カテゴリー別アーカイブ: 泉鏡花

野田宇太郎|文学散歩|牛込界隈②

文学と神楽坂

 野田宇太郎氏の『東京文学散歩 山の手篇下』(昭和53年、文一総合出版)②は、泉鏡花の話です。

   鏡花新婚の地

 牛込横寺町の恩師尾崎紅葉の門を出た鏡花は、博文館大橋乙羽の家や、小石川大塚町、牛込南榎町などを転々としたあと、明治三十六年(一九〇三)三月にはかねて相愛の伊藤すずと結婚して神楽坂町一丁目の裏通りにひそかな新居を持ち、まもなくその年十月には紅葉を喪ったが、明治三十九年二月に健康を(そこな)って逗子に転地するまで、そこに住んでいた。
 神楽坂は表通りから一歩横丁に入ると、今でも料亭や待合などが多い。昔から山の手の花柳街としで知られていた。鏡花夫人のすずはもと神楽坂で藝名を桃太郎という、まだあまり世馴れせぬ藝者であった。明治三十二年一月のこと、そこのとある料亭で紅葉を盟主とする硯友社の新年会が催されたとき、紅葉に従って席に連なった鏡花は藝名桃太郎のすずと親しむようになった。それには鏡花の亡母の名もまたすずで、その偶然が二人を強く結ぶ原因だったと、いかにも鏡花らしい説も伝えられている。だがまだ若く文学者としての前途も険しい鏡花が、神楽坂の藝者を身受けしてまで結婚することに反対した紅葉は、二人の仲を認めようとしなかった。恩師の眼をおそながらも、鏡花とすずの逢う瀬はひそかにつづけられ、ようやくすずが前借などを返して苦界から足を洗うことになったとき、二人はついに同棲した。それが神楽坂裏通りの家である。(この章は以下略)

人文社「戦前昭和東京散歩」(2004年)から。大塚町57番地は赤丸。

博文館 1887年、大橋佐平が東京本郷で創業した出版社。高山樗牛を主幹とする「太陽」、巌谷小波編集の「少年世界」、硯友社と結んだ「文芸倶楽部」、田山花袋編集の「文章世界」などの雑誌を刊行。「帝国百科全書」全200巻(1898‐1909)は10年の歳月をかけている。大正から昭和初頭にかけて、新たな出版社も台頭し、出版王国もしだいに退潮していった。
大塚町 小石川区大塚町57番地で、右図です。寺木定芳氏の『人・泉鏡花』(昭和18年、武蔵書房)では「小石川大塚町に居を卜されたのは明治廿九年の五月だつた。有名な火藥庫のすぐ側で、未だ血氣盛んだつたのと、懷工合で致方なかつた爲なので、其の後の先生なら火藥庫ときいたゞけで、おぞ毛をふるつて逃げだしたらうが、其の時は平氣だつた」と書いてあります。
伊藤すず 明治32年1月、硯友社の新年宴会で、泉鏡花(満25歳)は神楽坂の芸妓桃太郎(本名伊藤すず、生年は明治14年9月24日。この年齢は17歳)を初めて知ります。
神楽坂町一丁目 新居は一丁目ではなく、二丁目でした。ここです。
喪う うしなう。大切な人に死なれる。
害う そこなう。がいす。成長をとめる。傷つける。
とある料亭 神楽坂の常盤という料亭です。
惧れ うまくいかないのではないかと,あやぶむこと。もとは「懼れ」の俗字。
逢う瀬 おうせ。会う時。特に、愛し合う男女がひそかに会う機会。
苦界 苦しみの多い世界。人間界。遊女のつらい境遇。公界

 以下の文章はここで省略。それでも注釈はつけてあります。
 

寺木定芳 歯科医。鏡花の門人。鏡花の親睦会九九九会の幹事。生年は明治16年2月16日。没年は昭和47年11月3日。享年は満89歳。
思い出 昭和十五年の思い出はわかりませんでした。昭和18年、寺木定芳氏の『人・泉鏡花』では「此の家は、新宅といふにふさはしい、ほんとの新築の二階家だつた。牛込見附から神樂坂へだら/\と五、六間登ると、すぐ左手に細い横町かある。其處を左へ折れて又五六間、表通の坂と平行に右手へ曲つて少し登ると、すぐ左手にあつた、小さいが、誠に瀟洒とした一構で、横手に堀井戸があつて其處からすぐ、臺所や勝手口になつてゐる」と書いてあります。右図は籠谷典子編著「東京10000歩ウォーキング 文学と歴史を巡る。No. 13 新宿区 神楽坂・弁天町コース」(明治書院、2006年)の図ですが、現在はこの建物もなくなり、すべてが東京理科大学に変わりました。
仮普請 かりぶしん。一時しのぎの簡単な建築。
掘井戸 地面を掘って作った井戸
物理学校 東京物理学校。1881年に東京府に設立。私立の物理学校(旧制専門学校)。略称は「物理学校」。現在の東京理科大学の前身。
因縁 前々からの関係。縁。 由来。来歴。いわれ。

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龍膽と撫子|泉鏡花

文学と神楽坂

「龍膽と撫子」は大正11年から12年にかけて、泉鏡花氏が書いた未完の小説です。龍膽は「リンドウ」、撫子は「ナデシコ」と読み、どちらも花の名前です。この1部分は、最初は簡単に見えて、でも後半に行くと、なんだかよくわかりません。

 問題は(なべ)と書いた小料理屋です。その名前と場所は何なのでしょうか。

 神樂坂かぐらざかまちは、まつたひらけた、いまあのむねたかそろへた表通おもてどほりの家並やなみては、薄暗うすぐらのきに、はまぐりかたちを、江戸繪えどゑのはじめごろのやうなしよくいろどつて、(なべ)としたにかいた小料理これうりがあつたものだとはたれおもふまい。またあつてもひとにはかなからう。もつと横町よこちやう裏道うらみちことふのではない。現今げんこんカフエーにかはつたが以前いぜん毘沙門天びしやもんてんならびところに一けんあつた。時分じぶんは、土間どまはもとよりだが、二階にかいへもきやくとほした。入込いりこみおもて二階にかいと、べつ一間ひとまめうに一だんトンとひくくなつて、敷居しきゐまたいで六でふりる。すわると、うへへやたゝみよりは身體からだひくくなる部屋へやがあつた。島田しまだつた、あかぬけのしたねえさんが、唐棧たうざんがらものに繻子くろじゆすえり晝夜帶ちうやおび前垂まへだれがけで、きちんとして、さけやすくても、上手じやうずしやくをした。
 とほりすがりに、光景くわうけいおもふと、なんだか、まぼろしくも屋造やづくりに、そらごとうつしたもののやうながする。……たゞ七八ねん間隔てだたりぎないが、たちまちアスパラガスのみどりかげに、長方形ちやうはうけいしろいしたく順々じゆん/\に、かすみ水打みづうつたやうにならべたおもむきかはつたのである。
 就中なかんづくいちじるしいのは、……うしろが岩組いはぐみがけづくりつて、一面いちめん硝子戸がらすどしきつたおくところの、天井てんじやうが一だんたかい――(すなは以前いぜんだんひくかつた裏二階うらにかい小部屋こべやしたそれあたる)――其頃そのころだと、わん茶碗ちやわん板頭いたがしらに、お手輕でがる料理れうり値段ねだんづけを張出はりだしたかべわきの床柱とこばしらに、葱鮪ねぎまねぎ失禮しつれいしたかとおも水仙すゐせん竹筒たけづつかつたのを……こゝでは、硝子ビイドロなか西洋豌豆花スウィートピが、給仕きふじをんなの、種々さま/\なキスしたあとのくちびるのやうないろされて、さて、その給仕きふじは、しろのエプロンで明滅めいめつかつ往来わうらいする。
 こゝにおいて、蛤鍋はまなべ陽炎かげろふ眞中まんなかに、島田しまだ唐棧柄たうざんがらをんなおもふと、あたかもそれが安價あんかなる反魂香はんごんかう現象げんしやうて、一種いつしゆ錯覺さくかくかんぜざるをない。……それはまだい。もつと近代きんだいひとたちは、蛤鍋はまなべ風情ふぜいを、ねずみ嫁入よめいりすひものをるやうに、あかる天井てんじやうあふであらう。

[現代語訳]神楽坂の町は、全く開けた。表通りの家並みはどれも高くなった。薄暗いひさしにぶら下がった蛤の絵があり、錦絵の初めの頃に見た3色に彩って、下に(なべ)と書いた小料理店があったとは、誰も思わないだろう。また、我々の目に留まることもないだろう。もっとも横丁や裏道のことをいっているのではない。今はカフェーにかわっているが、以前は毘沙門天と並んで、そんな一軒があったのだ。そのころは、土間はもちろん、2階にも、客ははいっていた。通りに接した2階は人が多いが、ほかにひと間、敷居をまたいで、妙に一段だけ低くなって、大きさは六畳、座ると、上の部屋から見えるが、畳よりも体が低くなる、そんな部屋だった。島田髷を結い、洗練した女性が働いて、唐棧柄の着物、黒繻子の襟、表と裏に別の生地を使った帯、前がけをしていて、きちんとして、酒は安いが、上手にお酌をした。
 通りすがりに、この光景を思うと、なんだか、まぼろしの雲の中に家屋があり、絵空事を映したもののような気がする。……ただ七八年の間隔に過ぎないが、これがたちまち、アスパラガスの緑のかげがあり、長方形の白い石のテーブルが順々に、霞に水をまくように並べたという趣に変わったのである。
 なかでも、著しいのは、……この店舗は、後に岩石を配置し、床下を支え、硝子戸で仕切り、奥のところには天井が一段高くなり――(すなわち以前に一段低かった裏二階の小部屋の下にあたる)――そのころには、壁わきの床柱で、椀、茶碗を先頭に、お手軽料理の値段づけを張出して、葱鮪の葱を失礼するかと思う水仙が竹筒に生けてあった……ここでは、ガラスの中にスウィートピーがはいり、給仕女は、種々なキスしたあとの唇のような色を配置し、さて、その給仕は、白のエプロンをひらめかし、あちらこちらの場所で出現している。
 ここで、蛤鍋の陽炎は真ん中にあり、島田髷で唐棧柄の女性を思うと、あたかも死者の姿があらわる安価な香の現象にも似て、一種の錯覚を感ずるをえない。……しかし、これではまだいい。もつと近代的な人たちは、その蛤鍋の風情を見て、鼠の嫁入りの絵がはいった吸いものを見るように、明るい天井を仰ぐであろう。

