正覚坊とはアオウミガメのことです。宮之浜で一匹、腹を上にして見つかりました。以下はこの一匹の物語です。なお、作者は北原白秋氏です。
正 覚 坊 麗らかな麗らかな、何ともかともいへぬ麗らかな小笠原の初夏の一日である。宮の浜の白い弓形の渚から影の青いバナナ畑の方へ辷り上る小径のそば、小灌木林の境界線に近く、一本の光り輝く護謨の大樹が高く高く揺めいてゐる。その下に正覚坊が仰向けに転がされてゐるのである。たゞ其処に何時から転がつてゐるともなく、転がされてゐるからたゞ転がつてゐるといふ風である。大きな大きな正覚坊がゆつたりと、まん円い卵いろの腹の甲羅を仰向けて、ただ転がつてゐる。無論四肢は固く縛へられてゐるのでその鰭を動かす事さへ自由でない、図体は大きいし、二条の太い荒縄までがぐるぐる巻きに喰ひ込んでゐる。それでなくとも、一旦転ろがされたが最後、一日かかつて起きかへるか二晩かかつて起きられるか、この応揚なのろのろの海亀の身では何だか頗ぶる怪しいものである。嬉しいのか、悲しいのか、苦しいのか、又は遂々諦めはてて了つたのか、それぞと云ふ気分も見えない。たゞ首を当前に出して当前に目を開けてゐる。而して何の事もなく空を見入つてゐる。尤も、それも仰向いてゐるから目が空に向いてゐるといふだけである。澄みわたつた明るい天の景色を凝視めてゐるのか、又は麗らかな雲のゆききや、風のながれに恍惚と思を凝らしてゐるといふのか、それとも碧瑠璃の大海の響、檳榔、椰子、バナナ、様々の熱帯の物の匂を現心もなく嗅ぎわけて、懐かしい生れの海の波のまにまに霊魂を漂はしてゐるのか、何が何とも訳のわからぬ夢見るやうな眼を開けてゐる。 時は正午である。五月と云つても小笠原の五月は暑い。太陽は直射し、愈々護謨の大樹の真上から強烈な光の嵐を浴びせかけると、燦爛たる護謨の厚葉が枝々に限りもなく重なり合つて、真青な油ぎつた反射を影とともに空いつぱいに揺めかす。その葉をくぐつてくる光線は鋭い原色の五色である。それが幹に当り、下に寝てゐる正覚坊の腹を燬きつける。而して愈々緑と黄の点々に模樣づけられた綺麗な海亀の頭が軟らかな雑草の上に更につやつやと光り出し、麗らかな麗らかな何ともかとも云へぬ空のあたりで檳榔の葉がそよぎ、鶯の鳴く声がきこえてくる。 十方無碍光、澄み輝く白金寂莫世界の一時である。 正覚坊は眩しさうに目を開けたり、閉ぢたりしてゐる。現心もないらしい。ただゆつたりと転がされてゐるので転がつてゐる。大安心のかたちである。恐らく自分が囚はれの身である事すら忘れてゐるに違ひない。 |
宮之浜 北部父島。兄島が正面に。ビーチには珊瑚があり魚も豊富なので、シュノーケリング二は最適。沖は潮の流れが複雑で早い兄島瀬戸なので、流されないよう黄色いブイより先には絶対に行かないこと。
渚 なぎさ。海の砂浜から波打ち際まで広い砂地。
灌木林 低木の林。 反対は喬木(きようぼく)
卵いろ 卵色。たまごいろ。16進法ではfcd575。日本の伝統色
荒縄 あらなわ。わらで作った太い縄。
応揚 正しくは鷹揚。応揚は間違い。おうよう。鷹(たか)が悠然と空を飛ぶように小さなことにこだわらずゆったりとしている。おっとりとして上品。
碧瑠璃 へきるり。1 青色の瑠璃。また、その色。2。青々と澄みとおった水や空のたとえ。
檳榔 びろう。ビンロウ。ヤシ科の1種
