三 だから月に一度、内地からの定期船が入つて来る日の騒ぎと云つたらありません。その船は新聞、雑誌、書簡、小荷物、流行唄、あらゆる文明の新消息をもたらして、この無聊で倦怠しきつた島をまるで戦場のやうに緊張させ、亢奮させて了ひます。島民は物質的にも精神的にも餓ゑ切つてゐるのです。船がいよいよ着くといふ日の朝などは海抜一千尺の船見山の絶巓に登つて、水天のかなたに一抹の煙の上つてから殆ど四五時間といふのは坐つたきりで凝視してゐます。近づいた船がその岬の一角を曲つて、いよいよその湾口に入りかけて、ぽうと汽笛を鳴らす時の深厳さもありません。それをきくと、島中がまた、たゞわあと声をあげる。 |
消息 しょうそく。その時々のありさま。動静。状況。事情
無聊 ぶりょう。退屈なこと
絶巓 ぜってん。山の絶頂。いただき
水天 すいてん。1.水と天。水と空。2 水に映る天
深厳 重々しく、威厳がある
島中の者が、白皙人も黒奴も顔の黄色い日本人も凡てが波止場に群つて、巨大な万年青や竜舌蘭の蔭から押しあひへしあひ、新来の客を覗見したり、批評し合つたりしてゐます。たゞ訳もない憧憬と好奇の心を持つて、その時はまるで島中が小娘のやうにワクワクしてゐます。 船が出て行つて了ふと、島はまたぐつたりと疲れて、火の消えたやうです。さうして狭い離れ島の天地が、それからはまた一層、狭く小さく縮こまつて了ひます。 |
白皙 はくせき。皮膚の色の白いこと
黒奴 こくど。黒人の奴隷。黒色人種を卑しめていう語
万年青 おもと。関東、沖縄、中国の暖地にはえるユリ科の常緑多年草。
竜舌蘭 りゅうぜつらん。リュウゼツラン科の常緑多年草。メキシコの原産。メキシコではテキーラを作る。
新来の内地人に向つては、その初め好奇と憧憬とを寄せてゐた心が、間も無く理由のない敵意となり反感となり嫉妬となり憎悪となり迫害的に推移して来るのも、一種の島人根性です。殊に島の官権は、それらの人々に向つて、全然島の平和を害する擾乱者とし、侵入者とし、罪人視し、極端に之を拒避しようとかかる傾向があります。 私の連の女性の一人が紫色の羽織を着てゐるといふので、島の若い者の性慾を刺戟する怪しからぬとその筋に訴へ出た者もありました。 |
擾乱 じょうらん。入り乱れて騒ぐこと。秩序をかき乱すこと。騒乱
拒避 拒否と同じ
殊に島民の『肺病』を恐るゝ事は極端です。而してその恐るべき病毒の伝播者は凡てが内地からのそれら旅人にあるとさへ思ひ詰めてゐます。尤も肺病患者の多くが、南方の極楽島とし、理想郷として、充分の保養を目的に、その地の小学教員、郵便局員などに転任させて貰つて来るのも多いのです。然し駄目です。その肺病患者が八丈島あたりに寄港する頃は、もう電報が小笠原島まで飛んでゐます。 ハイビヤウナンニンユクチウイセヨ |
極楽島 安楽で何の心配もない島。天国
ハイビヤウナンニンユクチウイセヨ 肺病何人ゆく 注意せよ
だから堪りません。その人が島へ上る頃にはもう島中に知れ渡つてゐて、宿屋でも断れば飲食店でも断る、理髪店へ行つても『肺病お断り』と書いてある。仕方なく泣きの涙で磯浜や、洞穴の中にバナナの葉でも藉いて夜を明し、木の果をあさり、遂には三日とゐたたまれずに帰りの船で追つ払はれて了ふ。さういふ時、島中が眼です。中には宿屋から断られ、困つて、土地を買ひ家を買つて、いざその家へ這入らうとすると、周囲から立退請求です。自分の家へ自分の身さへ置くに置かれず、草に臥し、荒磯に寝ね、やつと次の便船で帰るには帰れたが、その途中で血を吐いて死んで行く人もありました。さうなると島民の惨酷性も頂上です。 |
惨酷 ざんこく。残酷(惨酷、残刻)はまともに見ていられないようなひどいやり方
私は肺病だった私の前の妻と、その友人の同じく肺病だった女性と、その妹とを連れて、殆ど命懸けに身を投げ出して、保養の地を求めに行きました。ところがさういふ風です。私たちは心の底から顫へ上つてただ面と面とを見合せました。秘密! 秘密! どうにでも極秘にしなければ四人とも生き死の惨虐な目にあはねば済みません。その間の私の心労といふものは無かつたのです。私の妻ももう一人のも幾度か血を吐きました。そのうちに健康だつたもう一人のも肋膜炎になつて了ひました。丈夫なのはたった私一人です。医者にも診せられません。診て貰つたら、すぐに肺患者だと云う事は島中に知れて了ふのです。空気は乾燥する、島中は白眼を以て意地わるく追求する。病人はわるくなる、それを極秘にしなければ命にかかはる。――この間に私たちはまた一文なしになって了ひました。私の小笠原渡海をただ詩人の好奇的遊楽と思つて、色々に笑つてゐた人々も内地にはありましたが、今だからすつかりお話します。そんな呑気な事では無かつたのです。 |
顫える ふるえる。恐れや興奮から発作的に震える
白眼 冷たい目つき