 と、最後は何だかわかりません。

小料理

 大正3~4年に、毘沙門天のならびに、小料理店があり、のちにカフェにかわったというのですが、これは、どこで、何なのでしょうか。神楽坂にカフェは多くはなく、毘沙門天のならびで、近くにあるのは「白十字」だけです。神楽坂アーカイブズチーム編「まちの想い出をたどって」第3集「肴町よもやま話③」では、この「白十字」ができる以前には「明治食堂」があったといいます。

相川さん その大田の半襟屋の隣が荒物屋さんだったね。それで、その隣が米屋さんのあとへ「明治食堂」っていう食堂が来た。その食堂のある時分に明治製菓が借りて、そのあとへ「白十字」が来た。白十字は戦争の最中にあったんだよ。

 この「明治食堂」が(なべ)と書いた小料理店だったのでしょうか。なお、「明治食堂」は現在の「椿屋珈琲店」になりました。

唐棧

江戸繪 一枚刷りの極彩色の江戸役者絵。浮世絵の前身になった。2、3色刷りからしだいに多彩となり、錦絵として人気を博した。
三色 寛保末頃、紅色と緑色(藍色、黄色)の2~3色を印刷する方法が開発。紅摺べにずりといわれたそうです。これでしょう。
現今 いま。現在
土間 建築内部は床を張らず、地面のままか、三和土たたき、石、煉瓦などにしたところ。
ならび 並ぶこと。並んでいるもの。列。
入込 差別なく入りまじること。人が入りまじって集まっていること。雑踏。
表2階 玄関に近いほう、目立つ方、前面・正面になる方の2階。
島田 島田まげのこと。日本髪の代表的な髪形。前髪とたぼを突き出させて、まげを前後に長く大きく結ったもの。
あかぬけのした 洗練されている
唐桟 紺地に浅葱あさぎ・赤などの縦の細縞を織り出した綿織物。
繻子 しゅす。繻子織りにした織物。縦糸と横糸とが交差する点が連続することなく、縦糸か横糸だけが表に現れるような織り方。
昼夜帯 表地と裏地が異なるものを合わせて仕立てた女帯。もとは黒繻子に白の裏を付け、昼夜に見立てたもの。
前垂がけ まえだれがけ。帯のあたりから体の前面に下げて、衣服の汚れを防ぐ布。
屋造 家の構え。家屋の構造。
絵そら事 絵空事。大げさで現実にはあり得ないこと。
 机。テーブル。
水打つ 街路や路地などにたつちりほこりをしずめるために水をまくこと
 風情のある様子。あじわい。
かはつた 「かわった」でしょう。
就中 その中でも。とりわけ。
岩組 いわぐみ。庭園の岩石の配置。立て石。石立て。岩が入り組んでいる所。
崖づくり 崖や池などの上に建物を長い柱と貫で固定し、床下を支える建築方法。
画る かくする。線を引く。物事をはっきり分ける。区分する。
裏二階 表面と反対の面の2階。
板頭 「板頭」は、江戸時代、岡場所で最も多額の揚げ代をかせぐ遊女。「板元」は「料理場」「料理人」。「最初の料理]の意味?
床柱 床の間の片方の、装飾的な柱。
葱鮪 ねぎとまぐろを煮た料理。鍋料理と汁物があるが、鍋をいうことが多い。
硝子 ポルトガル語のvidroから。ガラスのこと。
西洋豌豆花 香豌豆。スイートピー Sweet pea のこと。
插す 刺す。細長い物を他の物の間に入れる。
明滅 あかりがついたり消えたりすること
往来 行ったり来たりすること。行き来。
蛤鍋 蛤のむき身と焼豆腐・ねぎなどを味噌や塩で味をつけ、煮ながら食べる鍋料理。はまなべ。
陽炎 強い日射で地面が熱せられるか、焚き火などを通して遠くを見ると、その物体が細かくゆれたり形がゆがんで見える現象。揺らめき。
 夫のある女性。女性。婦人。
反魂香 反魂香。はんこんこう。はんごんこう。焚くとその煙の中に死んだ者の姿が現れるという伝説上の香。
 裏。逆。内部。心の中。腹。
鼠の嫁入り ネズミの夫婦が秘蔵の娘に天下一の婿をとろうとして、次々に申し込むが、結局は同じ仲間のネズミを選ぶ。まず、太陽のところに行くと、太陽は雲に遮られると光が届かないので雲のほうが偉いという。そこで雲に相談すると、雲は風には吹き飛ばされてしまうので風のほうが偉いという。次に風に頼むと、いくら吹いても遮る壁にはかなわないという。そこで壁を訪ねると、壁をかじって穴をあけてしまうネズミがいちばん偉いといい、結局は同じ仲間のネズミから婿をとる。あれこれ迷っても平凡なところに落ち着く。
仰ぐ 上を向いて高い所を見る。見上げる。

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うを徳開店披露|泉鏡花

 

文学と神楽坂

 泉鏡花が大正九年三月に書いた「うを徳」の開店披露の祝辞です。「うを徳」は料亭で、現在も神楽坂3丁目にあります。

 魚德うをとく開店かいてん披露ひろう

 それあたり四季しき眺望ながめは、築土つくどゆき赤城あかぎはな若宮わかみやつき目白めじろかね神樂坂かぐらざかから見附みつけ晴嵐せいらん緣日えんにちあるきの裾模樣すそもやう左褄ひだりづま緋縮緬ひぢりめんけてはよるあめとなる。おほり水鳥みづとり揚場あげばふね八景はつけい一霞ひとかすみ三筋みすぢいと連彈つれびきにて、はるまくまつうち本舞臺ほんぶたい高臺たかだいに、しやちほこならぬ金看板きんかんばん老舗しにせさらあたらしく新築しんちく開店みせびらき御料理おんれうり魚德うをとくと、たこひゞききにぞ名告なのりたる。うをよし、さけよし、鹽梅あんばいよし、最一もひと威勢ゐせいことは、此屋ここ亭主ていしゆ俠勢きほひにして、人間にんげんきたる松魚かつをごとし。烏帽子ゑぼしことや、蓬萊ほうらい床飾とこかざりつるくちばしまなばしの、心得こゝろえはありながら、素袍すはうにあらぬ向顱巻むかうはちまき半纏はんてんまくに、庖丁はうちやううでたゝ。よしそれ見得みえわすれ、虚飾かざりてて、只管ひたすらきやく專一せんいつの、獻立こんだて心意氣こゝろいき割烹かつぽう御仕出おんしだしは正月しやうぐわつより、さて引續ひきつゞ建増たてましの、うめやなぎいろ座敷ざしき五分ごぶすかさぬ四疊半よでふはんひらくや彌生やよひ大廣間おほひろま、おん對向さしむかひも、御宴會ごえんくわいも、お取持とりもち萬端ばんたんきよらかに、お湯殿ゆどのしつらへました。これもみな贔屓ごひいき愈々いよ/\かげかうむたさ。お心置こゝろおきなく手輕てがるに、永當えいたう々々/\御入おんいらせを、ひとへねがたてまつる、と口上こうじやうひたかろう、なん魚德うをとくどうだ、とへば、亭主ていしゆ割膝わりひざひざつて、ちげえねえ、とほりだ、とほりだ、えねえと、威張ゐばるばかりで卷舌まきじたゆゑ、つゝしんだくちかれず、こゝおい馴染なじみがひに、略儀りやくぎにはさふらへど、一寸ちよいと代理だいり御挨拶ごあいさつ
(大正九年三月吉日)

 翻訳はなにか非常に難しい。言葉の洒脱と、中身よりもリズムがいい五七調や七五調などでできています。

[現代語訳]このあたりの、四季を眺めてみよう。筑土の雪、赤城の桜、若宮の月、目白の鐘、そして、神楽坂から牛込見附にかけての霞。
 縁日になって歩いていると、裾に模様、左の褄には緋色の縮緬をきた人(芸者)がいる。夜になると、雨が降る。お堀の水鳥、揚場の船。この八景にも霞がかかる。三味線の連奏が聞こえてくる。
 春がきて、正月で松飾りがある間、晴れの舞台で高台に、金文字の看板で、老舗はさらに新築の店開き。料理店の「うを徳」だと、凧の響きに似て、そう名乗ろう。
 魚の生きがよく、酒はいいし、味もうまい。もうひとつ、威勢がいいのは、ここの亭主だ。気っ風がよく、まるで活きたカツオのようだ。
 烏帽子もいいが、床の間を飾るのは外国製、鉄の工具やまな箸の心得はできる。江戸時代の服ではなく向こう鉢巻をかぶり、半纏の腕まくり、包丁で腕をたたく。見栄を忘れ、飾りを棄て、ただひとつ、お客様のことだけを考えて、献立をつくる気構え。正月からこの割烹店は仕出しする。
 更に建て増しするのは「梅の香」「柳の色」の座敷。少しも声を通さない四畳半を開けると「弥生」の大広間。差し向かいでも、宴会でも、もてなしはどこをとっても清らかに。お風呂もつくりました。皆様、ますますもってご贔屓を賜りますように、来店の時には気兼ねは不要、お手軽に、末永く、お願いします……
 と、挨拶はこう言いたいところだ。うを徳、どうだ、と聞くと、亭主は正座して見栄をはり「違いねえ、その通りだ、違いねえ、その通りだ」と、威張るだけ。巻き舌があるので、うやうやしい口はできない。よく知っている亭主だし、ここで、略式ではありますが、ちょっと代理のご挨拶。

