくった女性用の扇で紫の珠をちりばめたような姿があり、日に日に風情が増し、草アヤメだという。なるほど、何はともあれ、私にとっては、この花はかわいいものよ。

草菖蒲  昔の「あやめ」「あやめぐさ」はともに現在の「ショウブ」でショウブ目ショウブ科ショウブ属。この花は花らしくはないので違います。残るのはアヤメ、ハナショウブ、カキツバタの3種。違いは竹田寛氏の「6月 《アヤメ》 ― いずれアヤメかカキツバタ 」によれば

 外花被片の基部の模様、すなわち密標の模様の違いです。アヤメは文目模様、花ショウブは黄色の筋、カキツバタは白い筋です。私は「文目(あやめ)、黄しょうぶ、白つばた(アヤメ、キショウブ、シロツバタ)」と覚えることにしています。これだけ覚えておけば十分です。またアヤメは乾地、カキツバタは湿地、花ショウブはその中間の地帯に育ちます。

 草あやめはアヤメ、ハナショウブ、カキツバタ、あるいはその変種のうち何なのでしょうか。文章を読む限り、どれもありそうで、はっきりしません。そこで前田曙山氏が書いた「和洋草花趣味の栽培」「草木栽培書」「高山植物叢書」も調べてみました。アヤメ、ハナショウブ、カキツバタの3種類の中で、山菖蒲(ハナショウブの原種)、水菖蒲(ショウブの別名)はありましたが、草あやめという名前はなく、さらに種や変種でもありませんでした。さらに後藤宙外氏には『草あやめ』という小冊子もありましたが、この中には無関係の小説数点がはいっているだけでした。では、草あやめは何なのでしょうか。私は単に草本の「アヤメ」と同じだと考えています。花菖蒲、山菖蒲や水菖蒲、菖蒲草と同じように草菖蒲もあり、これは現在のアヤメなのです。しかし、他の考え方もあり、昔は「草あやめ」の名前はあっても、やがて、何をさしていたのか、わからなくなった場合や、あるいは、草あやめという植物をこの小説のため創作したなどです。また、森脇伸平氏によれば、庭の花写真でニワゼキショウというアヤメ科の俗名が草あやめだといいます。一応、草あやめは不明のままとしておきます。

心なし 思慮分別のない。思いやりのない。そんな人。
 過ぎ去った日。むかし。きのう。
おとしめる 貶める。おとしむ。劣ったものと軽蔑する。さげすむ。見下す。
 そう。よそおい。外観をととのえる。
悚然 しょうぜん。恐れて立ちすくむさま。慄然。寒さや恐怖など、また、強い感動を受けて、からだが震え上がるさま。
いしくも 美しくも。見事に。殊勝にも。形容詞「い(美)し」の連用形と係助詞「も」。
 キク科アザミ属の多年草の総称。葉に多くの切れ込みやとげがある。
鬼百合 ユリ科ユリ属の多年草。山野に自生し、高さ約1メートル。
猛し 勇猛な。勇ましい。勢いが盛ん。激しい。
せむ 責む。とがめる。なじる。責める。
一朝 いっちょう。わずかな間。
 力や勢いがさかん。さかえる。
ずや …ではないだろうか。…ではないか。
なん 完了の助動詞「ぬ」の未然形と、推量の助動詞「む(ん)」でしょうか。きっと…だろう。…にちがいない。
あわれ 不憫と思う気持ち。無惨な姿。
漱ぐ くちそそぐ。水などで口の中を洗い清める。うがいをする。
すえる 据える。物を一定の場所に動かないように置く。
端然 姿勢などが乱れないできちんとしているさま。礼儀にかなっているさま。
当てる 光・雨・風などの作用を受けさせる。
心安い 安心である。心配がない。
やよや 呼びかける時に発する語。さあさあ。おいおい。
ものいう花 ことばを発する。口をきく。力を発揮する。「物言う花」で美人。
撫す ぶす。ぶする。手のひらでさする。なでる。いたわる。かわいがる。
むくつけし 無骨でむさくるしい。無風流だ。
仮名 実名を秘して仮につけた名前。変名。俗称。通称。
斯道 学問や技芸などで、この道、この分野。
 ふところ。衣服を着たときの、胸のあたりの内側の部分。懐中。
編輯局 日本橋区通四丁目にあった春陽堂の編集室です。ここで一時編集者として前田曙山氏が働いていました。
女扇 おんなおうぎ。女持ちの小形の扇。
鏤める ちりばめる。金銀・宝石などを、一面に散らすようにはめこむ。
 よそおい。装い。粧い。外観の様子。おもむき。風情。
いとほし 気の毒だ。かわいそうだ。かわいい。

小品『草あやめ』④|泉鏡花

文学と神楽坂

 茘枝(れいし)(ちひ)さきも活々いき/\して、藤豆(ふぢまめ)(ごと)()(つる)(はし)()むるを、いたづら()おほいにして、()(じつ)(せう)なる、()(かたち)さへさだかならず。二筋(ふたすぢ)三筋(みすぢ)すく/\と()びたるは、()れたる(には)むし()べくも(おぼ)えぬが、彼処かしこ()えて此處(こゝ)(あらは)けむ、其處(そこ)(また)彼處(かしこ)に、シヽデンに()たる雜草(ざつさう)(かぞ)るに()ず、(おとうと)はもとより、はじめはこと(こゝろ)()て、(みづ)などやりたる(あき)さんさへ、いひがひなきに(あき)()てて、罵倒(ばたう)することなゝめならず(くさ)(はびこ)るは、(また)してもキウモンならんと、以來(いらい)もなくたゞ呼聲(よびごゑ)いかめしき渾名あだなとなりて、今日(けふ)御馳走(ごちそう)があるよ、といふ(とき)(おとうと)(あき)さんも、(かげ)(つぶや)いて、シヽデンかとばかりなりけり。
 ()るまゝに何事(なにごと)()はずなりし、不図(ふと)()のシヽデンの(さい)昼食ちうじきのち(には)ながむることありしに、(くも)(ごと)紫雲英(げんげ)(まじ)りて(ちい)さき薄紫(うすむらさき)(はな)(ふた)咲出(さきい)でたり。立寄(たちよ)りて(くさ)()けて()れば、(かたち)すみれよりはおほいならず、六べんにして、(その)薄紫(うすむらさき)花片はなびら()(むらさき)(すぢ)あり、しべ(いろ)()に、(くき)(いと)より(ほそ)く、()水仙(すゐせん)()淺緑(あさみどり)(やはら)かう、()にせば()えなむばかりなり。(なへ)なりし(ころ)より見覺(みおぼ)えつ、(まが)ふべくもあらぬシヽデンなれば、英雄(えいゆう)(ひと)あざけども、苗賣(なへうり)(われ)()になさず、と(みな)打寄(うちよ)りて、(つち)ながら()()りて(はち)()ゑ、(みづ)やりて(えん)差置(さしお)き、とみかう()るうち、(しな)一段(いちだん)打上(うちあが)りて、緣日(えんにち)ものの()にあらず、夜露(よつゆ)()れしが、翌日(よくじつ)(はな)また(ふた)()きぬ、いづれも入相いりあひの頃しぼみて東雲しのゝめ(べつ)なるが(ひら)く、三朝(みあさ)みあさにして四日目(よつかめ)昼頃(ひるごろ)()れば(はな)(たゞ)(ひと)ツのみ、()もしをれ、()(かわ)きて、昨日(きのふ)には()風情ふぜい()くべき(つぼみ)(さが)()てず、()ればこそシヽデンなりけれ、申譯(まをしわけ)だけに()いたわと、すげなく()ひけるよ。