現心 うつつごころ。1.正気。気持ちがしっかりと確かな状態。2.夢うつつの心の意から夢見るような気持ち。うつろな心。
十方無碍光 じっぽうむげこう。「尽十方無碍光如来」は、阿弥陀如来のこと
白金 白金(はっきん)と読めばプラチナ。白金(しろがね)と読めば銀。
寂莫 せきばく。正しくは寂寞。1 ひっそりとして寂しいさま。2 心が満たされずにもの寂しいさま。
大安心 とても安心、悟り
最初は鶏2羽が出てきます。
微風がをりをり護謨の枝々をそよがして去つた。幹の中程に一流ながれた海のうつくしさ。向うに兄島が見え、麗らかな麗らかなその瑠璃色の海峡を早瀬に乗つて、白い三角帆をあげた独木舟が走つてゆく。さりながら正覚坊にはその海が見えない。頭を海の方に向けては寝てゐるが。背後には護謨の樹の幹があり、海岸煙草の毛深い葉の叢がある。ただこの島の四方八方を取り囲んでゐる太平洋の波のうねりが何処やらともなく緩るい調節を間のびに折り畳むでゐる、それだけは流石正覚坊の癡鈍な感覚にも稍何らかの響を伝へるらしい、正覚坊は目を瞑つてまた目を開いた。 コケツコツコ、コケツ・・・・・コケツコツコ、コケツ・・・・・物に驚いた鶏の鳴声が丘の下の農家の方からきこえて来る。畑の甘蔗やバナナの葉かげをわけて此方へ逃げてくるらしい、一羽二羽、それが次第に近づくにつれて鳴声をひそめてくる、かと思ふと一羽の雄鶏がやがてロスタンのシヤンテクレエのやうな雄姿を現した、鶏冠の赤い、骨つ節の強さうな、羽ばたきの真黒い、はぢきれさうに勢みかへつた驕慢な雄鶏にひかされて白い舶来種の雌鶏が何かを啄き乍ら蹤いてくる、ケケツと振り返つて搏きつけるやうに雄が雌の上に重なつた・・・・・と澄ましてまたケケツケツと羽を拡げて雌の方へ擦り寄つてゆくトタン、奇怪な大きい正覚坊の図体がふいと前に転がつてゐるのが目についた、と、縦ち驚きの叫びを立てゝ、ケケツコツ、ケケツ、ケケツコツケケツケケケケと逃げてゆく。而してまたひとしきり急忙しさうな叫び声が甘蔗の向うからきこえる。 正覚坊はそれでも悠たりとしたものである。平気で大空を見上げてゐる。温和さうな空色の瞳がつやつやと潤みを持つて、ただぢつと麗らかな天の景色を見入つてゐる。恐らく傍らに何事が起つたかも知らないであらう。身動きひとつしやうともしない。 |
早瀬 流れのはやい瀬
海岸煙草 海岸近くに生えて タバコに似た葉を持つ。
叢 ソウ、くさむら、むら、むらがる。草が群がり生える。
癡鈍 ちどん。痴鈍。愚かで,頭の働きがにぶいこと
ロスタン エドモンド・ロスタン(Edmond Rostand. 1868-1918)はフランスのマルセイユ生まれの劇作家。1898年の演劇『シラノ・ド・ベルジュラック』が最も有名で、約1年半も上演。
シヤンテクレエ 1910年にはロスタンは鶏を始め様々な動物を登場させた寓喩劇「シャントクレール」Chanteclerも上演。
骨つ節 ほねっぷし① 骨の関節。ほねぶし。 ② 気骨。気概。 不屈の精神と決断力。ガッツ。肝ったま。
驕慢 きょうまん【驕慢/慢】 。おごり高ぶって人を見下し、勝手なことをすること
急忙しい 「せわしい」。現在は単に「忙しい」と書く。慌ただしい、せわしい、忙しい
次は塗師が出てきます。この時期、小笠原にいた塗師は画家の倉田白羊氏が有名で、北原白秋氏と一緒に「パンの会」に出席していました。