魚徳 当時は魚屋です。現在は料亭「うを徳」です。
築土赤城若宮目白見附揚場 全て周辺地域の名前です。
 目白下新長谷寺(旧目白不動)の鐘は、江戸時代に時刻を知らせる「時の鐘」の1つでした。
晴嵐 晴れた日に山にかかるかすみ。晴れた日に吹く山風
裾模様 着物の上半分を地染めした無地のままに残し、裾回りにだけ模様を置いたもの。衣装全体に模様を施すより手間が省ける。
左褄 和服の左の褄。褄は長着のすその左右両端の部分。
緋縮緬 ひぢりめん。緋色にそめた縮緬。多く婦人の長襦袢じばん、腰巻などに使う。縮緬とは表面に細かいしぼのある絹織物。
八景 八つのすぐれた景色。中国の瀟湘しようしよう八景が起源。日本では近江八景や金沢八景など。
一霞 一面におおうかすみ。一すじのかすみ。いっそう。ひとしお。見渡すかぎり。
三筋 三味線。三本のすじ。
連弾 つれびき。琴・三味線などを二人以上で奏すること。連奏。添え弾き。
松の内 正月の松飾りのある間。元旦から7日か15日まで。
本舞台  歌舞伎の劇場で、花道・付け舞台などを除いた正面の舞台。地方の劇場の舞台に対して、中央の劇場の舞台。本式に事を行う晴れの場所。ひのき舞台。
高台 周囲の土地よりも高くて、頂上が平らになっている所。実際にお濠よりは高くなっています。
 城などの屋根の大棟おおむねの両端につける想像上の海獣をかたどった金属製・瓦製などの飾り物。
金看板 金文字を彫り込んだ看板。世間に対して誇らしく掲げるしるし。世間に堂々と示す主義・主張・商品など。
塩梅 あんばい。飲食物の調味に使う塩と梅酢。食物の味かげん。
俠勢 「俠」は「おとこぎ。俠気」。「勢」は「いきおい。力。」。「任侠」は弱い者を助け、強い者をくじき、命を惜しまない気風。
松魚 カツオ。鰹。堅魚。たたき、煮物、かつお節、缶詰などに使う。
烏帽子 日本における男子の被り物の一種
蓬莱 ホウライ。台湾の異称。
床飾 掛物をかけたり、花・置物などを置いて、床の間を飾ること。その掛物など。
鶴の嘴 つるはし。鶴嘴。堅い土を掘り起こすときなどに用いる鉄製の工具。
まなばし 真魚箸。魚を料理するときに用いる長い箸。
素袍 上下二部式の衣服。武士が常服として用いた。
向こう鉢巻 結び目が額の前にくるようにして締めた鉢巻き。
半纏 半天。和服の一種。労務用と防寒用。普通の羽織と異なる点は、襟返しがないこと、前結びの紐がないこと。
捲り手 まくりで。腕まくり。袖まくり。
敲く 手や手に持った固い物で、物や体に強い衝撃を与える。打つ。目的は、破壊、音を出す、攻撃、注意を喚起、確認、その他いろいろ。
見得 見た目。外見。みば。みかけ。体裁。人の目を気にして、うわべ・外見を実際よりよく見せようとする態度。
専一 せんいつ。せんいち。他の事を考えずに、ただ一つの事柄に心を注ぐこと。
献立 料理の種類、内容、供する順序。
心意気 物事に積極的に取り組もうとする気構え。意気込み。気概。
割烹 食物の調理。料理。日本料理店。
建増 たてまし。現在ある建物に新しく部屋などを建て加えること。増築。
五分 ごくわずかな量・程度
彌生 弥生。草木がますます生い茂ること。陰暦3月。
対向 向き合うこと
取持 人をもてなすこと。もてなし。
万端 ある物事についての、すべての事柄。諸般。
湯殿 入浴するための部屋。浴室。風呂場。
しつらえる ある目的のための設備をある場所に設ける。
贔屓 気に入った人に特に目をかけ世話をすること。気に入ったものを特にかわいがること。
おかげ 御陰。他人の助力。援助。庇護。
蒙る こうむる。他人から、行為や恩恵などを受ける。
心置きない 気兼ねや遠慮がない。
手軽 手数がかからず、簡単。
永当 えいとう。興行などで、見物人が大勢つめかけるさま。
 ひとえに。ただそのことだけをする。いちずに。ひたすら。
奉る その動作の対象を敬う謙譲表現をつくる。
口上 興行で、俳優または頭取が観客に対して、舞台から述べる挨拶をいう。
割膝 わりひざ。膝頭を離して正座すること。男子の正しい座り方とされた。
肘を張る ひじをはる。肘を突っ張っていかにも強そうなようすをする。威張る。気負う。意地を張る。肩肘かたひじ張る。
卷舌 巻き舌、巻舌。舌の先を巻くようにして、威勢よく話す口調。江戸っ子に特有。
謹んで つつしんで。かしこまって。うやうやしく。
略儀 正式の手続きを省略したやり方。略式。
 
 

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神楽坂七不思議|泉鏡花

文学と神楽坂

 明治28年、泉鏡花氏の「神楽坂七不思議」です。地図と比べてみます。

神樂坂(かぐらざか)(なゝ)不思議(ふしぎ)

なか何事なにごと不思議ふしぎなり、「おい、ちよいと煙草屋たばこやむすめはアノ眼色めつき不思議ふしぎぢやあないか。」とふはべつツあるといふ意味いみにあらず、「春狐子しゆんこしうでごす、彼處あすこ會席くわいせき不思議ふしぎくはせやすぜ。」とふもやうひねのなり。ひとありて、もし「イヤ不思議ふしぎね、日本につぽん不思議ふしぎだよ、うも。」とかたらむか、「此奴こいつ失敬しつけいなことをいふ、陛下へいか稜威みいづ軍士ぐんし忠勇ちうゆうつなアおめえあたりまへだ、なに不思議ふしぎなことあねえ。」とムキになるのはおほきに野暮やぼ號外がうぐわいてぴしや/\とひたひたゝき、「不思議ふしぎ不思議ふしぎだ」といつたとてつたが不思議ふしぎであてにはならぬといふにはあらず、こゝの道理だうり噛分かみわけてさ、この七不思議なゝふしぎたまへや。

眼色 目つき。物を見るときの目のようす。また、普段の目の表情。
春狐子 「春狐」は人の名前で、誰かは不明。泉鏡花だとも。子は「名前の下に付けて親しみか、自分の名には、卑下する意味」。
会席 日本料理の形式の一つ。江戸時代以降に発達した酒宴の料理。現在では日本料理の主流に。
捻る いろいろと悩みながら考えをめぐらす。わざと変わった趣向や考案をする。苦心して俳句や歌などを作る。
勝つ 日清戦争で勝ったこと。両国が朝鮮の支配権を争ったのが原因に。
稜威 天子の威光。御厳(みいつ)

東西とうざい最初さいしよきゝたつしまするは、
しゝでらのもゝんぢい。」
これ弓場だいきうば爺樣ぢいさんなり。ひとへば顏相がんさうをくづし、一種いつしゆ特有とくいうこゑはつして、「えひゝゝ。」と愛想あいさうわらひをなす、其顏そのかほては泣出なきださぬ嬰兒こどもを――、「あいつあ不思議ふしぎだよ。」とお花主とくい可愛かはいがる。
次が、
勸工場くわんこうば逆戻ぎやくもどり。」
東京とうきやういたところにいづれも一二いちに勸工場くわんこうばあり、みな入口いりぐち出口でぐちことにす、ひと牛込うしごめ勸工場くわんこうば出口でぐち入口いりぐち同一ひとつなり、「だから不思議ふしぎさ。」といてればつまらぬこと。
それから、
藪蕎麥やぶそば青天井あをてんじやう。」
下谷したや團子坂だんござか出店でみせなり。なつ屋根やねうへはしらて、むしろきてきやくせうず。時々とき/″\夕立ゆふだち蕎麥そばさらはる、とおまけはねば不思議ふしぎにならず。

東京実測図。明治18-20年。地図で見る新宿区の移り変わり。昭和57年。新宿区教育委員会。獅子寺は赤い丸。

しし寺 獅子寺。通寺町(現在の神楽坂六丁目)にあった曹洞宗保善寺のこと。江戸幕府三代将軍である徳川家光が牛込の酒井家を訪問し、ここに立寄り、獅子に似た犬を下賜しました。以来「獅子寺」と呼んでいます。明治39年、保善寺は中野区上高田に移転しました。
弓場 弓の稽古場。
顔相 占いで、顔の外面に現れた運勢・吉凶のきざしを見ること。
花主 こう書く熟語はありません。「得意」は「いつも商品を買ってもらったり取引したりする相手、顧客、お得意、親しい友」。「花」は花のように美しいもの。「主」は一家の長、主人。
勧工場 かんこうば。明治・大正時代、一つの建物の中に各種商店が連合して商品を陳列し正札販売した一種のマーケット。「牛込勧工場」は六丁目にあり、現在はスーパーの「よしや」
逆戻 再びもとの場所・状態に戻ること。
藪蕎麦 今は神田、浅草、上野が「藪そば」の御三家。神田藪の本家がここ団子坂にありました。神楽坂の場所は不明ですが、岡崎弘氏と河合慶子氏は『ここは牛込、神楽坂』第18号の「遊び場だった『寺内』」の図で明治40年前後の肴町のソバヤ(図の中央)を書いています。ここでしょうか。
青天井 青空。空。空を天井に見立てていう。
下谷 上野駅を中心とした地域で、1878年(明治11)、下谷区が成立。1947年(昭和22)、浅草区と合併して台東区に。
団子坂 文京区千駄木町二丁目と三丁目の境にある坂道。明治時代、坂の両側に菊人形が展示、東京名物の一つに。
攫う 掠う。さらう。油断につけこんで奪い去る。気づかれないように連れ去る。その場にあるものを残らず持ち去る。
 

