永井荷風氏の「夏すがた」です。書き下ろし小説で、大正4年に籾山書店で出版され、戦前には風俗紊乱の罪で発禁となりました。これは永井荷風選集第1巻の「夏すがた」(東都書房、1956)からです。
日頃懇意の仲買にすゝめられて云はゞ義理づくで半口乘つた地所の賣買が意外の大當り、慶三はその儲の半分で手堅い會社の株券を買ひ、殘る半分で馴染の藝者を引かした。 慶三は古くから小川町邊に名を知られた唐物屋の二代目の主人、年はもう四十に近い。商業學校の出身で父の生きてゐた時分には家にばかり居るよりも少しは世間を見るが肝腎と一時横濱の外國商館へ月給の多寡を問はず實地の見習にと使はれてゐた事もある。そのせいか今だに處嫌はず西洋料理の通を振廻し、二言目には英語の會話を鼻にかけるハイカラであるが、酒もさしては呑まず、遊びも大一座で景氣よく騷ぐよりは、こつそり一人で不見點買ひでもする方が結句物費りが少く世間の體裁もよいと云ふ流義。萬事甚だ抜目のない當世風の男であつた。 されば藝者を引かして妾にするといふのも、慶三は自分の女が見掛こそ二十一二のハイカラ風で賣つているが、實はもう二十四五の年増で、三四年も「分」で稼いでゐる事を知つてゐる處から、さしたる借金があるといふでもあるまい。其故遊ぶ度々の玉祝儀待合の席料から盆暮の物入までを算盤にかけて見て、この先何箇月間の勘定を一時に支拂ふと見れば、先は月幾分の利金を捨てる位のもので大した損はあるまいと立派にバランスを取つて見た上、さて表立つての落籍なぞは世間の聞えを憚るからと待合の内儀にも極内で、萬事當人同志の對談に、物入なしの親元身受と話をつけたのであった。 そこで慶三が買馴染の藝者、その名千代香は女學生か看護婦の引越同様、柳行李に風呂敷包、それに鏡臺1つを人力に積ませ、多年稼いでゐた下谷のお化横町から一先小石川餌差町邊の親元へ立退く。直ぐ其の足で午後の二時をば前からの約束通り、富坂下春日町の電車乗換場で慶三と待合せ、早速二人して妾宅をさがして歩くという運びになった。 |
義理づく どこまでも義理を立て通す。道理を尽くす。筋を通す。
半口 企てや出資の分担の半人分。
引かされる 雑学・廓では芸者を廃業することを「引く」。やめさせるのは「引かす」、やめさせられるのが「引かされる」。芸者の籍を抜くことを「落籍す」と書き「ひかす」と読む。
小川町 千代田区神田小川町。書籍、スポーツ用品店、楽器店、飲食店等の商業施設や出版関係、大学・専門学校等の教育機関などが集積中
唐物屋 からものや。とうぶつや。中国からの輸入品を売買していた店や商人。19世紀後半からは、西洋小間物店
商業学校 1887年(明治20年)10月、東京高等商業学校が設立。一橋大学の前身
ハイカラ (洋行帰りの人がたけの高いえりを着用したため)西洋風で目新しいこと。欧米風や都会風を気取ったり、追求したりする人。
大一座 おおいちざ。多人数の集まり
不見転 みずてん。芸者などが、相手を選ばず、金をくれる人ならだれとでも情を通ずること
結句 結局。挙句に。
物費り ものいり。消耗品費や雑費
分 わけ。訳。芸娼妓などが、そのかせぎ高を抱え主と半々に分けること
玉祝儀 玉代。ぎょくだい。花代。芸者や娼妓などを呼んで遊ぶための代金。
物入 ものいり。出費がかさむこと。
利金 利息の金銭。利益となった金銭。もうけた金
落籍 らくせき。身代金を払って芸者などをやめさせ、籍から名前を抜くこと。身請け。
柳行李 やなぎごうり。コリヤナギの、皮をはいだ枝を編んで作った行李。衣類などを入れるのに用いる。行李は衣類などを納める直方体の入れ物。
人力 人力車のこと
お化横丁 おばけ横丁。春日通りの南側に並行する裏路地の飲み屋街。住所は文京区湯島3丁目。かつて芸者の置き屋が数多くあり、化粧をしていない従業員が化粧で化けて出ていったから
