カテゴリー別アーカイブ: 神楽坂2丁目

小品『草あやめ』①|泉鏡花

文学と神楽坂

泉鏡花作「草あやめ」(明治36年)の最初の1節です。当時の神楽坂2丁目の様子がわかります。まだこの辺りは華街にはなっていなかったのですね。

二丁目にちやうめ借家しやくや地主ぢぬし江戸兒えどつこにて露地ろぢとざさず裏町うらまち木戸きどには無用むようものるべからずとかたごとしるしたれど、表門おもてもんにはとびらさへなく、けても通行勝手つうかうかつてなり。たゞ知己ちかづきひととほけ、世話せわもを素通すどほ無用むようたること、おもひかはらずりながら附合つきあひ五六けん美人びじんなきにしもあらずといへどみだり垣間見かいまみゆるさず、のき御神燈ごしんとうかげなく、おく三味さみきこゆるたぐひにあらざるもつて、頬被ほゝかぶり懐手ふところで湯上ゆあがりのかた置手拭おきてぬぐひなどの如何いかゞはしき姿すがたみとめず、華主とくいまはりの豆府屋とうふや八百屋やほや魚屋さかなや油屋あぶらや出入しゆつにふするのみ。

[現代文] 二丁目の私の借家の地主は、江戸っ子であり、門などは閉めない。裏町の木戸には無用の者は入ってはいけないと型どおりに書いている。しかし、表門を見ると、扉はなく、夜が更けても誰でも勝手に通行できる。ただし、近くの人の通り抜けはよくない。一般的な言葉を使うと、素通り、つまり、立ち寄らずに通り過ぎる人は、いらないと私は考えている。
 お付き合いした五六軒を見ると、美人もいるが、やはり、みだりにのぞき見はいけない。待合のように提灯はかかっておらず、奥には三味線の音も聞こえてこない。さらに、ほおかぶり、懐手、湯上りの肩に置手拭といったいかがわしい姿もない。あるのは、得意客を回る豆腐屋、八百屋、魚屋、油屋が出入する音だけだ。

二丁目 神楽坂2丁目22番地のこと。泉鏡花は明治36年から39年まで、ここを借りていました。
露地を鎖さず 「ろじをとざさず」。露地は覆いがない土地。これを戸・門などでしめない。
通行勝手 勝手に通行できる。
素通り 立ち寄らずに通り過ぎる。
かはらず 変わらず。変わることないが。そう考えているが。
お附合 「お付き合い」。人と交際すること
美人なきにしもあらず 「なきにしもあらず」とは「無きにしも非ず」。ないわけではない。美人ではないわけではないが
垣間見 間からからこっそり見ること。のぞき見。
御神燈 芸者屋などで縁起をかついで戸口につるした提灯。
三味の音 芸者さんは午前中から三味線の練習をしました。
類にあらざる 同類ではない。似ていない。芸者さんとかは来ていない。
頬被 手ぬぐいなどで頭から頰にかけて包み、顎のあたりで結ぶこと。
懐手 手を袖から出さずに懐に入れていること。傍観者の立場という感じでしょうか
置手拭 手ぬぐいを畳んで、頭や肩にのせること
如何はしき いかがわしい。怪しげだ。疑わしい
豆府屋 行商の豆腐屋はラッパを鳴いて売り歩いていました。行商の八百屋、魚屋、油屋もありました。

あさまだき納豆賣なつとううり近所きんじよ小學せうがくかよをさなが、近路ちかみちなればいつたもとつらねてとほる。おはなやおはな撫子なでしこはな矢車やぐるま花賣はなうりつき朔日ついたち十五日じふごにちには二人ふたり三人さんにんくなり。やがて足駄あしだ齒入はいれ鋏磨はさみとぎ紅梅こうばい井戸端ゐどばた砥石といしゑ、木槿むくげ垣根かきね天秤てんびんろす。目黑めぐろ(たけのこ)うりあめみの若柳わかやなぎ臺所だいどころのぞくもゆかや。

[現代文] 早朝、納豆を売る人が出てくる。近所の小学校に通う幼児も近道をとおり、五人や六人、一緒に歩いている。お花を売る姿も見える。撫子の花や矢車の花を売り、月の一日や十五日になると、二人三人呼びあって、皆で買うようだ。やがて行商の足駄の歯入やハサミ研ぎが出てくる。紅梅の井戸端に砥石をそろえ、木槿の垣根に天秤を下ろす。目黒の筍売屋は雨の日に蓑を着て、若い女性が台所にいるのを見ている。これもいい感じだ。