奧行おくゆきなしの牛肉店ぎうにくてん。」
いろは)のことなり、れば大廈たいか嵬然くわいぜんとしてそびゆれども奧行おくゆきすこしもなく、座敷ざしきのこらず三角形さんかくけいをなす、けだ幾何學的きかがくてき不思議ふしぎならむ。
島金しまきん辻行燈つじあんどう。」
いへ小路せうぢ引込ひつこんで、とほりのかどに「蒲燒かばやき」といた行燈あんどうばかりあり。はややつがむやみと飛込とびこむと仕立屋したてやなりしぞ不思議ふしぎなる。
菓子屋くわしや鹽餡しほあんむすめ。」
餅菓子店もちぐわしやみせにツンとましてる婦人をんななり。生娘きむすめそでたれてか雉子きじこゑで、ケンもほろゝ無愛嬌者ぶあいけうもの其癖そのくせあまいから不思議ふしぎだとさ。
さてどんじりが、
繪草紙屋ゑざうしや四十しじふ島田しまだ。」
女主人をんなあるじにてなか/\の曲者くせものなり、「小僧こぞうや、紅葉さん御家へ參つて……」などと一面識いちめんしきもない大家たいかこえよがしにひやかしおどかすやつれないから不思議ふしぎなり。
明治二十八年三月

辻行灯

いろは 昔は牛肉店「いろは」でした。現在は神楽坂6丁目2の駐車場です。
 単に
大廈 たいか。大きな建物。りっぱな構えの建物。
嵬然 かいぜん。高くそびえるさま。つまり、外から見ると大きな建物なのに、内部は三角形で小さい。
辻行燈 江戸時代、辻番所の前に立ててあった灯籠形の行灯
仕立屋 「神楽坂通りの図。古老の記憶による震災前の形」では「洋服・八木下」と書いてあります。この時は「島金」(現、志満金)は小栗横丁(鏡花横丁)にでていました。
菓子屋 菓子屋は1~3丁目だけでも9店がありました。不明です。
塩餡 塩で味をつけた餡
雉子の声 雄の雉は春になると「けんけん」と甲高く鳴いて雌を呼びます
曳く 物に手をかけて近くへ寄せる。無理について来させて、ある場所に移動させる。
けんもほろろ 「けん」「ほろろ」はともに雉の鳴き声。頼みや相談などを、冷淡に断ること。
絵草紙 挿絵を多く入れた大衆向けの読物。絵草紙屋は大久保通り西側にある神楽坂5丁目(京屋)や「ここは牛込、神楽坂」第17号の「お便り 投稿 交差点」では3丁目(図)にありました。また、絵葉書屋は3丁目北側最西部(開成堂)にありました。
島田 島田まげ。未婚の女性の髪形の1つ。
曲者 一筋縄ではいかない人。ひとくせある人。
ひやかす 相手が恥ずかしがったり当惑したりするような冗談を言う。からかう。
気が知れない 相手が何を考えているのかわからない。相手の考え・意図が理解できない。
   

故郷七十年|柳田国男

文学と神楽坂

 柳田国男氏に「故郷七十年」(神戸新聞、1958年)という本があります。民俗学が絡んだ自叙伝の本ですが、森鴎外尾崎紅葉などは普通に書き、しかし、泉鏡花については、かなり大胆な書き方をしています。以下は『定本柳田國男集 別巻3』に出ていた「泉鏡花」です。ちなみに柳田国男の生年は明治8年、泉鏡花は明治6年です。

 「故郷七十年」の1は、泉鏡花、2は自然主義小説について、3は30歳代に住んでいた加賀町、4は河童について、5は浅見淵氏が書く加賀町の家です。

  柳田国男は民俗学者で、市谷加賀町柳田家(よう)嗣子(しし)(民法旧規定で、家督相続人となる養子)として入籍し、結婚しています。

   泉鏡花

 星野家の天知夕影の兩君と、妹のおゆうさんとの住居は日本橋にあつた。中庭のある變つた家で、すぐそばに平田禿木も住んでいた。おゆうさんはどちらかというと、兄の友人などからちやほやされることに、意識的な誇りを覺えるというやうな型の婦人だったやうに思う。後に吉田賢竜君の所へ嫁いだ。
 吉田君は泉鏡花と同じ金澤の出身だつたので、二人はずゐぶんと懇意にしてゐた。よくねれた溫厚な人物で、鏡花の小説の中に頻々と現はれてくる人である。私が泉君と知り合ひになるきつかけは、この吉田君の大学寄宿舎の部屋での出來事からであつた。
 大學の一番運動場に近い、日當りのいゝ小さな四人室で、いつの年でも卒業に近い上級生が入ることになつてゐた部屋があつた。空地に近く、外からでも部屋に誰がゐるかがよく判るやうな部屋である。その時分私は白い縞の袴をはいてゐたが、これは當時の學生の伊達であつた。ある日こんな恰好で、この部屋の外を通りながら聲をかけると、多分畔柳芥舟君だつたと思ふが、「おい上らないか」と呼んだので、 窻に手をかけ一気に飛び越えて部屋に入つた。偶然その時泉君が室内に居合せて、私の器械體操が下手だといふことを知らないで、飛び込んでゆく姿をみて、非常に爽快に感じたらしい。そしていかにも器械體操の名人ででもあるかのやうに思い込んでしまつた。泉君の「湯島詣」という小説のはじめの方に、身輕さうに窓からとび上る 學生のことが書いてあるが、あれは私のことである。泉君がそれからこの方、「あんないゝ氣持になった時はなかつたね」などといってくれたので、こちらもつい嬉しくなつて、暇さえあれば小石川の家に訪ねて行つたりした。それ以来、學校を出てから後も、ずつと交際して来たのである。
 鏡花は小石川に住む以前、牛込横寺町尾崎紅葉の玄關番をしばらくしてゐた。しかし誰でも本を出すやうになると、お弟子でも師匠から獨立するのが一般のしきたりになっていたやうだ。ことに泉君は何となく他の諸君に対する競争心があって、人からあまりよく思われないやうな所があつた。
 酒を飮むにしてもまるで古風な飮み方をするし、あとの連中はまあ無茶な遊び方が多かった。そのいちばんの巨魁小栗風葉で、この連中は「あゝ、僞善者奴が」と泉の惡口をいうものだから、しまいには仲間割れがしてしまつた。
 同じ金澤出身の徳田秋聲君などともあまりよくなく、徳田君の方で無理してつき合っているような様子がうかがえた。徳田君は外國語の知識も若干あつたが、泉君の方は、それは昔風で、たゞ頭がいゝから、他人が譯した外國のものなども、こつそり讀んでいたやうである。いろ/\なことがあつたが、私にとっては生涯懇意にした友人の一人であつた。

とび上る学生 泉鏡花作の『湯島詣』から取った、部屋の外から中に一気に飛び込む場所です。

(にぎや)かだね、柳澤(やなぎさは)、」と(まど)(した)園生(そのふ)から(こゑ)()けたものがある。
        二
 一番(いちばん)(まど)(ちか)柳澤(やなぎさは)は、亂暴(らんばう)(むね)(そら)して振向(ふりむ)いたが、硝子(がらす)(ごし)(した)(のぞ)いて()て、
龍田(たつた)か。」
(たれ)()()るかい。」
根岸(ねぎし)新華族(しんくわぞく)だ、(はひ)れ。」と()つて()(なほ)る。
 同時(どうじ)に、ひよいと(まど)(ふち)()(かゝ)つた、飛附(とびつ)いて、(その)以前(いぜん)器械(きかい)體操(たいさう)()らしたか、()(かる)さ、(かた)()()げて(しつ)(なか)に、()()瀟洒(せうしや)なる(かほ)()したのは、龍田(たつた)()若吉(わかきち)といふのである。
 (あづさ)()(ゑみ)(ふく)み、
堪忍(かんにん)してやれ、神月(かうづき)はもう子爵(ししやく)ぢやあない。」といひながら腕組(うでぐみ)をして外壁(そとかべ)附着(くツつ)いたまゝで()る。柳澤(やなぎさは)椅子(いす)をずらして、
「まあ(はひ)れ、丁度(ちやうど)()い。(いま)其事(そのこと)()いて、神月(かうづき)問題(もんだい)といふのをはじめた(ところ)だ。一寸(ちよつと)(その)休憩時間(きうけいじかん)よ。神月(かうづき)(ひど)辯論(べんろん)(きう)して、き(さま)()るのを()つて()たんだぜ、龍田(たつた)()たらばツて()ういつてな。」

天知 星野天知。ほしのてんち。評論家。小説家。帝大農科大学卒。1887年平田禿木らと日本橋教会で受洗。明治女学校で教鞭を取り、1890年『女学生』を創刊、主筆に。26年、北村透谷らと「文学界」を創刊。のち書道研究に没頭。生年は文久2年1月10日、没年は昭和25年9月17日。享年は満88歳。
夕影 ほしのせきえい。建築家。帝大建築科卒。「文学界」同人となって雑誌経営の実務を担当。大卒後は内務省技師。日光東照宮の修復などに携わった。生年は明治2年11月8日、没年は大正13年3月19日。享年は満54歳。
頻々 ひんぴん。同じような事が次から次へと起こること。
伊達 人目にふれるような派手な行動をする。派手なふるまいなどで外見を飾る。
畔柳芥舟 くろやなぎかいしゅう。英語・英文学者。評論家。明治31年、一高教授。のち「大英和辞典」(冨山房)の編纂に専念。生年は明治4年5月17日。没年は大正12年2月20日。享年は満50歳。
湯島詣 芸者蝶吉が主人公。華族の令嬢を妻にした青年神月梓を配し、梓が狂人となった蝶吉とついに心中する話。
小石川の家 鏡花が住んでいた場所でしょう。小石川区大塚町57番地です。
巨魁 盗賊などの悪い仲間の首領。