餌差町 えさしちょう。現在は文京区小石川一・二丁目
富坂 文京区春日一丁目と小石川二丁目の間。春日通りの後楽園(富坂下)交差点から富坂上交差点まで
春日町 春日一丁目と春日二丁目
妾宅 しょうたく。妾を住まわせておく家
二人は大曲で電車を下り、江戸川端から足の向く方の横町へとぶら/\曲 つて行つたが、する中にいつか築土明神下の廣い通へ出た。鳥居前の電車道を横ぎると向うの細い横町の角に待合の燈が三ツも四ツも一束になつて立つているのが見えて、其の邊に立並んだ新しい二階家の様子。どうやら頃合な妾宅向きの貸家がありそうに思われた。土地の藝者が浴衣を重ねた素袷に袢纏を引掛けてぶら/\歩いている。中には島田をがつくりさせ細帶のまゝで小走に湯へ行くものもある。箱屋らしい男も通る。稽古三味線も聞える。互に手を引合つた二人は自然と廣い表通よりもこの横町の方へ歩みを移したが、すると別に相談をきめたわけでもないのに、二人とも、今は熱心にあたりの貸家札に目をつけ始めた。 神樂坂の大通を挾んで其の左右に幾筋となく入亂れてゐる横町といふ横町、路地といふ路地をば大方歩き廻つてしまつたので、二人は足の裏の痛くなるほどくたぶれた。然しそのかひあつて、毘沙門樣の裏門前から奧深く曲つて行く横町の唯ある片側に當つて、其の入口は左右から建込む待合の竹垣にかくされた極く靜な人目にかゝらぬ路地の突當りに、誂向の二階家をさがし當てた。表の戸袋へ斜に張つた貸家札の書出しで差配はすぐ筋向の待合松風と知れている處から、その家の小女を案内に内ちの間取を見るや否やすぐ手付金を置いた。其の時千代香が便所を借りにと松風の座敷へ上つたが、すると二人は疲れきってゐるので、もう何処へも行く元氣がなくその儘この松風の奥二階へ蒲團を敷いて貰うことにした。 |
大曲 おおまがり。大きく曲がる場所。ここでは新宿区新小川町の大曲という地点。ここで神田川も目白通りも大きく曲がっています。
江戸川 神田川中流。文京区水道関口の大洗堰から船河原橋までの神田川を昭和40年以前には江戸川と呼びました。
端 ばた。そのものの端の部分やその近辺の意味
築土明神 天慶3年(940年)、江戸の津久戸村(現在は千代田区大手町一丁目)に平将門の首を祀って塚を築いたことで「津久戸明神」として創建。元和2年(1616年)、江戸城の拡張工事があり、筑土八幡神社の隣接地に移転。場所は新宿区筑土八幡町。「築土明神」と呼ばれた。1945年、東京大空襲で全焼。翌年(昭和21年)、千代田区富士見へ移転。
広い通 大久保通りです。
電車道 路面電車です。戦前の系統➂は、新宿と万世橋を結びました。
頃合 ころあい。ちょうどよい程度。似つかわしいほど。てごろ。
素袷 下に肌着類を着けないで、袷だけを着ること。袷とは裏地のついている衣服。
袢纏 半纏。長着の上にはおる衣服。羽織に似ているが襠(袴の内股や羽織の脇間などに入れる布)も胸紐もなく、衿も折り返らない。
島田 島田髷。日本髪の代表的な髪形。前髪と髱を突き出させて、まげを前後に長く大きく結ったもの。
がっくり 折れるように、いきなり首が前に傾くさまを表わす語
細帯 帯幅が11~13㎝の帶。普通の帯幅の半分の半幅帯よりもさらに細い
箱屋 箱に入れた三味線を持ち、芸者の共をする者
貸家札 貸家であることを表示する札。多くは斜めに貼る。
路地の突き当たり 「突き当たり」とは「道や廊下などの行きづまった場所」。戦前の地図としては「古老の記憶による震災前の形」(新宿区立図書館資料室紀要4「神楽坂界隈の変遷」昭和45年)があります。考えられる場所では5つです。
戸袋 雨戸や引き戸を複数枚収納しておく場所
差配 所有主にかわって貸家・貸地などを管理すること
間取 家の中の部屋のとり方。部屋の配置。
奥二階 表二階とは表通りに面した二階座敷。奥二階は表通りに面しない二階座敷。