時が経つた。日射は愈強くなり、音も絶えた空気の中を鶯の子が苦しさうにさゝ鳴きをしてはまた光つて消えた。ふと正覚坊は聴耳を立つるやうに見えた。のつしのつしと人間の歩いて来る足音がしたからである。山から暑い盛りに下りて来た男は絵の具の垢染だらけな仕事服をつけ、真黒な怪しい帽子をかぶつてゐた。まんまるい顔のづんぐりむつくりした三十四五の男である。この小笠原では油絵かきのことを塗師といふ。塗師も色々流れて来たが今度の塗師は中々偉らい塗師だといふ。その塗師が傲然とのさばりかへつて歩いてくるのである。正覚坊は恐れ入らざるを得ない筈である。それだのに正覚坊は何にも感じないらしい。ただ恍惚と目を半眼に開けて見てゐる。塗師は正覚坊をちょいと瞰下して、フフンと云つた。而して腐れたバナナの裂葉を蹴返しながら、真黒な墓穴のやうな巌を描いてある大きな大きな画布を楯のやうに振りかざして又づしりづしり。 後はまた麗らかである。強烈な太陽光の下に、赤い崖、青いバナナ、瑠璃に代赭に朱の斑、耀く黄、空も木も、草もあらゆる眼に入るもの凡てなまなましい原色ならざるはなしである。それが強烈に正覚坊の目をきらきらと刺戟する。護謨の葉が徴風がくれば五色になる。 正覚坊は批評家ではない。だからこの美くしい自然とさきほどの塗師の真黒い絵とどれほどの差異があらうとも平気なものである。何等の不思議とも感じないらしい。よし、何とか思つたにしたところで人間は人間、正覚坊は正覚坊、どうにもならないのである。 正覚坊は恍惚として大空のあなたを仰視てゐる。ゆつたりしたものである。 幾時か経つた。 |
ささ鳴き 笹鳴き。冬にウグイスが舌鼓を打つようにチチと鳴くこと。季語は冬。
油絵かき 北原白秋は大正3年2月、画家の倉田白羊は小説家の押川春浪と一緒に同年4月に小笠原に渡った。
傲然 おごり高ぶって尊大に振る舞うさま
巌 ガン、いわお、いわ。ごつごつした大きな石。岩
瑠璃 やや紫みを帯びた鮮やかな青。16進表記で#2A5CAA
代赦 たいしゃ。黄土色がかった渋いレンガ色。16進表記で#B26235
次は詩人です。北原白秋氏本人だと思われています。
正覚坊はあまりの麗らかさに思はずうとうとしたが、うしろの海岸煙草の中から人間がぽいと飛ぴ出したのでハツと目をひらいた。真白なホワイトシヤツの光耀が見る目も痛い程泌みる。そのホワイトシヤツが声を立てゝ笑つた。まるで子供のやうな無邪気な笑声である。 ―――やあ、正覚坊が転がつてゐる。面白いな。 正覚坊自身に取つては面白いどころの話ではあるまいが、のんきな正覚坊、黙つてゐる。而して恍惚とその男を見てゐるのである。 その男は何と思つたか、コツコツと杖のさきで正覚坊のまん円いお腹を敲いた。痛くも何ともないらしい。平気なものである、今度はまた強くコツコツと頭を敲いた。ルコン・ド・リイルではないが、不感無覚寂莫世界と云つた風である。正覚坊はなかなか高踏派である。その男は ―――をかしいなあ。 と云つた。正覚坊には別にをかしくも何ともないのである。その男はまた 一体、雄かしら雌かしら。 と云つた。陰茎があるのかしら、あるとしたらどれがさうだらうと云つた風にその男はまた杖のさきでお尻のあたりをコツコツと探して見た。一寸云つて置く、その男は曾つて醜い泥豚に何ともかとも云へぬ薔薇いろの繊細にして微妙至極な陰茎があるのを見て涙を流した詩人である。 