小品『草あやめ』①|泉鏡花

文学と神楽坂

泉鏡花作「草あやめ」(明治36年)の最初の1節です。当時の神楽坂2丁目の様子がわかります。まだこの辺りは華街にはなっていなかったのですね。

二丁目にちやうめ借家しやくや地主ぢぬし江戸兒えどつこにて露地ろぢとざさず裏町うらまち木戸きどには無用むようものるべからずとかたごとしるしたれど、表門おもてもんにはとびらさへなく、けても通行勝手つうかうかつてなり。たゞ知己ちかづきひととほけ、世話せわもを素通すどほ無用むようたること、おもひかはらずりながら附合つきあひ五六けん美人びじんなきにしもあらずといへどみだり垣間見かいまみゆるさず、のき御神燈ごしんとうかげなく、おく三味さみきこゆるたぐひにあらざるもつて、頬被ほゝかぶり懐手ふところで湯上ゆあがりのかた置手拭おきてぬぐひなどの如何いかゞはしき姿すがたみとめず、華主とくいまはりの豆府屋とうふや八百屋やほや魚屋さかなや油屋あぶらや出入しゆつにふするのみ。
[現代語訳] 二丁目の私の借家の地主は、江戸っ子であり、門などは閉めない。裏町の木戸には無用の者は入ってはいけないと型どおりに書いている。しかし、表門を見ると、扉はなく、夜が更けても誰でも勝手に通行できる。ただし、近くの人の通り抜けはよくない。一般的な言葉を使うと、素通り、つまり、立ち寄らずに通り過ぎる人は、いらないと私は考えている。
 お付き合いした五六軒を見ると、美人もいるが、やはり、みだりにのぞき見はいけない。待合のように提灯はかかっておらず、奥には三味線の音も聞こえてこない。さらに、ほおかぶり、懐手、湯上りの肩に置手拭といったいかがわしい姿もない。あるのは、得意客を回る豆腐屋、八百屋、魚屋、油屋が出入する音だけだ。

二丁目 神楽坂2丁目22番地のこと。泉鏡花は明治36年から39年まで、ここを借りていました。
露地を鎖さず 「ろじをとざさず」。露地は覆いがない土地。これを戸・門などでしめない。
通行勝手 勝手に通行できる。
素通り 立ち寄らずに通り過ぎる。
かはらず 変わらず。変わることないが。そう考えているが。
お附合 「お付き合い」。人と交際すること
美人なきにしもあらず 「なきにしもあらず」とは「無きにしも非ず」。ないわけではない。美人ではないわけではないが
垣間見 間からからこっそり見ること。のぞき見。
御神燈 芸者屋などで縁起をかついで戸口につるした提灯。
三味の音 芸者さんは午前中から三味線の練習をしました。
類にあらざる 同類ではない。似ていない。芸者さんとかは来ていない。
頬被 手ぬぐいなどで頭から頰にかけて包み、顎のあたりで結ぶこと。
懐手 手を袖から出さずに懐に入れていること。傍観者の立場という感じでしょうか
置手拭 手ぬぐいを畳んで、頭や肩にのせること
如何はしき いかがわしい。怪しげだ。疑わしい
豆府屋 行商の豆腐屋はラッパを鳴いて売り歩いていました。行商の八百屋、魚屋、油屋もありました。

あさまだき納豆賣なつとううり近所きんじよ小學せうがくかよをさなが、近路ちかみちなればいつたもとつらねてとほる。おはなやおはな撫子なでしこはな矢車やぐるま花賣はなうりつき朔日ついたち十五日じふごにちには二人ふたり三人さんにんくなり。やがて足駄あしだ齒入はいれ鋏磨はさみとぎ紅梅こうばい井戸端ゐどばた砥石といしゑ、木槿むくげ垣根かきね天秤てんびんろす。目黑めぐろ(たけのこ)うりあめみの若柳わかやなぎ臺所だいどころのぞくもゆかや。
[現代語訳] 早朝、納豆を売る人が出てくる。近所の小学校に通う幼児も近道をとおり、五人や六人、一緒に歩いている。お花を売る姿も見える。撫子の花や矢車の花を売り、月の一日や十五日になると、二人三人呼びあって、皆で買うようだ。やがて行商の足駄の歯入やハサミ研ぎが出てくる。紅梅の井戸端に砥石をそろえ、木槿の垣根に天秤を下ろす。目黒の筍売屋は雨の日に蓑を着て、若い女性が台所にいるのを見ている。これもいい感じだ。
小学 竹内小学校です。場所はここ。明治20年の地図ではここ。平成9年の『ここは牛込、神楽坂』第4号16頁によれば、「『近所の小学』というのは、現在、東京理科大学の一部になっている所にあった私立竹内小学校のことで、公立の津久戸小学校が創立されるまで、付近の子供たちはほとんど、ここに通っていたと聞きました」と書いてあります。実は津久戸小学校ができてもただちに竹内小学校が消えたのではなさそうです。津久戸小学校が作られたのは明治37(1904)年4月。ほぼ20年後の大正11(1922)年になっても、東京逓信局編纂『東京市牛込区』では、この2つの小学校は依然同時にあります。大正12年、関東大震災が起こり、それから、ようやく昭和5(1930)年には竹内小学校は消えています。また、昭和45年新宿区教育委員会の「神楽坂界隈の変遷」「古老の記憶による関東大震災前の形」を見ると、私立竹内小学校はかなり大きな敷地を占めていました(下図)。

古老の記憶による関東大震災前の形竹内小学校
現在は理科大のキャンパスです。竹内小学校

朝まだき 早朝
幼き おさなき。年齢がごく若い。未熟だ。
袂を連ねて 袂とは和服の袖付けから下の、袋のように垂れた部分。袂を連ねる人と行動を共にする。
撫子 なでしこ。ナデシコ科の多年草。
矢車 やぐるまぎく。キク科の一年草。
足駄 あしだ。下駄の一種。東日本では歯の高い差歯(さしば)の下駄をアシダと呼んでいる。
歯入 はいれ。下駄の歯を入れ換えること。その職業。
鋏磨 ハサミ研ぎ。
紅梅 こうばい。ウメのこと。
木槿 ムクゲ。アオイ科の落葉低木。写真は左からなでしこ、やぐるまぎく、むくげ 藁(わら)を編んで作られた雨具の一種。
若柳 若い柳。ここは美人のことだと思います。たとえば、柳眉とは柳の葉のように細く美しい美人の眉をさします。同じではないでしょうか。
床し 気品・情趣などがある。

小品『草あやめ』⑤|泉鏡花

文学と神楽坂

 翌朝あくるあさ(れい)(あき)さん、二階(にかい)駈上(かけあが)跫音高(あしおとたか)く、朝寢(あさね)(まくら)(たゝ)きて、()きよ、(こゝろ)なき(ひと)人心(ひとこゝろ)なく(はな)かへつて(じやう)あり、さく(ひやゝ)かにいひおとしめし()ぢたりけん、シヽデンの(はな)(ひら)くこと、今朝(けさ)一時いつときに十一と、あわたゞしく起出(おきい)でて(はち)いだけば花菫はなすみれ野山(のやま)滿()ちたるよそほひなり。()つゝ(おも)はず悚然ぞつとして、いしくも()いたり、可愛かはゆき花、あざみ鬼百合おにゆりたけんば、()ことば(いきどほ)りもせめ姿形(すがたかたち)のしをらしさにつけ、(なんぢ)(やさ)しき(こゝろ)より、百年もゝとせよはひ(さゝ)げて、一朝(いつてう)(さかり)()するならずや、いかばかり、(われ)(うら)なんと、あはれ()ふべくもあらず。くちそゝ()てつ、書齋(しよさい)なる小机(こづくゑ)()て、(ひと)なき(とき)端然(たんぜん)として、失言(しつげん)(しや)す。しかゆふべにはしをれんもの、(ねがは)くば、()(いのち)だに(ひさ)しかれ、(あら)(かぜ)にも()べきか。なほ心安(こゝろやす)らず、みづから()(こゝろ)なかりしを()いたりしに、(つぎ)(あさ)(いた)りて(さら)に十三の(はな)()けり、(うれ)しさいふべからず、やよや人々(ひと/”\)(また)シヽデンといふことなかれ、()(いへ)ものいふ(はな)ぞと、いとせめてであへりし、()()日曜(にちえう)にて宙外ちうぐわい(くん)(たち)()らる。
 巻莨まきたばこ()(ひか)たなそこ()()て、なん主人(しゆじん)むくつけき(なん)()(はな)のしをらしきと。主人(しゆじん)(おほ)いに恐縮(きようしゆく)して假名(かな)()()けば()()らずと()はる。(わす)れたり、斯道しだう曙山しよざん(くん)ありけるを、(はな)(ひと)()りて(ふところ)にせんもをしく、よく(いろ)()()(おぼ)え、あくる()四丁目(よんちやうめ)編輯局(へんしふきよく)にて、しか/″\の(くさ)はと()へば、同氏(どうし)(うなづ)きて、(かみ)()して(これ)ならん、それよ、草菖蒲くさあやめ女扇(をんなあふぎ)(たけ)(あを)きに(むらさき)(たま)(ちりば)たらん姿(すがた)して、()()よそほひまさる、草菖蒲(くさあやめ)といふなりとぞ。よし(なに)にてもあれ、()いとほしのものかな。
[現代語訳] 翌朝、例の秋さんが、その足音は高く、二階へ掛け上ってきた。朝、枕を叩いて、「起きてみてよ。冷徹な奴だな。人間には思いやりはないが、花には情がある。昨日は君に冷ややかにいわれ、軽蔑され、恥をかきました。でもシシデンの花は大きく開いている。今朝、一回の開花でなんと11輪」。私は慌ただしく起きだして、鉢を抱いてみた。花スミレは野山にいっぱいのよそおいだ。見ていると思わず感動した。「見事に咲いた、可愛い花。アザミ、オニユリなどの勇ましい植物は、私の言葉に腹立ちもあろう。しかし、シシデンの姿形はしおらしく、心は優しい。百年の年齢を献げても、一日の朝には最盛時を見ない場合もある。私に対する怨みをどれほどもっているのか。まして、あわれさでは、言っても言い切れない」と。私は口の中を洗い終えて、花を書斎の小机の上に置き、人がいない時に、姿勢を正し、失言だったと、あやまった。シシデンは夕方になると、しおれるので、願わくは、葉の命だけでも永久に、また、荒い風にも当てるべきではない。しかし、これで安心はまだできない。私は真に心なき人だったと悔んでいた。次の朝、さらに花は十三輪ほど咲いた。その嬉しさはいいきれない。さあさあ、人々が再びシシデンということはもうない。わが家の美人よ、せめてその美しさを味わおう。その日は日曜であり、後藤宙外君も立ち寄った。
 巻タバコの手を控え、葉を手のひらでさすった。どうして大家は無風流であり、どうしてこの花はしおらしいのか。その大家は大いに恐縮し、「俗称の名前をなんでしょう」と聞くと、氏もわからないときっぱり答えた。忘れていたのが、この分野で有名な人に前田曙山君がいる。花一輪を取り、懐中にいれる方法は、おしい。そこで、よく色を見て、葉を覚えて、翌日、四丁目の春陽堂編集局に行き「こんな草は」と質問すると、曙山君はうなづいて紙に絵をかき「これでしょう」といったのである。「そう、これ、これ」というと、「草アヤメです」と答えた。青い竹でつくった女性用の扇で紫の珠をちりばめたような姿があり、日に日に風情が増し、草アヤメだという。なるほど、何はともあれ、私にとっては、この花はかわいいものよ。
草菖蒲  昔の「あやめ」「あやめぐさ」はともに現在の「ショウブ」でショウブ目ショウブ科ショウブ属。この花は花らしくはないので違います。残るのはアヤメ、ハナショウブ、カキツバタの3種。違いは竹田寛氏の「6月 《アヤメ》 ― いずれアヤメかカキツバタ 」によれば