[現代語訳] 小さいゴーヤもいきいきとして、藤豆などではつるの先端も見え始めた。一方、このシシデン、その名前は無駄に大きく、その実体は小さく、葉の形もわからない。二筋三筋がすくすくと延びたが、荒れた庭に引っこ抜いて終わるものなのか、これもわからない。あちらで消え、こちらであらわれるのか、シシデンと似た雑草は無数にある。弟はもとより、はじめは殊に心を込めて水などをあげていた秋さんにとっても、効果はなく、呆れ果てて、はなはだしい罵倒するようになった。草がしげる時には、またしてもキウモンかと喋り、以来と違い、呼び声だけはいかめしい渾名になっている。今日は御馳走があるよ、という時には、弟も秋さんも、かげでつぶやき、またシシデンかというようになった。
 日時が経過すると何もいわないようになった。昼食の後、ふと、そのシシデンの惣菜を考えながら庭をながめていたが、雲のようなレンゲソウと混ざって、小さな薄紫の花が二輪、咲き出ていたのである。立寄って草を分けて見ると、形はスミレよりは大きくなく、六弁で、その薄紫の花びらには濃い紫の筋がある。おしべの色は黄色で、茎は糸より細く、葉は水仙に似て浅緑で柔らかく、手に持てば消えそうだ。苗だった頃から見覚えがあり、まごうべくもないシシデンである。人の考え及ばないようなはかりごとをするのが英雄だが、こちらは苗売なので私をばかにしない。全員集まって、土から根を掘って、鉢に植え替え、水をあげて、縁台に置いてあげた。あちこちを見ていると、品質も一段上になり、ただの縁日ものではない。夜露に濡れたが、翌日は花をさらに二輪咲いた。夕暮れ時しぼみ、明け方に別の花だが開き、これが三日目の朝まで続いた。
 四日目の昼頃、見ると花はただ一輪だけ、葉もしおれ、根も乾き、昨日とは似ていない風情。咲くべき蕾も探しあてられず、だからこそシシデンだ、申し訳程度に咲いたのだと、私はそっけなく言ったのである。

挘る つかんだりつまんだりして引き抜く。
果つ 果てる。続いていた物事が終わりになる。終わる。
顕れる よくないことが公になる。発覚する。
数ぶ かぞふ。数える。数量や順番を調べる。勘定する。一つ一つ挙げる。列挙する。
尽きる 最後までその状態のままである。…に終始する。
籠める 物の中にいれる。詰める。形に表れない物を十分に含ませる。
言い甲斐 いひがひ。言葉に出して言うだけの価値。言っただけの効果。
斜めならず ひととおりでない。はなはだしい。
然もない そうではない。そうでもない。たいしたことはない。
いかめしい 近よりにくい感じを与えるほど立派で威厳がある。
とばかり ではないかと思うほど。
 酒や飯に添えて食べるもの。おかず。副食物
 しべ。花の雄しべと雌しべ。ずい。
英雄人を欺く 英雄は知恵・才能にすぐれているから、往々にして人の考え及ばないようなはかりごとや行いをするものだ。李攀竜(りはんりょう)の「選唐詞序」から。
 ぐ。おろか。ばか。ばかにする。
と見かう見 あっちを見たり、こっちを見たり。あっち見、こっち見。
入相 いりあい。日の沈むころ。日暮れ時。夕暮れ
東雲 しののめ。夜が明けようとして東の空が明るくなってきたころ。あけがた。あけぼの
すげない 素気無い。愛想がない。思いやりがない。そっけない。

小品『草あやめ』③|泉鏡花

文学と神楽坂

 朝顔(あさがほ)(なへ)覆盆子いちご(なへ)(はな)()もある(なか)に、呼声(よびごゑ)仰々(ぎやう/\)しき(ふた)ツありけり、(いは)牡丹咲(ほたんざき)(じや)()(ぎく)(いは)シヽデンキウモンなり愚弟(ぐてい)たゞち()て、賢兄にいさんひな/\と()ふ、こゝに牡丹咲(ぼたんざき)(じや)目菊(めぎく)なるものは所謂いはゆる蝦夷(えぞ)ぎく(なり)。これは……九代(くだい)後胤こういん(たひら)の、……と平家(へいけ)豪傑(がうけつ)名乗(なの)れる如く、のの()(ふた)()けたるは、賣物(うりもの)(はな)(ほか)ならず。シヽデンキウモンに(いた)りては、何等なんら(もの)なるやを()るべからず、苗売(なへうり)()けば(たぐひ)なきしをらしき(はな)ぞといふ、蝦夷(えぞ)(ぎく)おもしろし()(はな)しをらしといふに()ず、いかめしくシヽデンキウモンと()ぶを(あざ)けるにあらねど、の二(しゆ)()(ほか)(べつ)に五(せん)なるを如何いかんせん。
 しかれども甚六(じんろく)なるもの、豈夫あにそれ白銅(はくどう)一片(いつぺん)辟易(へきえき)して()ならんや。すなは()()なく(さと)(いは)く、なんぢ若輩(じやくはい)、シヽデンキウモンに私淑(ししゆく)したりや、金毛(きんまう)九尾(きうび)ぢやあるまいしと、二階(にかい)(あが)らんとする(たもと)(とら)へて、()いぢやないかお()ひよ、(ひと)()いたつて(はな)ぢやないか。旦那(だんな)だまされたと(おぼ)()してと苗賣(なへうり)(すゝ)めて()まず、(ぼく)()ゑるからと女形(をんながた)(しきり)口説(くど)く、(みな)キウモンの()(まよ)へる(なり)長歎(ちやうたん)して(べつ)五百(ごひやく)(おご)
 (かき)朝顏(あさがほ)藤豆(ふぢまめ)()ゑ、(たで)海棠かいだうもとに、蝦夷菊(えぞぎく)唐黍(たうもろこし)茶畑(ちやばたけ)(まへ)に、五本いつもと三本みもとつちかひつ()にしおふシヽデンは(には)一段(いちだん)(たか)(ところ)飛石(とびいし)かたへ()ゑたり。此處(こゝ)あらかじ遊蝶花(いうてひくわ長命菊ちやうめいぎく金盞花きんせんくわ縁日えんにち名代(なだい)(がう)のもの、しろべにしぼり濃紫こむらさきいまさかり咲競さききそふ、なかにもしろはな紫雲英げんげ一株ひとかぶはうごしやくはびこり、だいなることたなそこごとく、くきながきこと五すんうてな(いたゞ)()に二十を(くだ)らず、けだ(はる)(さむ)(あさ)、めづらしき早起(はやおき)(をり)から、女形(をんながた)とともに道芝みちしば(しも)()けておほり土手(どて)より()たるもの、()()らんとして、(たもと)火箸(ひばし)(しの)せしを、羽織(はおり)(そで)破目やぶれめより、(おもひ)がけず(みち)に落して、おほい臺所(だいどころ)道具(だうぐ)事缺ことかし、經營(けいえい)慘憺(さんたん)あだならず(こゝろ)なき(くさ)も、あはれとや(しげ)けん。シヽデンキウモンの(なへ)なるもの、二日(ふつか)三日(みつか)うちに、()紫雲英(げんげ)()がくれ()えずなりぬ。

