下の写真はどこに触れても自由に動きます。上向きの矢 ↑ は一つ写真を前に進めます。左上の四角はスクリーン全面に貼る場合です。左下の数字は現在の写真です。
なんと神楽坂5丁目の右側はこれで終わりです。代わりに右側は「袋町」になります。
では、神楽坂5丁目の左側は? 「上海ピーマン」は安いと有名。店舗が小さいのも有名。
さらに散髪屋と懐石料理店「真名井」があります。残念ながら閉店。16年2月に「神楽坂 鳥伸」に。
石鐵ビルの前身は小林石工店。
かつての小林石工店。安政時代からやっていましたが、閉店。
以上、神楽坂5丁目の左側です。これからは「袋町」です。袋町は豊嶋郡野方領牛込村と呼びました。この地の寄席「和良店」には江戸後期、写し絵の都楽や、都々逸坊扇歌が進出しています。寄席文化が花開いた場所なのです。
最初は「肉寿司」。
以前は八百屋「丸喜屋」でした。いつも野菜や果物でいっぱいになった店舗でした。
続いて、イタリア料理店のAlberini。
鳥竹の魚河岸料理・鳥料理、そのマンションの奥には「インタレスト」や「temame」など3軒。
ブティック・ケイズは婦人服の店兼白髪ファッション。へー、NHKの「ためしてガッテン」にも出ていたんだ。平成12年の「着やせ術」についてでています。
このブティック・ケイズが入るリバティハウスと、フランス料理のカーヴ・ド・コンマ(これも閉店)が入る隣の神楽坂センタービルは昔は1つの建物でした。昔は和良店から、藁店・笑楽亭、牛込高等演芸館、牛込館に変わりました。別に項を変えて書きます。
坂本歯科も今も続き、「ギャルリー煌」はギャラリーブティックでしたが、閉店に。現在は彫刻家具「良工房」になりました。
また、反対側にはヘアーの専門店「ログサロン」。昔は都館支店と呼び、明治、大正、昭和初期の下宿で、たくさんの名前だけは聞いたことがある文士達が住んでいました。
標柱もたたっています。
地蔵坂(じぞうざか) |
この坂の上に光照寺があり、そこに近江国(滋賀県)三井寺より移されたと伝えられる子安地蔵があった。そこにちなんで地蔵坂と呼ばれた。また、藁を売る店があったため、別名「藁坂」とも呼ばれた。 |
ここで標柱の上と下をみておきます。
さらに上に上がって光照寺、反対側には同じ標柱があります。
2013年6月7日→2019年5月23日