 外花被片の基部の模様、すなわち密標の模様の違いです。アヤメは文目模様、花ショウブは黄色の筋、カキツバタは白い筋です。私は「文目(あやめ)、黄しょうぶ、白つばた(アヤメ、キショウブ、シロツバタ)」と覚えることにしています。これだけ覚えておけば十分です。またアヤメは乾地、カキツバタは湿地、花ショウブはその中間の地帯に育ちます。

 草あやめはアヤメ、ハナショウブ、カキツバタ、あるいはその変種のうち何なのでしょうか。文章を読む限り、どれもありそうで、はっきりしません。そこで前田曙山氏が書いた「和洋草花趣味の栽培」(116コマから)「草木栽培書」「高山植物叢書」も調べてみました。アヤメ、ハナショウブ、カキツバタの3種類の中で、山菖蒲(ハナショウブの原種)、水菖蒲(ショウブの別名)はありましたが、草あやめという名前はなく、さらに種や変種でもありませんでした。さらに後藤宙外氏には『草あやめ』という小冊子もありましたが、この中には無関係の小説数点がはいっているだけでした。では、草あやめは何なのでしょうか。私は単に草本の「アヤメ」と同じだと考えています。花菖蒲、山菖蒲や水菖蒲、菖蒲草と同じように草菖蒲もあり、これは現在のアヤメなのです。しかし、他の考え方もあり、昔は「草あやめ」の名前はあっても、やがて、何をさしていたのか、わからなくなった場合や、あるいは、草あやめという植物をこの小説のため創作したなどです。また、森脇伸平氏によれば、庭の花写真でニワゼキショウ(庭石菖)、別名南京なんきん文目あやめやシシリンチウムというアヤメ科の俗名が草あやめだといいます(下を参照)。一応、草あやめは不明のままとしておきます。

心なし 思慮分別のない。思いやりのない。そんな人。
 過ぎ去った日。むかし。きのう。
おとしめる 貶める。おとしむ。劣ったものと軽蔑する。さげすむ。見下す。
 そう。よそおい。外観をととのえる。
悚然 しょうぜん。恐れて立ちすくむさま。慄然。寒さや恐怖など、また、強い感動を受けて、からだが震え上がるさま。
いしくも 美しくも。見事に。殊勝にも。形容詞「い(美)し」の連用形と係助詞「も」。
 キク科アザミ属の多年草の総称。葉に多くの切れ込みやとげがある。
鬼百合 ユリ科ユリ属の多年草。山野に自生し、高さ約1メートル。
猛し 勇猛な。勇ましい。勢いが盛ん。激しい。
せむ 責む。とがめる。なじる。責める。
一朝 いっちょう。わずかな間。
 力や勢いがさかん。さかえる。
ずや …ではないだろうか。…ではないか。
なん 完了の助動詞「ぬ」の未然形と、推量の助動詞「む(ん)」でしょうか。きっと…だろう。…にちがいない。
あわれ 不憫と思う気持ち。無惨な姿。
漱ぐ くちそそぐ。水などで口の中を洗い清める。うがいをする。
すえる 据える。物を一定の場所に動かないように置く。
端然 姿勢などが乱れないできちんとしているさま。礼儀にかなっているさま。
当てる 光・雨・風などの作用を受けさせる。
心安い 安心である。心配がない。
やよや 呼びかける時に発する語。さあさあ。おいおい。
ものいう花 ことばを発する。口をきく。力を発揮する。「物言う花」で美人。
撫す ぶす。ぶする。手のひらでさする。なでる。いたわる。かわいがる。
むくつけし 無骨でむさくるしい。無風流だ。
仮名 実名を秘して仮につけた名前。変名。俗称。通称。
斯道 学問や技芸などで、この道、この分野。
 ふところ。衣服を着たときの、胸のあたりの内側の部分。懐中。
編輯局 日本橋区通四丁目にあった春陽堂の編集室です。ここで一時編集者として前田曙山氏が働いていました。
女扇 おんなおうぎ。女持ちの小形の扇。
鏤める ちりばめる。金銀・宝石などを、一面に散らすようにはめこむ。
 よそおい。装い。粧い。外観の様子。おもむき。風情。
いとほし 気の毒だ。かわいそうだ。かわいい。

小品『草あやめ』④|泉鏡花

文学と神楽坂

 茘枝(れいし)(ちひ)さきも活々いき/\して、藤豆(ふぢまめ)(ごと)()(つる)(はし)()むるを、いたづら()おほいにして、()(じつ)(せう)なる、()(かたち)さへさだかならず。二筋(ふたすぢ)三筋(みすぢ)すく/\と()びたるは、()れたる(には)むし()べくも(おぼ)えぬが、彼処かしこ()えて此處(こゝ)(あらは)けむ、其處(そこ)(また)彼處(かしこ)に、シヽデンに()たる雜草(ざつさう)(かぞ)るに()ず、(おとうと)はもとより、はじめはこと(こゝろ)()て、(みづ)などやりたる(あき)さんさへ、いひがひなきに(あき)()てて、罵倒(ばたう)することなゝめならず(くさ)(はびこ)るは、(また)してもキウモンならんと、以來(いらい)もなくたゞ呼聲(よびごゑ)いかめしき渾名あだなとなりて、今日(けふ)御馳走(ごちそう)があるよ、といふ(とき)(おとうと)(あき)さんも、(かげ)(つぶや)いて、シヽデンかとばかりなりけり。
 ()るまゝに何事(なにごと)()はずなりし、不図(ふと)()のシヽデンの(さい)昼食ちうじきのち(には)ながむることありしに、(くも)(ごと)紫雲英(げんげ)(まじ)りて(ちい)さき薄紫(うすむらさき)(はな)(ふた)咲出(さきい)でたり。立寄(たちよ)りて(くさ)()けて()れば、(かたち)すみれよりはおほいならず、六べんにして、(その)薄紫(うすむらさき)花片はなびら()(むらさき)(すぢ)あり、しべ(いろ)()に、(くき)(いと)より(ほそ)く、()水仙(すゐせん)()淺緑(あさみどり)(やはら)かう、()にせば()えなむばかりなり。(なへ)なりし(ころ)より見覺(みおぼ)えつ、(まが)ふべくもあらぬシヽデンなれば、英雄(えいゆう)(ひと)あざけども、苗賣(なへうり)(われ)()になさず、と(みな)打寄(うちよ)りて、(つち)ながら()()りて(はち)()ゑ、(みづ)やりて(えん)差置(さしお)き、とみかう()るうち、(しな)一段(いちだん)打上(うちあが)りて、緣日(えんにち)ものの()にあらず、夜露(よつゆ)()れしが、翌日(よくじつ)(はな)また(ふた)()きぬ、いづれも入相いりあひの頃しぼみて東雲しのゝめ(べつ)なるが(ひら)く、三朝(みあさ)みあさにして四日目(よつかめ)昼頃(ひるごろ)()れば(はな)(たゞ)(ひと)ツのみ、()もしをれ、()(かわ)きて、昨日(きのふ)には()風情ふぜい()くべき(つぼみ)(さが)()てず、()ればこそシヽデンなりけれ、申譯(まをしわけ)だけに()いたわと、すげなく()ひけるよ。
[現代語訳] 小さいゴーヤもいきいきとして、藤豆などではつるの先端も見え始めた。一方、このシシデン、その名前は無駄に大きく、その実体は小さく、葉の形もわからない。二筋三筋がすくすくと延びたが、荒れた庭に引っこ抜いて終わるものなのか、これもわからない。あちらで消え、こちらであらわれるのか、シシデンと似た雑草は無数にある。弟はもとより、はじめは殊に心を込めて水などをあげていた秋さんにとっても、効果はなく、呆れ果てて、はなはだしい罵倒するようになった。草がしげる時には、またしてもキウモンかと喋り、以来と違い、呼び声だけはいかめしい渾名になっている。今日は御馳走があるよ、という時には、弟も秋さんも、かげでつぶやき、またシシデンかというようになった。  日時が経過すると何もいわないようになった。昼食の後、ふと、そのシシデンの惣菜を考えながら庭をながめていたが、雲のようなレンゲソウと混ざって、小さな薄紫の花が二輪、咲き出ていたのである。立寄って草を分けて見ると、形はスミレよりは大きくなく、六弁で、その薄紫の花びらには濃い紫の筋がある。おしべの色は黄色で、茎は糸より細く、葉は水仙に似て浅緑で柔らかく、手に持てば消えそうだ。苗だった頃から見覚えがあり、まごうべくもないシシデンである。人の考え及ばないようなはかりごとをするのが英雄だが、こちらは苗売なので私をばかにしない。全員集まって、土から根を掘って、鉢に植え替え、水をあげて、縁台に置いてあげた。あちこちを見ていると、品質も一段上になり、ただの縁日ものではない。夜露に濡れたが、翌日は花をさらに二輪咲いた。夕暮れ時しぼみ、明け方に別の花だが開き、これが三日目の朝まで続いた。  四日目の昼頃、見ると花はただ一輪だけ、葉もしおれ、根も乾き、昨日とは似ていない風情。咲くべき蕾も探しあてられず、だからこそシシデンだ、申し訳程度に咲いたのだと、私はそっけなく言ったのである。