〔現代語訳〕 朝顔の苗、いちごの苗、花も売っているし、実も売っている。大げさな売り声はふたつあって、牡丹咲きの蛇の目菊がひとつ、シシデンキウモンが別のひとつだという。弟はただちに聞きほれて、にいさん買おうよ、買おうよという。ここで牡丹咲きの蛇の目菊は、いわゆる蝦夷菊で……九代の後胤、(たいら)の、……と平家の豪傑も名乗ったようだが、ここで「の」の字を二個つけているのは、「売り物には花を飾れ」という言い回しそのままである。シシデンキウモンは、どんなものなのかわからない。苗売に聞くと、比類なく しおらしい花ですという。蝦夷菊には心をひかれるが、この花については、しおらしいというのは似合わない。シシデンキウモンと厳しく呼んでいるが、かといって悪く言おうというものではない。この二種、一分(25銭)に加えて、別に五銭を払えという。どうしようかね。
 でも、甚六という者は、どうして白銅貨一枚でためらうのかという。そこで、私はシシデンキウモンを師として尊敬するのか、金毛九尾の狐が出た場合じゃないのにと、二階に向かって逃げ出したくなったが、その袂をつかまえて、いいじゃないか、買おうよ、ひとつ花が咲いてもたかが花じゃないかという。苗売りも旦那だまされたと思って買いましょうと、その勧誘は止まらない。女形も僕が植えるからと盛んに口説く。全員キウモンという名前に間違えているのだ。長いため息をだして、別に500銭ほど大盤振舞をした。
 垣根に朝顔と藤豆を植え、蓼はハナカイドウの花の下に、蝦夷菊とトウモロコシは茶畑の前で五本と三本で栽培した。名前も有名なシシデンは庭の一段高い場所で、飛石の傍に植えた。ここにはあらかじめパンジー、ヒナギク、キンセンカという縁日では超有名な花が植えてあり、色は白、赤、まだら、濃紫などで、今を盛りに咲き競い、中でも白い花のレンゲソウは、一株だけでも150cm四方になり、葉は巨大で掌のよう、茎も長くて15センチ、開花の期間は20日以上。思えば春の寒い朝だが、めずらしく目が覚めて、女形と一緒に、お濠の土手の路傍の草についていた霜を分けて、根っこを掘ろうと思って、火箸をたもとに入れておいた。が、羽織のそでの裂け目から、思わず道路に落とし、そのため、台所道具は大いに事欠き、あらゆる事も惨憺になっだ。心なき草も、あわれと思ったのか密集して生えてきたが、しかし、シシデンキウモンの苗は、二、三日間で、このレンゲソウの葉にかくれ、見えなくなった。

仰々しい 大げさだ。
牡丹咲 花びらが重なって咲く花の咲き方で、花びらが大きく膨らんで、派手になったもの。例は http://www.nagominoniwa.net/camellia/botan-fukurin.html
蛇の目菊 「蛇の目」とは大小二つの同心円の文様。「蛇の目菊」は舌状花の基部に蛇の目模様があるもの。右図を。
シシデンキウモン なんでしょうか。この単語、文章の最後になってわかります。
 こつ。ほれる。心がぼうっとする。ぼんやりする。
蝦夷菊 えぞぎく。キク科の一年草。園芸品種名はアスター。右図を。
後胤 こういん。子孫。後裔。
名乗る なのる。自分の名や身分を他人に向かって言う。
売り物に花 売り物には花を飾れとの故事・ことわざ。売り物がよく売れるためには、内容もよくなければならないが、見てくれはなおよくなければならない。売り物は体裁よく飾り立てて売るのが上手な商売である。
しおらしい 控えめでいじらしい。遠慮深くて奥ゆかしい。
おもしろい ここでは、心をひかれる。趣が深い。風流だ。
嘲る  あざける。ばかにして悪く言ったり笑ったりする。
一歩 いちぶ。一分。一分金。4分で一両(明治時代では一円)になります。明治初年で一円は約二万円。一歩は約5000円。
白銅 白銅貨。ここでは五銭白銅貨でしょう。
辟易 へきえき。閉口する。うんざりする
然り気なく 考えや気持ちを表面に表さない。何事もないように振る舞う。
諭す 目下の者に物事の道理をよくわかるように話し聞かせる。納得するように教え導く。
私淑 直接教えを受けたわけではないが、著作などを通じて傾倒して師と仰ぐこと。
金毛九尾 こんもうきゅうび。体毛が金色の老狐。金毛九尾の狐。妖狐。
長歎 長いため息をもらす。
奢る  程度を超えたぜいたくをする。自分の金で人にごちそうする。物などを人に振る舞う。
海棠 カイドウ。ハナカイドウ。バラ科の落葉低木。中国原産。花木として古く日本に渡来。
培う つちかう。草木の根元や種に土をかけて草木を育てる。栽培する。
名にしおう 名高い。評判である。
飛石 日本庭園などで、伝い歩くために少しずつ離して据えた表面の平らな石。
遊蝶花 ゆうちょうか。パンジーのこと。江戸時代末に,オランダの船で渡来した。
長命菊 ちょうめいぎく。ヒナギク(デイジー)のこと。
金盞花 キンセンカ。キク科の越年草。南ヨーロッパ原産。
名代 なだい。名前を知られていること。評判の高いこと。
 しぼり。花びらなどで、絞り染めのように色がまだらに入りまじっているもの。
紫雲英 げんげ。レンゲソウの別名。
 ほう。正方形の各辺。
 1尺=10/33m≒30.303cm。
 一尺の10分の1。約3.03cm。
 うてな。花の最も外側に生じる器官。花被。
蓋し かなりの確信をもって推量するさま。思うに。確かに。
道芝 みちしば。路傍の草。
忍ぶ 他人に知られないようにこっそりとする。
事欠く 必要なものがないために不自由する。
経営 行事の準備・人の接待などのために奔走する。事をなしとげるために考え、実行する。
仇ならず 期待したとおりにならずに終わる。無駄になる。
繁る 草木の枝や葉が勢いよく伸びて、重なり合う。草木が密に生え出る。
葉がくれ 葉隠れ。草木の葉のかげになること