小学 竹内小学校です。場所はここ。明治20年の地図ではここ。平成9年の『ここは牛込、神楽坂』第4号16頁によれば、「『近所の小学』というのは、現在、東京理科大学の一部になっている所にあった私立竹内小学校のことで、公立の津久戸小学校が創立されるまで、付近の子供たちはほとんど、ここに通っていたと聞きました」と書いてあります。実は津久戸小学校ができてもただちに竹内小学校が消えたのではなさそうです。津久戸小学校が作られたのは明治37(1904)年4月。ほぼ20年後の大正11(1922)年になっても、東京逓信局編纂『東京市牛込区』では、この2つの小学校は依然同時にあります。大正12年、関東大震災が起こり、それから、ようやく昭和5(1930)年には竹内小学校は消えています。また、昭和45年新宿区教育委員会の「神楽坂界隈の変遷」「古老の記憶による関東大震災前の形」を見ると、私立竹内小学校はかなり大きな敷地を占めていました(下図)。

古老の記憶による関東大震災前の形竹内小学校
現在は理科大のキャンパスです。竹内小学校

朝まだき 早朝
幼き おさなき。年齢がごく若い。未熟だ。
袂を連ねて 袂とは和服の袖付けから下の、袋のように垂れた部分。袂を連ねる人と行動を共にする。
撫子 なでしこ。ナデシコ科の多年草。
矢車 やぐるまぎく。キク科の一年草。
足駄 あしだ。下駄の一種。東日本では歯の高い差歯(さしば)の下駄をアシダと呼んでいる。
歯入 はいれ。下駄の歯を入れ換えること。その職業。
鋏磨 ハサミ研ぎ。
紅梅 こうばい。ウメのこと。
木槿 ムクゲ。アオイ科の落葉低木。写真は左からなでしこ、やぐるまぎく、むくげ 藁(わら)を編んで作られた雨具の一種。
若柳 若い柳。ここは美人のことだと思います。たとえば、柳眉とは柳の葉のように細く美しい美人の眉をさします。同じではないでしょうか。
床し 気品・情趣などがある。

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小品『草あやめ』⑤|泉鏡花

文学と神楽坂

 翌朝あくるあさ(れい)(あき)さん、二階(にかい)駈上(かけあが)跫音高(あしおとたか)く、朝寢(あさね)(まくら)(たゝ)きて、()きよ、(こゝろ)なき(ひと)人心(ひとこゝろ)なく(はな)かへつて(じやう)あり、さく(ひやゝ)かにいひおとしめし()ぢたりけん、シヽデンの(はな)(ひら)くこと、今朝(けさ)一時いつときに十一と、あわたゞしく起出(おきい)でて(はち)いだけば花菫はなすみれ野山(のやま)滿()ちたるよそほひなり。()つゝ(おも)はず悚然ぞつとして、いしくも()いたり、可愛かはゆき花、あざみ鬼百合おにゆりたけんば、()ことば(いきどほ)りもせめ姿形(すがたかたち)のしをらしさにつけ、(なんぢ)(やさ)しき(こゝろ)より、百年もゝとせよはひ(さゝ)げて、一朝(いつてう)(さかり)()するならずや、いかばかり、(われ)(うら)なんと、あはれ()ふべくもあらず。くちそゝ()てつ、書齋(しよさい)なる小机(こづくゑ)()て、(ひと)なき(とき)端然(たんぜん)として、失言(しつげん)(しや)す。しかゆふべにはしをれんもの、(ねがは)くば、()(いのち)だに(ひさ)しかれ、(あら)(かぜ)にも()べきか。なほ心安(こゝろやす)らず、みづから()(こゝろ)なかりしを()いたりしに、(つぎ)(あさ)(いた)りて(さら)に十三の(はな)()けり、(うれ)しさいふべからず、やよや人々(ひと/”\)(また)シヽデンといふことなかれ、()(いへ)ものいふ(はな)ぞと、いとせめてであへりし、()()日曜(にちえう)にて宙外ちうぐわい(くん)(たち)()らる。
 巻莨まきたばこ()(ひか)たなそこ()()て、なん主人(しゆじん)むくつけき(なん)()(はな)のしをらしきと。主人(しゆじん)(おほ)いに恐縮(きようしゆく)して假名(かな)()()けば()()らずと()はる。(わす)れたり、斯道しだう曙山しよざん(くん)ありけるを、(はな)(ひと)()りて(ふところ)にせんもをしく、よく(いろ)()()(おぼ)え、あくる()四丁目(よんちやうめ)編輯局(へんしふきよく)にて、しか/″\の(くさ)はと()へば、同氏(どうし)(うなづ)きて、(かみ)()して(これ)ならん、それよ、草菖蒲くさあやめ女扇(をんなあふぎ)(たけ)(あを)きに(むらさき)(たま)(ちりば)たらん姿(すがた)して、()()よそほひまさる、草菖蒲(くさあやめ)といふなりとぞ。よし(なに)にてもあれ、()いとほしのものかな。