そのうちに同じく肺患を秘密にしてゐた小学教員が、その病の重くなると一緒に露見して、追つ払はれる。同じやうな郵便局員が死にかゝる。それを内地から看護に遥々と来た母親が死ぬ。――目も当てられぬ悲劇が次ぎ次ぎに私達の周囲には起ります。今日は人の身、明日は自分の身の上といふ、その恐ろしい絶望が刻々に私達を青くして来る。たまらなくなつて、やつと金の工面をして二人だけは内地へ帰し、一旦は妻と居残りましたが、その妻をもまたニケ月の末に帰し、いよいよ最後の一人となつて踏み止まつた時、私はそれこそ一文なし。処は絶海の離れ島です。人情は冷酷、金は無し、これからの苦しさは全くお話はできませぬ。そののち一と月経つて私はまたやつとの事で帰航の船に逃げ上りました。さうして帰つて来ると、妻はもう貧乏がいやになつたから別れたいと云ひます。何の為めに私はその二三年命を投げ出して苦しんだか。――その後の私は全く、一時は全世界の女性を呪つて了ひました。 この事は追つて、私は書きます。 |
露見 秘密や悪事など隠していたことが表にでて、ばれること。
私が島を立つ頃に、その粟粒ほどの小天地にも、恐ろしい一騒動が起りました。島司排斥の爆発です。それが為めに私までがその渦中に巻きこまれて、殆どその煽動者がの如く島司一派から憎まれました。暴虐と圧政と自派擁護と、それらを、鼓を鳴らして駁撃する所謂正義派なるものも、矢つ張り離れ小島の正義派です。佐倉宗吾気取りの某々の如きも結局は哀れな小名誉心の傀儡です。と思ふと気の毒でもあり、をかしくもあり、迷惑でもありました。 恐ろしい事には、反対派の一人二人がたゞ何気なく山路で行き遇はして一言二言、何かささやいた、それさへ、その日には役所へも島中にも知れ渡つてゆく事です。 |
島司排斥 小笠原の清瀬公園には古い石碑が建っています。この碑はほとんど文字が擦り切れて読めなくなっていますが、「小笠原島島司阿利君紀功碑」です。小笠原の島司だった阿利孝太郎を讃えています。在任期間は明治29年10月から大正5年4月までの20年6か月。この碑は、自分が在任中の明治39年6月に自分で建立したものです。この碑文を長谷川馨氏が翻訳しています。
阿利君は、人柄明るく太っ腹でしかも切れ味鋭く、島や島民の利害損失についてはかなり敏感である。この島の行政を推進していくについては非常に勤勉意欲的で、徹夜をしても少しも疲れたふうがない。 今、阿利君治頭十年の業績を上げてみるならば、教育機関を整備して島民の能力開発に努力したこと、小笠原航路について船舶の向上便数の増加等充実を図り、また島内の道路河川等の整備を行って産業振興の条件整備を行ったこと、民有地を整理して土地台帳を整備したこと、山方石之助に委託して『小笠原島志』を発刊し小笠原の発見から今日までを確り記録したこと、日露戦役を記念して荒蕪に帰していた島の各地に植林したこと、などなど枚挙にいとまない。 考えてみるに阿利君の島司在任十年、その間彼は島民の幸福ということを第一に心掛け、そしてその考えは周到にして綿密であった。目前の効果に目を奪われず、島にとっての真の利益、長期的な利益について肺肝を摧いた。 島の人々はその人徳に感服し、かつその功績に感謝して、碑を建てて阿利君の業績を後世に伝えようと相談ができあがり、代表者がきて私にその碑文を書くように依頼された。そこでこの文章を認め且つ阿利君を称える詩を作って言おう。 公平無私の潔さ 古武士の如き阿利島司 一所懸命その努力 この島のためひとのため 島びとこぞって慕い寄る 君のお蔭の大いさよ 嗚呼この詩よ栄えあれ 世の牧民の鑑なれ |
この文章の通りなら高潔無私の大島司です。そうでなくても、自分を褒めちぎる巨大な碑を、池の中の築地に二見港を睥睨するかの如く建てたというのも相当な人物です。当然、大正時代になると、マスコミに追求され、刑事事件の告発もあって、ついに辞職しました。
以前はこの碑は東京電力家族寮の敷地にありましたが、移転してこの場所に移ってきます。
駁撃 ばくげき。他人の言論・所説を非難・攻撃すること
佐倉宗吾 下総国(千葉県)印旛郡の名主・佐倉宗吾が佐倉藩の重税に苦しむ農民を代表して将軍に直訴、租税は軽減したが、宗吾夫妻は磔になった。この話が正しいのかは不明。講釈師は講談「佐倉義民伝」を使って百姓一揆のさかんな土地で佐倉宗吾の伝記を語った。
傀儡 他者の手先となって思いのままに利用されている人物や組織の比喩
そればかりでなく、その朝電報為替が何円誰それに送つて来たと云ふ事もその昼には島の商家にはチヤーンと知れ渡つてゐます。私もやつと金を送つて貰つて一息つけるともう、片つ端からせびり取られて了ひました。そしてまた元の一文なしで煙草一つ吸へなくなりました。 島は浮世離れてゐるやうで、却て、浮世それ自身を、縮図してゐます。 島の自然の麗色など悠々と鑑賞してゐられるものですか。かうなると自然は人間から思ふさま踏みにじられて了つて来ます。 文明と云ふのも中途半端ではよしあしです。 |
麗色 れいしょく。美しくのどか