二 それが明治になつて日本の版図になると、すつかり根柢から破壊されて了ひました。警察権と行政権とを一緒に兼ねた王様のやうな島司と云ふ者が来る。サアベルがガチヤガチヤ鳴る、小面憎い驕慢な小役人がのさばる。こすつからい喰いつめ者の小商人が入り込む、繁雑な文明の余弊と、官僚的階級思想が瀰漫する、島の民主的極楽境は一方から云へぱ殆ど滅茶々々になって了ひました。それで今まで自由に開墾し得た土地も制限され、あまつさへ花畑も野菜畑も取り上げられ、押し縮められて、以前の島民は遂には島の一方に迫ひつめられて、辛うじて生命をつなぐ丈の生活しかできなくなつて了ひました。以前はただ物々交換だつたのが、一にも二にも金で無くてはならなくなる。遠海漁猟が厳禁される。さうなると、優越人種としての彼等の倨傲心を満足さすべき、何らの生活をも保持する丈の自由さが全然失はれて了つたのです。彼等は帰化せねばならなくなりましたが、彼等帰化人位みぢめなものはありますまい。 |
版図 はんと。一国の領域、領土
島司 とうし。明治以降の地方行政官。勅令で指定された島地を知事の指揮監督を受けて管轄した。大正15年(1926)廃止
驕慢 きょうまん。おごり高ぶって人を見下し、勝手なことをすること
余弊 よへい。何かに伴って生じる弊害
瀰漫 びまん。広がること。はびこること。蔓延すること
開墾 かいこん。山野を切り開いて農耕できる田畑にすること
倨傲 きょごう。 おごり高ぶること
帰化人 きかじん。海外から渡来して日本に住みついた人々
内地人が入り込み、人口が殖えるとまた島全般に亘つてもいよいよ繁雑しくなりました。遊女屋も出来るし、警察も出来るし、裁判所も建てば監獄も建つ、従つて罪人も生ずる。 それでもまだ初めの頃は呑気千万なものだつたさうでした。たとへば、骨牌など引いて監獄にぶち込まれた者共が、夜になると抜け出して、浜へ出て卵を生みに上つた正覚坊を引つとらへ、それを売り飛ばして、その金で遊女買をして、夜明には澄まして獄窓の中に帰つてゐる。まるでお話のやうですが実際だつたさうです。流石に太平洋の真中だからそこは内地と違ひます。 私がその島に渡つたのは、それから四十年も後の事です。その島へ上ると、私は第一に亜熱帯の強烈な光と熱と、熾烈な色彩と、曾て見た事も無い南洋植物の怪異な形態とその豊満な薫香とで先づ卒倒しさうになりました。次いでは、南洋式の丸木舟に驚き、砂浜で髪毛の虱をむしりつぶしてゐる肥満した黒人の婆に驚き、紅い豆畑に大きな眼鏡をかけ灰色のジヤケツに紅いスカートを穿いた白皙人の金髪に驚き、以前は人を喰つたといふ老黒奴の神妙に奉仕してゐる魔法使ひのやうな西班牙貴族の癩病婆に驚き、丸太舟を大きなお尻で二つに割つたといふ山羊飼の黒坊娘に驚き、ヂョーヂ、ワシントンと云ふ久留米絣の単衣を着た黒ん坊の青年に驚きました。次いでは、また陽物の形した白檀の根つ株ばかり拾ひ集めたり、珊瑚や信天翁の羽根と一緒に、北斎や広重の版画の中に雑魚寝したりしてゐる伝説中の太平の老逸民を見て驚き、次ではまた廃れ果てた監獄の庭に咲き盛つてゐるビーデビーデの花や赤い碇草や仏草花の絵模様に驚き、二三寸も埃がたまつて子供たちの芝居の舞台になつてゐる裁判所の法廷を見ては驚き、それからすばらしく瀟酒な白尖塔の教会を見て驚き、それからまた完美した植物園と、堂々とした大理石の島司の頌徳碑に驚き、役所で鶯の啼き合せをやつたり、午後からは浜へ出て鰡ばかり釣つてゐる呑気至極な役人達に驚き、煙草だけは現金で願ひます、他は現金でお買ひ下さる方には二割引致しますと書いた商家の張札に驚き、質屋と乞食が見当らず、若い女と酔つぱらひの見えぬのに驚き、島全体は共産的なのにも驚きました。 それにまた、蝮その他の害虫もゐず、蛙もゐなければ蛞蝓もゐず、ただ油虫と蟻の猛勢なのには驚きましたが、雀も鴉もゐず、鶯ばかりが内地の雀ほどに啼き競つてゐる麗明さにも驚きました。それに獣としては山奥にペルリの放した鹿の子孫とかが二匹ゐるばかり、あとは牛と山羊と猫と鼠の少少だと云ふのにも驚きました。 |
獄窓 ごくそう。牢獄の窓。転じて、牢獄の中。獄中
熾烈 しれつ。勢いが盛んで激しいこと
薫香 よいかおり。芳香
丸木舟 1本の木の幹をくりぬいて造った舟
白皙 はくせき。皮膚の色の白いこと
久留米絣 くるめがすり。筑後国(福岡県)久留米で作った。綿糸を絣染めにした特色のある織物
単衣 たんい。ひとえの着物。ひとえもの。 1枚の着物
白檀 びゃくだん。甘い芳香が特徴。香木として利用。小笠原諸島では固有種のムニンビャクダン( S. boninense)がある