小品『草あやめ』②|泉鏡花

文学と神楽坂

 泉鏡花氏の「草あやめ」(明治36年)で、その2です。

物干(ものほし)(たけ)二日月(ふつかづき)(ひか)りて、蝙蝠かうもりのちらと()えたる(なつ)もはじめつ(かた)一夕あるゆふべ出窓(でまど)(そと)(うつく)しき(こゑ)して()()くものあり、(なへ)玉苗(たまなへ)胡瓜(きうり)(なへ)茄子(なす)(なへ)と、()(こゑ)あたか大川(おほかは)(おぼろ)(なが)るゝ今戸(いまど)あたりの二上にあが調子(てうし)()たり。一寸ちよつと苗屋(なへや)さんと、(まど)から()べば引返ひつかへすを、(ちひ)さき木戸(きど)()けて(には)(とほ)せば、くゞ(とき)(かさ)()ぎ、(わか)(をとこ)()つき(するど)からず、(ほゝ)まろきが莞爾莞爾にこにこして、へい/\()ましと()()ろし、穎割葉かひわりばの、(あを)鶏冠とさかの、いづれも(いきほひ)よきを、()()けたる()して(ひと)(ひと)取出(とりいだ)すを、としより、(おとうと)、またお神樂座かぐらざ一座(いちざ)太夫(たいふ)(せい)原口(はらぐち)()(あき)さん、()んで女形をんながたといふ容子ようすいのと、(みな)緣側(えんがは)()でて、()るもの(ひと)ツとして()しからざるは()きを、初鰹(はつがつを)()はざれども、(ひる)のお(さかな)なにがし、(ばん)のお豆府(とうふ)いくらと、帳合ちやうあひめて小遣(こづかひ)(なか)より、大枚(たいまい)一歩(いちぶ)ところ(なへ)七八(しゆ)をずばりと()ふ、もつと五坪いつつぼには()ぎざる(には)なり。
 隱元いんげん藤豆ふぢまめたで茘枝れいし唐辛たうがらし所帶(しよたい)たしのゝしたまひそ、苗賣(なへうり)若衆(わかいしゆ)一々(いち/\)()(はな)()へていふにこそ、北海道(ほくかいだう)花茘枝(はなれいし)(たか)(つめ)唐辛(たうがらし)千成せんな酸漿ほうづき(つる)なし隱元(いんげん)よしあし大蓼(おほたで)手前(でまへ)(あきな)ひまするものは、(みな)玉揃(たまぞろ)唐黍たうもろこし云々うんぬん

 〔現代語訳〕物干の竹が8月2日の月に光っている。コウモリも出てくる初夏のある夕方、出窓の外に美しい声を出した行商人がやってきた。苗、稲の苗、キュウリの苗、ナスの苗はいらんかね…と、その声は隅田川が流れる今戸地区あたりで聞こえてくる三味線のリズムに似ている。ちょっと苗屋さんと、窓から呼ぶと、へいへい、どれにしましょうかと荷を下ろし、穎割や、緑のヒトツバなど、どれも勢いはよい。日に焼けた手で、1つ、1つと取り出してきた。年寄りも、弟も、お神楽座の太夫も…これは姓は原口、名は秋さんで、女形という様子のいい奴だが…みんな縁側にでて、見ている。どれもこれもほしい。私は初鰹などは買わないが、昼のお魚がこれだけで、晩のお豆腐はこれだけでと、まず帳簿を確かめて、小遣の中で、大枚を一分使って、苗の七、八種をずばりと買う。もっとも五坪もない庭なのだが。
 インゲン豆、藤豆、蓼、ゴーヤ、唐辛子は、くらし向きのプラスになりましょうといって、苗売りの若衆はいちいち名前に花の言葉をそえている。手前どもが商いをするのは、北海道産の花ゴーヤ、鷹の爪の唐辛子、沢山生えるほうづき、インゲンにはツルがなく、良い悪いはわからないけど大蓼、種のそろったトウモロコシなどですという。

二日月 ふつかづき。陰暦2日の月。8月2日の月
玉苗 たまなえ。苗代から田へ移し植えるころの稲の苗。早苗(さなえ)と同じ。
大川 吾妻橋付近から隅田川の下流の通称。
 ぼうっと薄くかすんでいるさま。
今戸 台東区北東部の地名。隅田川西岸の船着き場として栄えました。
二上り にあがり。三味線の調弦法。第2弦を1全音(長2度)高くしたもの。派手、陽気、田舎風の気分をあらわす。
木戸 庭などの出入り口に設けた簡単な開き戸。
 日光・雨・雪などが当たらないように頭にかぶるもの。「傘」と区別する。
召す 「買う」という意味の尊敬語
穎割葉 かいわりば。芽を出した植物が最初に出す葉
鶏冠 ヒトツバ。葉が鶏のトサカのように切れ込む常緑のシダ。右図を。
神楽座 芝居のはやしの一種。
太夫 能、歌舞伎、浄瑠璃等で上級の芸人。
帳合 現金や在庫商品と帳簿を照らし合わせ、計算を確かめること。
 締め。しめ。金銭などの合計を出すこと。
大枚 多額のお金。大金。
一歩 一文(一歩)銭の寛永通宝は昭和28年まで法的には通用し、4文で一両(一円)に替えられました。明治初めの一円は二万円ぐらいなので、1歩は約5000円でしょうか。
隠元 インゲン豆。マメ科の蔓性(つるせい)の一年草。ツルナシインゲンは蔓のない栽培品種。
藤豆 ふじまめ。マメ科のつる性一年草。熱帯原産。食用とするため広く栽培。
 たで。タデ科タデ属の植物の総称。特にヤナギタデは辛みがあり、食用として刺身のつまなどに。
茘枝 ここでは(つる)茘枝(れいし)のこと。別名はニガウリ、ゴーヤ。ウリ科の蔓性の一年草。黄色い花を開き、実が熟すと黄赤色になり、若い実は食用に。
所帯 一家を構えて独立した生計を営むこと。そのくらし向き。
罵る ののしる。ここでは「盛んにうわさされる。評判になる」
鷹の爪 トウガラシの栽培品種。果実は小形の円錐形で上向きにつき、赤く熟す。
千成り 数多く群がって実がなること。
酸漿 ナス科の多年草。初秋、果実が熟して赤く色づく。
よしあし よいとも悪いともすぐには判断できかねる状態。
玉揃い キャベツなどの結球野菜で、結球の発育が似たようになること。