挘る つかんだりつまんだりして引き抜く。
果つ 果てる。続いていた物事が終わりになる。終わる。
顕れる よくないことが公になる。発覚する。
数ぶ かぞふ。数える。数量や順番を調べる。勘定する。一つ一つ挙げる。列挙する。
尽きる 最後までその状態のままである。…に終始する。
籠める 物の中にいれる。詰める。形に表れない物を十分に含ませる。
言い甲斐 いひがひ。言葉に出して言うだけの価値。言っただけの効果。
斜めならず ひととおりでない。はなはだしい。
然もない そうではない。そうでもない。たいしたことはない。
いかめしい 近よりにくい感じを与えるほど立派で威厳がある。
とばかり ではないかと思うほど。
 酒や飯に添えて食べるもの。おかず。副食物
 しべ。花の雄しべと雌しべ。ずい。
英雄人を欺く 英雄は知恵・才能にすぐれているから、往々にして人の考え及ばないようなはかりごとや行いをするものだ。李攀竜(りはんりょう)の「選唐詞序」から。
 ぐ。おろか。ばか。ばかにする。
と見かう見 あっちを見たり、こっちを見たり。あっち見、こっち見。
入相 いりあい。日の沈むころ。日暮れ時。夕暮れ
東雲 しののめ。夜が明けようとして東の空が明るくなってきたころ。あけがた。あけぼの
すげない 素気無い。愛想がない。思いやりがない。そっけない。

小品『草あやめ』③|泉鏡花

文学と神楽坂

 朝顔(あさがほ)(なへ)覆盆子いちご(なへ)(はな)()もある(なか)に、呼声(よびごゑ)仰々(ぎやう/\)しき(ふた)ツありけり、(いは)牡丹咲(ほたんざき)(じや)()(ぎく)(いは)シヽデンキウモンなり愚弟(ぐてい)たゞち()て、賢兄にいさんひな/\と()ふ、こゝに牡丹咲(ぼたんざき)(じや)目菊(めぎく)なるものは所謂いはゆる蝦夷(えぞ)ぎく(なり)。これは……九代(くだい)後胤こういん(たひら)の、……と平家(へいけ)豪傑(がうけつ)名乗(なの)れる如く、のの()(ふた)()けたるは、賣物(うりもの)(はな)(ほか)ならず。シヽデンキウモンに(いた)りては、何等なんら(もの)なるやを()るべからず、苗売(なへうり)()けば(たぐひ)なきしをらしき(はな)ぞといふ、蝦夷(えぞ)(ぎく)おもしろし()(はな)しをらしといふに()ず、いかめしくシヽデンキウモンと()ぶを(あざ)けるにあらねど、の二(しゆ)()(ほか)(べつ)に五(せん)なるを如何いかんせん。
 しかれども甚六(じんろく)なるもの、豈夫あにそれ白銅(はくどう)一片(いつぺん)辟易(へきえき)して()ならんや。すなは()()なく(さと)(いは)く、なんぢ若輩(じやくはい)、シヽデンキウモンに私淑(ししゆく)したりや、金毛(きんまう)九尾(きうび)ぢやあるまいしと、二階(にかい)(あが)らんとする(たもと)(とら)へて、()いぢやないかお()ひよ、(ひと)()いたつて(はな)ぢやないか。旦那(だんな)だまされたと(おぼ)()してと苗賣(なへうり)(すゝ)めて()まず、(ぼく)()ゑるからと女形(をんながた)(しきり)口説(くど)く、(みな)キウモンの()(まよ)へる(なり)長歎(ちやうたん)して(べつ)五百(ごひやく)(おご)
 (かき)朝顏(あさがほ)藤豆(ふぢまめ)()ゑ、(たで)海棠かいだうもとに、蝦夷菊(えぞぎく)唐黍(たうもろこし)茶畑(ちやばたけ)(まへ)に、五本いつもと三本みもとつちかひつ()にしおふシヽデンは(には)一段(いちだん)(たか)(ところ)飛石(とびいし)かたへ()ゑたり。此處(こゝ)あらかじ遊蝶花(いうてひくわ長命菊ちやうめいぎく金盞花きんせんくわ縁日えんにち名代(なだい)(がう)のもの、しろべにしぼり濃紫こむらさきいまさかり咲競さききそふ、なかにもしろはな紫雲英げんげ一株ひとかぶはうごしやくはびこり、だいなることたなそこごとく、くきながきこと五すんうてな(いたゞ)()に二十を(くだ)らず、けだ(はる)(さむ)(あさ)、めづらしき早起(はやおき)(をり)から、女形(をんながた)とともに道芝みちしば(しも)()けておほり土手(どて)より()たるもの、()()らんとして、(たもと)火箸(ひばし)(しの)せしを、羽織(はおり)(そで)破目やぶれめより、(おもひ)がけず(みち)に落して、おほい臺所(だいどころ)道具(だうぐ)事缺ことかし、經營(けいえい)慘憺(さんたん)あだならず(こゝろ)なき(くさ)も、あはれとや(しげ)けん。シヽデンキウモンの(なへ)なるもの、二日(ふつか)三日(みつか)うちに、()紫雲英(げんげ)()がくれ()えずなりぬ。
〔現代語訳〕 朝顔の苗、いちごの苗、花も売っているし、実も売っている。大げさな売り声はふたつあって、牡丹咲きの蛇の目菊がひとつ、シシデンキウモンが別のひとつだという。弟はただちに聞きほれて、にいさん買おうよ、買おうよという。ここで牡丹咲きの蛇の目菊は、いわゆる蝦夷菊で……九代の後胤、(たいら)の、……と平家の豪傑も名乗ったようだが、ここで「の」の字を二個つけているのは、「売り物には花を飾れ」という言い回しそのままである。シシデンキウモンは、どんなものなのかわからない。苗売に聞くと、比類なく しおらしい花ですという。蝦夷菊には心をひかれるが、この花については、しおらしいというのは似合わない。シシデンキウモンと厳しく呼んでいるが、かといって悪く言おうというものではない。この二種、一分(25銭)に加えて、別に五銭を払えという。どうしようかね。
 でも、甚六という者は、どうして白銅貨一枚でためらうのかという。そこで、私はシシデンキウモンを師として尊敬するのか、金毛九尾の狐が出た場合じゃないのにと、二階に向かって逃げ出したくなったが、その袂をつかまえて、いいじゃないか、買おうよ、ひとつ花が咲いてもたかが花じゃないかという。苗売りも旦那だまされたと思って買いましょうと、その勧誘は止まらない。女形も僕が植えるからと盛んに口説く。全員キウモンという名前に間違えているのだ。長いため息をだして、別に500銭ほど大盤振舞をした。
 垣根に朝顔と藤豆を植え、蓼はハナカイドウの花の下に、蝦夷菊とトウモロコシは茶畑の前で五本と三本で栽培した。名前も有名なシシデンは庭の一段高い場所で、飛石の傍に植えた。ここにはあらかじめパンジー、ヒナギク、キンセンカという縁日では超有名な花が植えてあり、色は白、赤、まだら、濃紫などで、今を盛りに咲き競い、中でも白い花のレンゲソウは、一株だけでも150cm四方になり、葉は巨大で掌のよう、茎も長くて15センチ、開花の期間は20日以上。思えば春の寒い朝だが、めずらしく目が覚めて、女形と一緒に、お濠の土手の路傍の草についていた霜を分けて、根っこを掘ろうと思って、火箸をたもとに入れておいた。が、羽織のそでの裂け目から、思わず道路に落とし、そのため、台所道具は大いに事欠き、あらゆる事も惨憺になっだ。心なき草も、あわれと思ったのか密集して生えてきたが、しかし、シシデンキウモンの苗は、二、三日間で、このレンゲソウの葉にかくれ、見えなくなった。

