ID 480とID 11455は、飯田橋交差点の西側からを東側を狙っています。左右方向が外堀通り。手前の横断歩道は大久保通り。左側の高架の下が目白通りです。 歩道橋の右、日除けテントの古い建物はこの当時、新宿区に属していました。後に区境変更で千代田区になります。 その右は取り壊されて空地になり、フェンスで囲まれています。フェンス越しに見えているのは外堀の向こう岸にある飯田橋駅駅舎の2階部分。その上にはホームの屋根が左右に続いています。駅舎の手前、右の平屋は東京燃料林産の建物でした。一番奥の数棟のビルも千代田区です。
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 494 飯田橋駅ガード下
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11469 飯田橋駅高架下 目白通り
ID 490とID 11469は、ID 480の左側の歩道橋の上から飯田橋駅の高架ホームを撮影しています。JRの発足は1987年(昭和62年)4月なので、撮影当時は「国電」でした。高架橋の案内看板には「JNR(日本国有鉄道) 飯田橋駅→」と書かれています。駅前のタクシー乗り場は、今も同じ場所にあります。 飯田橋駅のホームは、この写真の右側に200メートルほど移転し、2020年7月12日に新しく開業しました。今も高架橋は変わっていませんが、すでに写真の部分はホームとしては使われていません。 撮影位置は新宿区の最も外れで、写っているのはすべて千代田区です。 なお、現在の飯田橋駅の出入口は、始めの一か所から、変遷の末、北東の出入口と南西の出入口になりました。北東の出入口を東口、南西は西口と呼び、さらに現在は無数の改札があります。
ID 13793の場所は分かりません。ただ360度VRカメラで「クランク坂」を数えると15段あります。1段は16-18cm(20cmだと急すぎる)ので、「クランク坂」の高低差は2.5mくらい。この写真の段差は人の背丈や軒より低いので「クランク坂」とは違うように思います。 階段を上がったところに門灯(裸電球)がついています。この路地は袋地で、階段は突き当たりの家のもののように感じます。同時代と思われるID 13791–13792に比べて路地が未舗装で雨水用の側溝がないのも、路地が行き止まりで整備されていないためかも知れません。 地形的には「かくれんぼ横丁」の突き当たりなど、裏道の袋地の奥が1mくらい高くなっている場所がいくつかあります。特定は出来ませんが、そうした路地の写真ではないかと思います。
右側に瀬戸物の河合陶器店、上に山下漆器店が並んでいます。2店は平成29年(2017年)、道路の拡幅があり、なくなりました。河合陶器店の向こう側、都電ごしに見える6丁目の右手は果物の「田中屋」。左側の上には協和銀行の看板があります。 右手の上に標識ポール「神楽坂」が立っています。なにか「神楽坂」ではなさそうですが、表裏の二方向が必要なので、こうなっています。 「神楽坂下」交差点では、昭和35年頃までには標識ポール「神楽坂」がなくなっています(新宿歴史博物館 ID 5510)。つまり街灯の「鈴蘭灯」はあるが、標識ポール「神楽坂」はなくなっています。
昭和35年頃。新宿歴史博物館 ID 5510
以下は地元の方が発見したことですが、新宿歴史博物館 ID 7430(撮影は昭和45年11月14日)では、標識ポールはまだ残っている。写真の左側の矢印が「神楽」を隠しているけれど、標識ポールがある。
ID 11862について、左端の街灯の下には「神楽坂商栄会」があります。この会は神楽坂6丁目の商店会のことで、現在の神楽坂商店街振興組合(昭和58年設立)の前身です。次の電柱にはポスター「6.25/左翼連合結成/全国総決起集会」が少なくとも4枚、その下に「日本電信電話公社」(NTTグループの前身)のロゴマークがあります。 店舗は乾海苔問屋髙です。店内に「新海苔」、ガラス戸の左右に「賀正」「地方発送承ります」のポスター。右端のポスターは内容不明ですが「〇〇堂」らしく読めます。 右から左にかけて、ゆるやかな上り坂です。店の床と、歩道の段差が少しずつ狭くなっているのが分かります。ダラダラした上りは神楽坂6丁目商店街の特徴です。 ID 11863は店内の正月飾りを狙っています。上端で見切れている半円は何かの組合員証のようなものと思われますが、残念ながら店の手がかりはありません。 では、この乾海苔問屋はどこでしょうか。普通に考えれば折井海苔店(神楽坂6-15)です。同店は1986年11月に「折井ビル」になっていて、それ以前の姿はよく分かりません。 一方、1970年の地図には「小松海苔店」(神楽坂6-24)もあり、1973年10月に「小松ビル」になりました。この店である可能性もあります。ただ現在もある小松ビルの1階は歩道から少し後退していて、段差はなくスロープです。この写真とは様子が違うので、折井海苔店でしょう。 現在は折井ビル、小松ビルとも1階は別の店舗になっています。
ID 11485は入り口のアップです。社名は戦前の右書きで「社究研」。向かって右の門灯は失われています。その下の銘板は読めませんが、戦前の写真には見えないものです。前の路上の会社員風2人はネクタイがなく、半袖らしいワイシャツを着ています。
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11486 神楽坂 研究社
ID 11485は向かって左に、戦後に建てられた研究社の新館があり、旧館との間に渡り廊下のような屋根が見えます。新館には垂れ幕「建国200年アメリカの核心を衝く! 総合 アメリカ 全7巻 絶賛刊行中! 研究社」があります。旧館の右奥の建物は東京理科大学です。 電柱広告は「〇〇部医院」と読めます。外堀通りを照らす道路灯はあかあかと光っていますが、歩道の街灯は消灯して、撮影したのは夕方でしょう。 ID 12201~12203のカラー写真も同じなので、同時期の撮影と思われます。
車道は凹凸が目立ち始め、将来できるOリングはまだありません。歩道は正方形コンクリートの数列と縁石からつくられて、車道と縁石の段差はほとんどないようです。下水は縁石の側にはないと思います。街灯は昭和28年頃から昭和36年頃まで続いた、鈴蘭の花をかたどった鈴蘭灯で、向かって左側は歩道の端の縁石近くに、右側は逆に建屋の近くに立っています。右端に完成寸前の建物があります。見番横丁の角で、後に「レストラン花菱」として開業します。昭和28年(1953年)撮影のID 99では看板が出ているので、この写真はその少し前の撮影と思われます。 ID 9505で右側の白い上下の女性は半袖ですが、他は長袖で、しかしコートを羽織るほどの寒さではありません。