文壇昔ばなし③|谷崎潤一郎

文学と神楽坂

 谷崎潤一郎氏は耽美(たんび)派の作家でした。ここに出てくる作家の生まれた年は泉鏡花氏が明治6年、里見弴氏は明治11年、谷崎潤一郎氏は明治19年、芥川龍之介氏は明治25年でした。「文壇昔ばなし」は昭和34年、73歳で発表、『谷崎潤一郎全集』(中央公論社、昭和58年)第21巻に出ています。

             ○
京橋大根河岸あたりだつたと思ふ、鏡花のひいきにしてゐる鳥屋があつて、鏡花里見芥川、それにと四人で鳥鍋を突ツついたことがあつた。健啖で、物を食ふ速力が非常に速い私は、大勢で鍋を圍んだりする時、まだよく煮え切らないうちに傍から傍から喰べてしまふ癖があるのだが、衛生家で用心深い鏡花はそれと反封に、十分によく煮えたものでないと箸をつけない。従つて鏡花と私が鍋を圍むと、私が皆喰べてしまひ、鏡花は喰べる暇がない。たびたびその手を食はされた經驗を持つてゐる鏡花は、だから豫め警戒して、「君、これは僕が喰べるんだからそのつもりで」と、鍋の中に化切りを置くことにしてゐるのだが、私は話に身が入ると、ついうつかりと仕切りを越えて平げてしまふ。「あツ、君それは」と、鏡花が氣がついた時分にはもう遲い。その時の鏡花は何とも云へない困つた情ない顏をする。私は相濟まなくもあるが、その顏つきが又をかしくて溜らないので、時にはわざと意地惡をして喰べてしまふこともあつた。その鳥屋でもさうであつたが、芥川は鏡花が抱き胡坐をしてゐるのに眼をつけて、「抱き胡坐をする江戸ツ兒なんてあるもんぢやないな」と云つてゐた。人も知る通り鏡花は金澤人だけれども、平素江戸ツ兒がつてゐた人である。鏡花の大作家であることについては、芥川も私も無諭異存はなかつたけれども、江戸ツ兒と云ふ感じには遠い人であることにも、二人とも異論はなかつた。


京橋 京橋区。現在は中央区。
大根河岸 京橋から紺屋橋にかけて以前の京橋川河岸。神田多町の青物市場と並び称せられる大きな青物市場があった。右図を。
健啖 けんたん。好き嫌いなくよく食べること。食欲が旺盛なこと。
豫め あらかじめ。予め。物事の始まる前に、ある事をしておく。前もって。
意地悪 いじわる。わざと人を困らせたり、つらく当たったりすること。
泉鏡花。あぐらの写真。抱き胡坐 だきあぐら。全く分かりません。あぐらをして、だっこをしているのでしょうか。それとも、火鉢を抱いているのでしょうか。泉鏡花のあぐらの写真を出しておきます。
江戸ツ兒 江戸っ子。江戸で生まれ江戸で育った人。父祖以来東京、特にその下町に住んでいる人。さっぱりとした気風や、歯切れがよいが、けんかっぱやいところなどが特徴。
がっている …がる。そのように思う。そのように感じる。「うれしがる」。そのように振る舞う。そのようなふりをする。ぶる。「強がる」「痛がる」
平素 ふだん。つね日ごろ。

春着|泉鏡花①

文学と神楽坂

 大正13年、50歳の泉鏡花氏は、紅葉氏の弟子になったばかりの時を思い出しながら「春着」を書いています。登場人物は全員20歳内外で、若い時期です。

     (はる)()

大正十三年一月
あらたま春着はるぎきつれてひつれて

 少年行せうねんかうまへがきがあつたとおもふ……こゝに拜借はいしやくをしたのは、紅葉先生こうえふせんせい俳句はいくである。ところが、そのつれてとある春着はるぎがおなじく先生せんせい通帳おちやうめん拜借はいしやくによつて出來できたのだからめうで、そこがはなしである。さきに秋冷しうれい相催あひもよほし、次第しだい朝夕あさゆふさむさとり、やがてくれちかづくと、横寺町よこでらまち二階にかいあたつて、座敷ざしきあかるい、大火鉢おほひばちあたゝかい、鐵瓶てつびんたぎつたとき見計みはからつて、お弟子でしたちが順々じゆん/\、かくふそれがしも、もとよりで、襟垢えりあかひざぬけ布子ぬのこれんかしこまる。「先生せんせい小清潔こざつぱりとまゐりませんでも、せめて縞柄しまがらのわかりますのを、新年しんねん一枚いちまいぞんじます……おそりますが、帳面ちやうめんを。」「また濱野屋はまのやか。」神樂坂かぐらざかには、ほか布袋屋ほていやふ――いまもあらう――呉服屋ごふくやがあつたが、濱野屋はまのやはう主人しゆじんが、でつぷりとふとつて、莞爾々々にこ/\してて、布袋ほてい呼稱よびながあつた。

{現代語訳}新春の着物
   [俳句] 新春で新人たちは一緒に着物も着、酒も呑み
「少年行」と前書きがあったと思うが……ここで拝借したのは、尾崎紅葉先生の俳句である。ところが、おなじく新春の着物も先生の通帳の金を拝借してできたのだから妙であり、いきさつもある。秋になって肌に感じられる冷ややかさになり、それが次第に朝夕の寒さになり、やがて暮も近づくと、横寺町の紅葉先生の二階に日があたり、座敷が明るくなり、大火鉢も暖かく、鉄瓶の湯は沸騰する。そんな時を見計らって、弟子たちが順々に、こう言うのである。それがしも、襟には垢があり、穴が膝のところに開いている粗末な防寒衣をまとい、正座して、「先生、小清潔とはいえませんが、せめて縞柄だとわかるものを、新年に一枚ぐらい作りたいのです。おそれいりますが、お金を貸してください」。「また浜野屋か」。神楽坂には他に布袋屋という――いまもあるはずだが――呉服屋もある。この浜野屋の主人は、でっぷりと肥っていて、にこにこして、まさに布袋樣という呼び名があった。