正覚坊の両つの後肢のまん中に小さな尖のするどい短い尻尾見たやうなものがある、杖がその近くをふいと突き当てたと思ふと、正覚坊が不意にふふつと笑つた、囗をあけ、鼻孔をいつぱい膨らまし、首を強くひと振り振つてふふつふふつと笑った、よほど擽つたと見える。青年は吃驚したが、これも声を出して笑つた。腹を抱えてそこらの草つ原中笑ひころげた。 正覚坊はまたけろりとして空を無心に見あげてゐる。 ―――のんきだなあ。をかしいなあ。 感嘆極ると云つた風で、流石のんきな楽天家も、この正覚坊だけには叩頭をしたやうだつた。 正覚坊はのんきだと云はれてものんきなのが何故わるいのか。それとも何かをかしい事でもあったのかなあと云つた風に不思議さうな目つきをした。それで別に自分をのんきだとも思ってゐないらしい、当前であるといふ心もち。 正覚坊はまたうとうととした。微風が海の方から吹いてくる。白い雲がぽうつと山の檳榔樹の上に浮ぶ。鶯が鳴く、世は太平である。その麗かさは限りがない。 その男は健康さうな元気の溢るるやうな体格をしてゐた。こんな暑い日に素足で、その上、帽子もなんにもかぶらないでゐる。暫時正覚坊を見て感嘆してゐたが、苦しさうにいきなりホワイトシヤツを脱いで素つ裸になった。玉のやうな汗がだくだくその張りきつた胴や逞ましい両腕から流れ出るのである。拭くものがないので、ホワイトシヤツで、こきこき顔から身体中拭き取つた。そして何と思つたかフワリとそれを正覚坊の頭に投げかけて置いて、自分もまた暑い天日に全身を曝しながら、またごろりとかたばみの中に寝ころんだ。大きなマドロスパイプを出して悠々と煙草を喫んでゐる。 正覚坊は真白なホワイトシヤツを頭からスツポリと被せられて、また恍惚とした。西洋新舶来のその匂は正覚坊に取つては未だ曾つて聴いたことも嗅こともなかったに違ひない、それに人間の汗の臭気の甘酸さ、思はず、また恍惚となつて空を眺めた。空はこんどは自分の上に落ちて来てまつしろな光り耀くものとなつてゐた。日光が軟らかいシヤツを灑してふりそゝぐ。 正覚坊は思はずぐつすりと熟睡したのである。 |
ルコン・ド・リイル シャルル=マリ=ルネ・ルコント・ド・リール(Charles-Marie-René Leconte de Lisle、1818/10/22~1894/7/17)。フランスの高踏派の詩人で劇作家。ペンネームは姓だけのルコント・ド・リール。
不感無覚 何も感じなく、痛みもない
高踏派 19世紀、フランス詩の様式。上田敏の言で「高踏派」。パルナシアンは形象美と技巧を重んじた唯美主義の詩人たち。
泥豚 どろぶた。牧場で放し飼いされている豚のこと。放豚
薔薇いろ 薔薇色。日本の伝統色。
かたばみ 乾燥した場所を好む多年野草で、古くから日本全国に分布する。
灑す 水をそそぐ、水を撒く、釣り針を投げる、散る、落ちる、洗う
最後に天然老人が出てきます。
―――Kさん、何をして御座る。 青年もうとうとしてゐたが、耳馴れた老人の声にハツとして目をひらいた。大きなタコの葉の帽子をかぶつたきれいなS老人がにこにこと笑ひ乍ら正覚坊と彼とを等分に見下してゐた。 ―――裸でおゐででごわすか。この暑いのに裸は毒でごわすぞ。 一寸、眉を顰めたが、また莞爾として、 ―――Kさん、たいしたものがごわしたぞ。 とさもうれしさうにいふ。 青年も立ち上つた。さうしてにこにことした。 ―――ほうれ、これでごわす。 