仰々しい 大げさだ。
牡丹咲 花びらが重なって咲く花の咲き方で、花びらが大きく膨らんで、派手になったもの。例は http://www.nagominoniwa.net/camellia/botan-fukurin.html
蛇の目菊 「蛇の目」とは大小二つの同心円の文様。「蛇の目菊」は舌状花の基部に蛇の目模様があるもの。右図を。
シシデンキウモン なんでしょうか。この単語、文章の最後になってわかります。
 こつ。ほれる。心がぼうっとする。ぼんやりする。
蝦夷菊 えぞぎく。キク科の一年草。園芸品種名はアスター。右図を。
後胤 こういん。子孫。後裔。
名乗る なのる。自分の名や身分を他人に向かって言う。
売り物に花 売り物には花を飾れとの故事・ことわざ。売り物がよく売れるためには、内容もよくなければならないが、見てくれはなおよくなければならない。売り物は体裁よく飾り立てて売るのが上手な商売である。
しおらしい 控えめでいじらしい。遠慮深くて奥ゆかしい。
おもしろい ここでは、心をひかれる。趣が深い。風流だ。
嘲る  あざける。ばかにして悪く言ったり笑ったりする。
一歩 いちぶ。一分。一分金。4分で一両(明治時代では一円)になります。明治初年で一円は約二万円。一歩は約5000円。
白銅 白銅貨。ここでは五銭白銅貨でしょう。
辟易 へきえき。閉口する。うんざりする
然り気なく 考えや気持ちを表面に表さない。何事もないように振る舞う。
諭す 目下の者に物事の道理をよくわかるように話し聞かせる。納得するように教え導く。
私淑 直接教えを受けたわけではないが、著作などを通じて傾倒して師と仰ぐこと。
金毛九尾 こんもうきゅうび。体毛が金色の老狐。金毛九尾の狐。妖狐。
長歎 長いため息をもらす。
奢る  程度を超えたぜいたくをする。自分の金で人にごちそうする。物などを人に振る舞う。
海棠 カイドウ。ハナカイドウ。バラ科の落葉低木。中国原産。花木として古く日本に渡来。
培う つちかう。草木の根元や種に土をかけて草木を育てる。栽培する。
名にしおう 名高い。評判である。
飛石 日本庭園などで、伝い歩くために少しずつ離して据えた表面の平らな石。
遊蝶花 ゆうちょうか。パンジーのこと。江戸時代末に,オランダの船で渡来した。
長命菊 ちょうめいぎく。ヒナギク(デイジー)のこと。
金盞花 キンセンカ。キク科の越年草。南ヨーロッパ原産。
名代 なだい。名前を知られていること。評判の高いこと。
 しぼり。花びらなどで、絞り染めのように色がまだらに入りまじっているもの。
紫雲英 げんげ。レンゲソウの別名。
 ほう。正方形の各辺。
 1尺=10/33m≒30.303cm。
 一尺の10分の1。約3.03cm。
 うてな。花の最も外側に生じる器官。花被。
蓋し かなりの確信をもって推量するさま。思うに。確かに。
道芝 みちしば。路傍の草。
忍ぶ 他人に知られないようにこっそりとする。
事欠く 必要なものがないために不自由する。
経営 行事の準備・人の接待などのために奔走する。事をなしとげるために考え、実行する。
仇ならず 期待したとおりにならずに終わる。無駄になる。
繁る 草木の枝や葉が勢いよく伸びて、重なり合う。草木が密に生え出る。
葉がくれ 葉隠れ。草木の葉のかげになること

小品『草あやめ』②|泉鏡花

文学と神楽坂

 泉鏡花氏の「草あやめ」(明治36年)で、その2です。

物干(ものほし)(たけ)二日月(ふつかづき)(ひか)りて、蝙蝠かうもりのちらと()えたる(なつ)もはじめつ(かた)一夕あるゆふべ出窓(でまど)(そと)(うつく)しき(こゑ)して()()くものあり、(なへ)玉苗(たまなへ)胡瓜(きうり)(なへ)茄子(なす)(なへ)と、()(こゑ)あたか大川(おほかは)(おぼろ)(なが)るゝ今戸(いまど)あたりの二上にあが調子(てうし)()たり。一寸ちよつと苗屋(なへや)さんと、(まど)から()べば引返ひつかへすを、(ちひ)さき木戸(きど)()けて(には)(とほ)せば、くゞ(とき)(かさ)()ぎ、(わか)(をとこ)()つき(するど)からず、(ほゝ)まろきが莞爾莞爾にこにこして、へい/\()ましと()()ろし、穎割葉かひわりばの、(あを)鶏冠とさかの、いづれも(いきほひ)よきを、()()けたる()して(ひと)(ひと)取出(とりいだ)すを、としより、(おとうと)、またお神樂座かぐらざ一座(いちざ)太夫(たいふ)(せい)原口(はらぐち)()(あき)さん、()んで女形をんながたといふ容子ようすいのと、(みな)緣側(えんがは)()でて、()るもの(ひと)ツとして()しからざるは()きを、初鰹(はつがつを)()はざれども、(ひる)のお(さかな)なにがし、(ばん)のお豆府(とうふ)いくらと、帳合ちやうあひめて小遣(こづかひ)(なか)より、大枚(たいまい)一歩(いちぶ)ところ(なへ)七八(しゆ)をずばりと()ふ、もつと五坪いつつぼには()ぎざる(には)なり。
 隱元いんげん藤豆ふぢまめたで茘枝れいし唐辛たうがらし所帶(しよたい)たしのゝしたまひそ、苗賣(なへうり)若衆(わかいしゆ)一々(いち/\)()(はな)()へていふにこそ、北海道(ほくかいだう)花茘枝(はなれいし)(たか)(つめ)唐辛(たうがらし)千成せんな酸漿ほうづき(つる)なし隱元(いんげん)よしあし大蓼(おほたで)手前(でまへ)(あきな)ひまするものは、(みな)玉揃(たまぞろ)唐黍たうもろこし云々うんぬん

 〔現代語訳〕物干の竹が8月2日の月に光っている。コウモリも出てくる初夏のある夕方、出窓の外に美しい声を出した行商人がやってきた。苗、稲の苗、キュウリの苗、ナスの苗はいらんかね…と、その声は隅田川が流れる今戸地区あたりで聞こえてくる三味線のリズムに似ている。ちょっと苗屋さんと、窓から呼ぶと、へいへい、どれにしましょうかと荷を下ろし、穎割や、緑のヒトツバなど、どれも勢いはよい。日に焼けた手で、1つ、1つと取り出してきた。年寄りも、弟も、お神楽座の太夫も…これは姓は原口、名は秋さんで、女形という様子のいい奴だが…みんな縁側にでて、見ている。どれもこれもほしい。私は初鰹などは買わないが、昼のお魚がこれだけで、晩のお豆腐はこれだけでと、まず帳簿を確かめて、小遣の中で、大枚を一分使って、苗の七、八種をずばりと買う。もっとも五坪もない庭なのだが。
 インゲン豆、藤豆、蓼、ゴーヤ、唐辛子は、くらし向きのプラスになりましょうといって、苗売りの若衆はいちいち名前に花の言葉をそえている。手前どもが商いをするのは、北海道産の花ゴーヤ、鷹の爪の唐辛子、沢山生えるほうづき、インゲンにはツルがなく、良い悪いはわからないけど大蓼、種のそろったトウモロコシなどですという。

二日月 ふつかづき。陰暦2日の月。8月2日の月
玉苗 たまなえ。苗代から田へ移し植えるころの稲の苗。早苗(さなえ)と同じ。
大川 吾妻橋付近から隅田川の下流の通称。
 ぼうっと薄くかすんでいるさま。
今戸 台東区北東部の地名。隅田川西岸の船着き場として栄えました。
二上り にあがり。三味線の調弦法。第2弦を1全音(長2度)高くしたもの。派手、陽気、田舎風の気分をあらわす。
木戸 庭などの出入り口に設けた簡単な開き戸。
 日光・雨・雪などが当たらないように頭にかぶるもの。「傘」と区別する。
召す 「買う」という意味の尊敬語
穎割葉 かいわりば。芽を出した植物が最初に出す葉
鶏冠 ヒトツバ。葉が鶏のトサカのように切れ込む常緑のシダ。右図を。
神楽座 芝居のはやしの一種。
太夫 能、歌舞伎、浄瑠璃等で上級の芸人。
帳合 現金や在庫商品と帳簿を照らし合わせ、計算を確かめること。
 締め。しめ。金銭などの合計を出すこと。
大枚 多額のお金。大金。
一歩 一文(一歩)銭の寛永通宝は昭和28年まで法的には通用し、4文で一両(一円)に替えられました。明治初めの一円は二万円ぐらいなので、1歩は約5000円でしょうか。
隠元 インゲン豆。マメ科の蔓性(つるせい)の一年草。ツルナシインゲンは蔓のない栽培品種。
藤豆 ふじまめ。マメ科のつる性一年草。熱帯原産。食用とするため広く栽培。
 たで。タデ科タデ属の植物の総称。特にヤナギタデは辛みがあり、食用として刺身のつまなどに。
茘枝 ここでは(つる)茘枝(れいし)のこと。別名はニガウリ、ゴーヤ。ウリ科の蔓性の一年草。黄色い花を開き、実が熟すと黄赤色になり、若い実は食用に。
所帯 一家を構えて独立した生計を営むこと。そのくらし向き。
罵る ののしる。ここでは「盛んにうわさされる。評判になる」
鷹の爪 トウガラシの栽培品種。果実は小形の円錐形で上向きにつき、赤く熟す。
千成り 数多く群がって実がなること。
酸漿 ナス科の多年草。初秋、果実が熟して赤く色づく。
よしあし よいとも悪いともすぐには判断できかねる状態。
玉揃い キャベツなどの結球野菜で、結球の発育が似たようになること。