春着。はるぎ。正月に着る晴れ着。春に着る衣服。春服。
あら玉。その真価や完成された姿をまだ発揮していないが、素質のある人。「新玉」では枕詞「あらたまの」が「年」にかかるところから「新玉の年」の意味で、年の始め。新年。正月。2つの掛詞でしょう。
きつれて酔いつれて。着物を一緒に着て、一緒に酒も飲んでいる
通帳を拝借。尾崎紅葉から金を借りたことにして
秋冷。しゅうれい。秋になって肌に感じられる冷ややかさ
襟垢。えりあか。衣服の襟についた垢。
膝ぬけ。穴が膝のところに開いている。
布子。綿入れのこと。庶民が胴着にして着用した粗末な防寒衣。

 
横寺町 尾崎紅葉邸の跡地図を参照。ここに尾崎紅葉氏が住んでいました。また二階は氏の書斎でした。
浜野屋 神楽坂6丁目にあったようです。新宿区立図書館の『神楽坂界隈の変遷』(1970年)に「通寺町1番地(現在は神楽坂6丁目 )に牛肉の第十八いろは、通寺町75番地(明進軒の先)に料理屋求友亭など、さすが花柳界が近いので料亭も多かった。まだこの外にも牛込勧工場、呉服の浜野屋、瓦せんべいの近江屋、茶の明治園、蒲鉾の山崎、菓子の小まつ、紙の小松屋、洋酒の青木堂、千とせ鮓、蒲焼の橋本、甘藷の児玉、しるこの松月、缶詰の越後屋、洋酒と煙草の青木堂、乾物の西川、洋傘の東条など目白押しに両側に並んでいたし、東裏通りには宮内省へ納めていた大阪鮨で有名な店があった。」と書いてあります。しかし、これ以上の記録はありません。
 が、太鼓腹たいこばら突出つきだして、でれりとして、團扇うちは雛妓おしやくあふがせてるやうなのではない。片膚脱かたはだぬぎで日置流へぎりうゆみく。獅子寺ししでら弓場だいきうば先生せんせい懇意こんいだから、したがつて弟子でしたちに帳面ちやうめんいた。たゞし信用しんようがないから直接ぢかでは不可いけないのである。「去年きよねんくれのやつがぼんしてるぢやないか。だらしなくみたがつてばかりるからだ。」「は、今度こんど今度こんどは……」「かぶつてら。――くれにはきつれなよ。」――そのくせ、ふいとつて、「一所いつしよな。」で、とほりて、みぎ濱野屋はまのやで、御自分ごじぶん、めい/\に似合にあふやうにお見立みたくだすつたものであつた。

{現代語訳] が、浜野屋の主人は太鼓腹を突出して、でれーとして、うちわを雛妓にあおがせているような人間ではない。片膚脱いで、日置流の弓を引く。獅子寺の大弓場で先生と懇意だ。したがって先生は弟子たちにとって必要な金を貸してくれるが、信用がないから直接いっても、くれないのである。「去年の暮のやつが盆を越えてもまだ返していない。だらしなく飮みたがってばかりいるからだ。」「は、今度という今度は……」「うそだろう。――この暮にはきっと入れなよ。」――そのくせ、ふいと立って、「一緒に来な。」で、通りへ出て、浜野屋に入り、自分用と各自の弟子用に似合うように見立てしたものだった。

獅子寺 曹洞宗保善寺のことです。江戸幕府三代将軍である徳川家光が牛込の酒井家を訪問し、ここに立寄り、獅子に似た犬を下賜しました。以来「獅子寺」とも呼んでいます。明治39年、保善寺は中野区上高田に移転しました。

新宿文化絵図-新宿まち歩きガイド。2010年。新宿区。

東京実測図。明治18-20年。地図で見る新宿区の移り変わり。昭和57年。新宿区教育委員会。

畏まる。身分の高い人、目上の人の前などで、謹んだ態度をとる。堅苦しく姿勢を正して座る。正座する。
帳面。帳簿。収支帳。金を貸すことでしょう
縞柄。しまがら。縦か横の筋で構成した幾何学模様
布袋。唐代末期で中国浙江省寧波市に実在した仏僧。巨大な太鼓腹にいつも半裸の僧侶は大きな袋を背負い、袋の中に身の周りの持ち物を入れて、放浪生活を送っていました。日本では七福神の一つ。
雛妓。まだ一人前にならない芸妓。半玉(はんぎょく)
日置流。へきりゅう。弓術の一派。近世弓術の祖の日置弾正正次が室町中期に創始
弓場。弓の練習をする所。尾崎紅葉氏の大弓場はここに
お株。その人の得意とする芸。「うまいことを言ってら」「おおぼらつきだな」でしょうか

 春着はるぎで、元日ぐわんじつあたり、たいしてひもしないのだけれど、つきとあしもとだけは、ふら/\と四五人しごにんそろつて、神樂坂かぐらざかとほりをはしやいで歩行あるく。……わかいのが威勢ゐせいがいゝから、だれも(帳面ちやうめん)をるとはらない。いや、つてたかもれない。道理だうりで、そこらの地内ちない横町よこちやうはひつても、つきとほしかうがいで、つまつて羽子はねいてが、こゑけはしなかつた。割前勘定わりまへかんぢやうすなは蕎麥屋そばやだ。とつても、まつうちだ。もりかけとはかぎらない。たとへば、小栗をぐりあたりいもをすゝり、柳川やながははしらつまみ、徳田とくだあんかけべる。しやくなきがゆゑに、あへ世間せけんうらまない。が、各々おの/\その懷中くわいちうたいして、憤懣ふんまん不平ふへい勃々ぼつ/\たるものがある。したがつて氣焔きえんおびたゞしい。
 のありさまを、たか二階にかいから先生せんせいが、

あらたま春着はるぎきつれてひつれて

 なみだぐましいまで、可懷なつかしい。

{現代語訳} この新春のお祝いで、着物を着て、元日には、たいして酔いもしないのだが、目つきと足もとだけは、ふらふらと四五人揃って、神楽坂の通りをはしゃいで歩いている。……若いのが威勢がいいから、誰も(金を借りて)いるとは知らない。いや、知っていたかもししれない。道理で、そこらの地内や横町にはいっても、芸者たちはかんざしや羽子板をついているが、声を掛けてはくれない。ええい、割り勘だ。蕎麦屋に行こう。と言っても、松の内なので、もりそばやかけそばとは限らない。たとえば、小栗氏はヤマイモの根っこをすすり、柳川氏はホタテガイをつまみ、徳田氏があんかけを食べている。お酌はしないので、あえて世間は恨まない。が、各々その懐中に対して、憤懣や不平には勃々たるものがある。したがって気炎もおびただしい。
 このありさまを、高い二階から先生が、
  [俳句] 新春で新人たちは一緒に着物も着、酒も呑み
 涙ぐましいまで、なつかしい。