老人は肩から掛けてゐた雑嚢の中から人問の骸骨の下顎見たやうな灰色の石を取り出した。 ―――実に天然でごわすぞ。珍らしうごわすな、ほうれ御覧じろ、こゝに白いものがポチポチイとごわせう。まるで雪が降つたやうでごわす。 ポチポチイと云ふ時さもかわいらしく老人は声を小さくした。如何にも白いものが点々としてある。然し青年の見た白いポチポチは雪ではなくて骸骨の下顎に残つてくつついてゐる人間の白い歯であった。老人はその石を大切さうに愛撫しながら、 ―――大したものでごわす、三百円ものが価値はごわす。 この老人は名古屋の商人であるが、病気保養にこの島に来てゐるといふ、よく閑暇にあかしては白檀のひねくれた根つ株や、モモタマの木の無骨な癅や、天然の珍石奇木を好きで集めては楽しんでゐる、快活ないゝ老人である。口癖にしては天然々々とばかし云ふので、Kさんたちはこの仁を天然老人と呼んでゐる。天然老人は然し商人である、どんな珍物を見てもすぐに値ぶみをする、さうしてこれは利益かるなと胸算用して見る。Kがにこにこしてゐると、 ―――題は雪景珍石としたらどうでごわせうかな。面白いものでごわすぞ。売れますぞ。 と、天然老人、正覚坊の方をちらと見る。 雪景珍石が売れるか、売れないか、面白いものか面白いものでないか、百円の価値があるものか、それとも一銭五厘の価値しかないものか、正覚坊は風流とといふ事を知らないから一向に御存じがない。たゞホワイドシヤツを被つて黙つてゐる。 Kも正覚坊をちらと見たが、如何にも気の毒相な顔をして、老人を振り返った。 ―――正覚坊はようく睡むつてゐます。 |
眉をひそめる 眉の辺りにしわをよせる。< 莞爾 読み方は「かんじ」。にっこりと笑う、ほほえむ様子。
雑嚢 雑多なものを入れる袋。肩から掛ける布製のかばん
モモタマの木 モモタマ(ジュズサンゴ)ではなく、小笠原ではモモタマナ(桃玉菜。Terminalia catappa Linn、別名:コバテイシ、シクンシ科)のことでしょう。巨大な葉が有名。
白檀 半寄生の熱帯性常緑樹。爽やかな甘い芳香が特徴で、香木として利用されている
天然老人は談話をしてる間も若々しい目をあげて見廻してゐた、何か珍物はないかなと思つて探してゐるのだと思ふと無邪気な青年のKにはをかしくてならないといふ風だつた。天然老人はふいとお叩頭をして、つい傍のモモタマの木の方へ行つたと思うと、突然、大きな大きな声を出して、さもさも一大珍物を見つけたやうに叫んだ。 ―――Kさん、早く来て御覧じろ、大した珍木でごわすぞ、五百円がものはごわす。 Kも驚いて飛んで行つたが、老人、モモタマの癅が飛んで逃げでもするやうに慌てゝ、雑嚢を開けて二つ折の鋸を取り出し乍ら、 ―――ほうれ、あの癅でごわす、大したものでごわせう。陽物そつくりでごわす。 流石に顔を赤めながら、 ―――五百円がものは確にごわせう。 確かにと云ふ言葉に力を入れて、鋸を開き乍ら、下から凝と天然老人は見上げる。 如何にも、麗らかな麗らかな何ともかともいへぬ麗らかな空の下に、陽物そつくりのモモタマの木の癅は手も届かぬ高い高い二股の枝の間に燦然と耀いてゐる。 老人は一心に見上げながら、下からしきりに鋸を動かす手つきをした。 正覚坊はぐつすりとホワイトシヤツをかぶつて睡つてゐる。 |
陽物 ようぶつ。陰茎。男根。
燦然 さんぜん。鮮やかに輝くさま。明らかなさま。