太平 たいへい。世の中が平和に治まり穏やかなこと
逸民 いつみん。隠者。野に隠棲する人
ビーデビーデの花 ムニンデイゴ。語源はハワイ語。沖縄の「デイゴ」と同じ種類。
碇草 イカリソウ。花は赤紫色。春に咲く。4枚の花弁が距を突出し錨のような特異な形をしている
仏草花 ブッソウゲ。正しくは仏桑華。ハイビスカス
瀟酒 すっきりとあか抜けしている
頌徳碑 しょうとくひ。偉い人をほめたたえる碑
啼き競う メジロは良い声で鳴き、江戸時代からメジロを鳴き合わせる(競争)道楽の対象だった。まるで同じことがウグイスで起きたようだ
かう云へばまるで極楽世界のやうですが住み馴れて見ると、流石に島は島でした。せせこましい小地獄。 第一にみじめなのは帰化人の部落で、何もかもが幻滅の悲哀の底に陥ちこんで、生気も無ければ金も無く、食うや食はずで南洋のグワム島あたりに移住するのが相次ぐ有様でした。残つたものは殆ど日本化して了つて、日本人の娘と結婚する事を何よりの光栄として、その鼻息ばかりを窺つてゐました。監獄と裁判所とが荒廃したのは東京のそれらと合併したので、罪人が一人出れば巡査が遥々一人は附いて上京するので、高が煙草の葉一枚発見されても東京地方裁判所に廻される。つまりは莫大な巡査の旅費だけが殖えて来るといふややこしい事になって了つてゐたのでした。それに島司の頌徳碑は島司自身が島民を強ひて自身を祭らせたので、いつぞやは巡検の侍従の前で赤恥掻いたといふ話もあります。 島に若い娘がゐないのは、たゞ一時の虚栄に走つて都会の空に憧れて奉公に出払つて了つたので、酔つぱらひがゐないのは金が無いので酒も飲まれず、たまたま夫婦喧嘩でもした小役人が、その晩すぐと遊女屋に飛びこめば、とくの昔にその喧嘩の次第が相手の女に知れて居り、質屋が無いのは質に入れれば、たちまち島中に知れわたる。乞食になりかけると、直様、内地に追つ払はれる。共産的で面白いと思へば、すべての利潤の多い生産業は殆ど島庁の事業で、うまい汁は島司が吸つて、あとはたゞ辛い奉公といふだけだし、何さま島中の総現金が二千円といふ哀れさで、そのせち辛さは想像にもつかないだらうと思ひます。 |
鼻息を窺う 相手の意向・機嫌を気にしてさぐる。はないきをうかがう。
商店の現金二割引もつまりは現金が無いからです、殆どが物々交換の習慣が残つてゐるので、何もかもカケで、現金は船の入る時払ひ。だから買人が有つてにも品物が有つても、商人はただ有りませんの一点張、これでは繁昌する目当はありません。ですから諸商売が凡て痺靡して振ひつこは無いのです。 漁師にしても、どうせ人口には限りがあるので、沢山漁れば値が廉くなる、それで慌てて少く漁つてすぐ引き帰す、早いが勝ちですから、漁業の盛んになるわけもありません。 百姓の小悧巧と狡るさとも頂上です。冬の最中に茄子や南瓜が生つても、わざと小さいのを東京に高価で送つて了ふ。だから島で買はうと思へば凡て東京相場で、目の飛び出るほど高いので、自分で畑でも持たない限りは、バナナーつでも容易には口に入りません。 正覚坊にしてからがすぐに殺して缶詰にして送り出す。島の者は漁師で無い限りお裾わけはしてもらへません。牛を一ケ月に一匹殺しても殺した日に売れ切つて了ふので、遅く市場へ行つたものは買ひ損ふ。一ケ月に一度の牛肉がこれだから、市場はまるで餓鬼道の騒ぎです。 鶏卵を食べようと思へば鶏からして東京から取り寄せねばならず、豆腐を食べようと思へば、一週間前に約束して置く。ランプのホヤが壊れれば、別のランプを買はねば、夜も真つ暗でゐなくてはなりません。 商人の狡猾と奸譎とは、殆ど日本中捜しても、あれほどのところはありますまい。物価は東京の三倍以上だし物資は欠乏してゐる。たまに予定に三日も遅れて内地からの船が来れば、その以前に早や、島には米も無けれぱ味噌醤油も無く、菓子も無ければ酒も無い。島民は半死半生です。 |
痺靡 しびれて衰える。萎靡
餓鬼道 がきどう。天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄を六道と言い、行いの善悪によって六道の中で生死を繰り返すのが輪廻。この人生で食物の欲望の強い人、むさぼりの心のつよい人は死後、餓鬼道に落ちる。生きながら餓鬼道に落ちると言い、子どもは普通食欲が旺盛で子どもを餓鬼と呼んだりする
ホヤ 火屋。火舎。ランプやガス灯などの火をおおうガラス製の筒
奸譎 かんけつ。かんきつ。姦譎。よこしまで、心にいつわりが多いこと