帳面。帳簿。収支帳。つまり金を借りていること。
地内。一区域の土地の内。なお、「寺内」と書くとかつて行元寺という寺があり、牛込肴町と呼ばれていた、現在神楽坂5丁目の地域を指す。
つきとほす。つきとおす。突き通す。突いて裏まで通す。突き抜く。つらぬく。
笄。こうがい。女性の(まげ)に横に挿して飾りとする道具。
褄を取る。芸者になる。芸者が左褄をとって歩くことから。
羽子。ムクロジの種に穴をあけ、色をつけた鳥の羽を4、5枚さしこんだもの。羽子板でついて遊ぶ。はね。つくばね。
の。以上は芸者や芸妓、雛妓のことです。
割前勘定。これから「割り勘。割勘。わりかん」に。費用を各自が均等に分担すること。また、各自が自分の勘定を払うこと。
松の内。正月の松飾りのある間。元旦から7日か15日まで。
もり。もりそば。盛り蕎麦。蕎麦を冷たいつゆをかけて食べる麺料理。
かけ。かけそば。蕎麦に熱いつゆをかけて食べる麺料理。
あたり芋。擂り芋。ヤマノイモの根をすりおろしたもの。醤油や酢で食べたり、とろろ汁にする。
はしら。ホタテガイ、イタヤガイなどの肉柱を加工した食品。
あんかけ。くず粉やかたくり粉でとろみをつけた料理。
お酌。酌をする女。酌婦。一人前になっていない芸者。
懐中。ふところやポケットの中。また、そこに入れて持っていること。
憤懣。いきどおって、発散させず、心にわだかまる怒り。
勃々。勢いよく起こり立つさま。
気焔。きえん。気炎。燃え上がるように盛んな意気。議論などの場で見せる威勢のよさ

春着|泉鏡花②

文学と神楽坂

 牛込うしごめはうへは、隨分ずゐぶんしばらく不沙汰ぶさたをしてた。しばらくとふが幾年いくねんかにる。このあひだ、水上みなかみさんにさそはれて、神樂坂かぐらざか川鐵かはてつ鳥屋とりや)へ、晩御飯ばんごはんべに出向でむいた。もう一人ひとりつれは、南榎町みなみえのきちやう淺草あさくさから引越ひつこしたまんちやんで、二人ふたり番町ばんちやうから歩行あるいて、その榎町えのきちやうつて連立つれだつた。が、あの、田圃たんぼ大金だいきん仲店なかみせかねだはしがかり歩行あるいたひとが、しかも當日たうじつ發起人ほつきにんだとふからをかしい。
 途中とちう納戸町なんどまち(へん)せまみちで、七八十尺しちはちじつしやく切立きつたての白煉瓦しろれんぐわに、がけちるたきのやうな龜裂ひゞが、えだつて三條みすぢばかり頂邊てつぺんからはしりかゝつてるのにはきもひやした。その眞下ましたに、魚屋さかなやみせがあつて、親方おやかた威勢ゐせいのいゝ向顱卷むかうはちまきで、黄肌鮪きはださしみ庖丁ばうちやうひらめかしてたのはえらい。……ところ千丈せんぢやうみねからくづれかゝる雪雪頽ゆきなだれしたたきゞよりあぶなツかしいのに――度胸どきようでないと復興ふくこう覺束おぼつかない。――ぐら/\とるか、おツとさけんで、銅貨どうくわ財布さいふ食麺麭しよくパン魔法壜まはふびんれたバスケツトを追取刀おつとりがたなで、一々いち/\かまちまですやうな卑怯ひけふうする。……わたしおほい勇氣ゆうきた。

[現代文] 牛込のほうは、随分しばらくの間、ご無沙汰であった。しばらくというが、何年にもなる。この間、水上滝太郎さんに誘われて、神楽坂の川鉄(鳥屋)へ、ご飯を食べに出向いた。もう一人の連れは南榎町に浅草から引っ越しした万ちやんこと、久保田万太郎さんで、水上さんと番町から歩いて、南榎町で久保田さんと一緒になり、川鉄に行ったのである。だが、浅草田甫の大金(鳥屋)と仲見世の金田(鳥屋)に橋を回って歩いた久保田万太郎さんが当日の発起人だというのだから、おかしい。
 途中、納戸町のあたりの狭い道で30メートルの真新しい白煉瓦は、まるで崖を落ちる滝のような亀裂が、三条ぐらいの小枝に別れて、頂点から走っていている。これは肝を冷やした。その真下に、魚屋の店があり、威勢のいい親方が鉢巻を前にかぶり、魚のキハダに刺身包丁を閃かしている。本当に偉い。外で見ると、3000メートルの峰から崩れかかる雪崩がある下で薪を作るよりも危ないのに、この度胸がないと復興は出来ない。ぐらぐらと地震が来ると、おっと叫び、銅貨の財布と食パンと魔法瓶を入れたバスケットをあわてて掴み、玄関まで飛び出すような意気地なしはどうする。私は大いに勇気を得た。

南榎町。南榎町は以下の地図で左上の多角形です。このなかのどこかに久保田万太郎さんが住んでいたはずですが、これ以上はわかりません。
番町。千代田区観光協会によれば、泉鏡花は麹町区下六番町11(現在は千代田区六番町7番地)の建物水上滝太郎は下六番町29(現在は六番町2番地)の建物に住んでいました。以下の地図で矢印の場所です。
連立。三人の場所と鳥屋「川鉄」を書いています。
田圃。浅草田甫。浅草公園の裏は昔は田圃がいっぱいだったと言います。久保田万太郎氏の「『引札』のはなし」で、「たとへば浅草公園裏の、そこがまだ田圃の名残をとゞめてゐた時分からの、草津といふ宴会専門の料理屋の広告に、「浅草田甫、草津」とことさらめかしく書いてあつたり(中略)するのをみるとたまらなく可笑しくなる」と出ています。
大金。だいきん。浅草田甫にあった「大金」は 鳥肉の料理を出す飲食店でした。
仲店。仲見世。東京都台東区の地名。浅草寺(せんそうじ)の門前町として発達。
かねだ。金田。同じく鳥肉の料理を出す飲食店。久保田万太郎氏の「浅草の喰べもの」では「鳥屋に、大金、竹松、須賀野、みまき、金田がある。」と書いてあります。
橋がかり。建物の各部をつなぐ通路として渡した橋。渡殿。渡り廊下。二つの建物をつなぐ廊下。回廊。
納戸町。上図で納戸町と書いた場所。
七八十尺。1尺は約30cmなので、約21~24メートル。
切立。仕立ておろして間もないこと。新しい。
枝を打つ。わき枝を切る。しかし、ここでは「小枝に別れて」という意味でしょう。
向鉢巻き。前頭部で結んだ鉢巻き。
黄肌鮪。きはだ。きはだまぐろ。黄肌鮪。紅色が鮮やかなさっぱり上品な味。
さしみ庖丁。刺身を作るのに用いる包丁。刃の幅が狭くて刀身が長い。
千丈。1丈の1000倍(約3000メートル)。または非常に長いこと。
樵る。こる。山林の木を切る。
追取刀。おっとりがたな。押っ取り刀。腰に差すひまもなく、刀を手にしたままである。緊急の場合に取るものも取りあえず駆けつける様子をいう。
框。かまち。床板などの切断面を隠すために取り付ける化粧用の横木。玄関などの上がり口に付ける上がり框など。
卑怯。気が弱く意気地がないこと。弱々しい。

 が、吃驚びつくりするやうな大景氣だいけいき川鐵かはてつはひつて、たゝきそば小座敷こざしき陣取ぢんどると、細露地ほそろぢすみからのぞいて、臆病神おくびやうがみあらはれて、逃路にげみちさがせやさがせやと、電燈でんとうまたゝくばかりくらゆびさしをするにはよわつた。まだんだまゝの雜具ざふぐ繪屏風ゑびやうぶしきつてある、さあお一杯ひとつ女中ねえさんで、羅綾らりようたもとなんぞはもとよりない。たゞしその六尺ろくしやく屏風びやうぶも、ばばなどかばざらんだが、屏風びやうぶんでも、駈出かけだせさうな空地くうちつては何處どこいてもかつたのであるから。……くせつた。ふといゝ心持こゝろもち陶然たうぜんとした。第一だいいちこのいへは、むかし蕎麥屋そばやで、なつ三階さんがいのものほしでビールをませた時分じぶんから引續ひきつゞいた馴染なじみなのである。――座敷ざしきも、おもむきかはつたが、そのまゝ以前いぜんおもかげしのばれる。……めいぶつのがくがあるはずだ。横額よこがく二字にじ、たしか(勤儉きんけん)とかあつて(彦左衞門ひこざゑもん)として、まるなかに、しゆで(大久保おほくぼ)といんがある。「いかものも、あのくらゐにると珍物ちんぶつだよ。」と、つて、紅葉先生こうえふせんせいはそのがく御贔屓ごひいきだつた。――屏風びやうぶにかくれてたかもれない。

 まだおもことがある。先生せんせいがこゝで獨酌どくしやく……はつけたりで、五勺ごしやくでうたゝねをするかただから御飯ごはんをあがつてると、隣座敷となりざしきさかんに艷談えんだんメートルをげるこゑがする。まがふべくもない後藤宙外ごとうちうぐわいさんであつた。そこで女中ぢよちうをして近所きんじよ燒芋やきいもはせ、うづたかぼんせて、かたはらへあの名筆めいひつもつて、いはく「御浮氣おんうはきどめ」プンとにほつて、三筋みすぢばかり蒸氣けむところを、あちらさまから、おつかひもの、とつてた。本草ほんざうにはまいが、あんずるに燒芋やきいもあんパンは浮氣うはきをとめるものとえる……が浮氣うはきがとまつたかうかは沙汰さたなし。たゞ坦懷たんくわいなる宙外君ちうぐわいくんは、此盆このぼんゆづりうけて、のままに彫刻てうこくさせて掛額かけがくにしたのであつた。

[現代文] が、びっくりするぐらい景気がいい川鉄に入って、土間の側の小さな座敷に陣取ると、臆病神が、細い路地の隅から現れ、逃げる道を探せよ探せよといってくる。電灯が閃くまもなく、暗い場所を指さしするのは弱った。積んだままの雑多な道具は絵屏風で仕切っている。さあ、一杯いかがと女中さんが声をかけてくるが、美しい衣服が似合う女中さんはどこにもいない。2メートル弱の屏風は飛んだが飛ばないかはわからないが、飛んださきの空き地はどこにもない。……そのくせ、酔った。酔うという心持ちに酔いしれた。第一この家は、昔はそば屋で、夏は三階の物干しでビールを飲んだ時からの馴染みだ。――座敷も、味わいこそ違うが、そのままの姿がある。……名物の額があるはずだ。横に二字。たしか(勤倹)とか書いてあり、(彦左衛門)として丸の中で朱色で(大久保)というハンコがあった。「いかさまでも、あれぐらいになると、珍品だよ」といって、尾崎紅葉先生はその額が大好きだった。――額は屏風に隠れていたかもしれない。

 まだ思い出すことがある。尾崎先生がここで、ひとりで酒をついで飲む……のはつけたしだが、90mLでうたたねをするほうだから、ご飯をあがっていると、隣の座敷で盛んに艷談をしながら、酒を沢山飲んでいる声がする。疑いはなく後藤宙外さんだった。宙外さんは近所で女中に焼き芋を買ってもらい、うずたかく盆に載せ、傍らにはあの名筆で書いたのは「浮気どめ」。焼き芋はぷんと匂って、三筋ほどの湯気がたって、あちら様から、贈り物ですと言って、持ってきた。「本草学」にはでていないだろうが、案ずるに焼き芋とあんパンには浮気をとめる力があるようだ。……本当に浮気がなくなったのかは、不明だが、ただおおらかな宙外君はこの盆を譲り受けて、そのまま彫刻をして掛け額にしたのである。

吃驚。びっくり。意外や突然なことに驚くこと。
たたき。三和土。土やコンクリートで仕上げた土間床。ここでは厨房を指す。
瞬くばかり。一瞬。
雑具。ざつぐ。ぞうぐ。種々雑多な道具
羅綾。らりょう。うすぎぬとあやぎぬ。美しい衣服
六尺。一尺の六倍。曲尺で約1.8メートル。
飛ばば。飛ぶことができれば
陶然。酒に酔ってよい気持ちになる。
なじみ。馴染み。本来は「馴染み客」で、いつも来てなれ親しんでいる客
趣。風情のある様子。あじわい
俤。おもかげ。面影。記憶によって心に思い浮かべる顔や姿
勤倹。仕事にはげみ、むだな出費を少なくすること。勤勉で倹約すること。
いかもの。本物に似せたまがいもの。
珍物。ちんぶつ。珍しい物。珍品
独酌。どくしゃく。ひとりで酒をついで飲むこと。
勺。しゃく。尺貫法の容積の単位。1勺は約18ミリリットル。5勺は約90mL。
艷談。男女の情事に関する話。
メートルをあげる。酒を沢山飲んで勢いづく。
本草。ほんぞう。「本草学」の略。中国の薬物の学問で、薬物についての知識をまとめたもの。
坦懐。あっさりした、おおらかな気持ち。