[現代語訳] 翌朝、例の秋さんが、その足音は高く、二階へ掛け上ってきた。朝、枕を叩いて、「起きてみてよ。冷徹な奴だな。人間には思いやりはないが、花には情がある。昨日は冷ややかにいわれ、軽蔑され、恥をかきました。でもシシデンの花は大きく開いている。今朝、一回の開花でなんと11輪」。私は慌ただしく起きだして、鉢を抱いてみた。花スミレは野山にいっぱいのよそおいだ。見ていると思わず感動した。「見事に咲いた、可愛い花。アザミ、オニユリなどの勇ましい植物だとすると、私の言葉に腹立ちもあろう。しかし、シシデンの姿形はしおらしく、心は優しい。百年の年齢を献げても、一日の朝には最盛時を見ない場合もある。私に対する怨みをどれほどもっているのか。まして、あわれさでは、言っても言い切れない」と。私は口の中を洗い終えて、花を書斎の小机の上に置き、人がいない時に、姿勢を正し、失言だったと、あやまった。シシデンは夕方になると、しおれるので、願わくは、葉の命だけでも永久に、また、荒い風にも当てるべきではないか。しかし、これで安心はまだできない。私は真に心なき人だったと悔んでいた。次の朝、さらに花は十三輪ほど咲いた。その嬉しさはいいきれない。さあさあ、人々が再びシシデンということはもうない。わが家の美人よ、せめてその美しさを味わおう。その日は日曜であり、後藤宙外君も立ち寄った。
 巻タバコの手を控え、葉を手のひらでさすった。どうして大家は無風流であり、どうしてこの花はしおらしいのか。その大家は大いに恐縮し、「俗称の名前をなんでしょう」と聞くと氏もわからないときっぱり答えた。忘れていたのが、この分野で有名な人に前田曙山君がいる。花一輪を取り、懐中にいれるのは、おしい。そこで、よく色を見て、葉を覚えて、翌日、四丁目の春陽堂編集局に行き「こんな草は」と質問すると、曙山君はうなづいて紙に絵をかき「これでしょう」といったのである。「そう、これ、これ」というと、「草アヤメです」と答えた。青い竹でつくった女性用の扇で紫の珠をちりばめたような姿があり、日に日に風情が増し、草アヤメだという。なるほど、何はともあれ、私にとっては、この花はかわいいものよ。

草菖蒲  昔の「あやめ」「あやめぐさ」はともに現在の「ショウブ」でショウブ目ショウブ科ショウブ属。この花は花らしくはないので違います。残るのはアヤメ、ハナショウブ、カキツバタの3種。違いは竹田寛氏の「6月 《アヤメ》 ― いずれアヤメかカキツバタ 」によれば

 外花被片の基部の模様、すなわち密標の模様の違いです。アヤメは文目模様、花ショウブは黄色の筋、カキツバタは白い筋です。私は「文目(あやめ)、黄しょうぶ、白つばた(アヤメ、キショウブ、シロツバタ)」と覚えることにしています。これだけ覚えておけば十分です。またアヤメは乾地、カキツバタは湿地、花ショウブはその中間の地帯に育ちます。

 草あやめはアヤメ、ハナショウブ、カキツバタ、あるいはその変種のうち何なのでしょうか。文章を読む限り、どれもありそうで、はっきりしません。そこで前田曙山氏が書いた「和洋草花趣味の栽培」「草木栽培書」「高山植物叢書」も調べてみました。アヤメ、ハナショウブ、カキツバタの3種類の中で、山菖蒲(ハナショウブの原種)、水菖蒲(ショウブの別名)はありましたが、草あやめという名前はなく、さらに種や変種でもありませんでした。さらに後藤宙外氏には『草あやめ』という小冊子もありましたが、この中には無関係の小説数点がはいっているだけでした。では、草あやめは何なのでしょうか。私は単に草本の「アヤメ」と同じだと考えています。花菖蒲、山菖蒲や水菖蒲、菖蒲草と同じように草菖蒲もあり、これは現在のアヤメなのです。しかし、他の考え方もあり、昔は「草あやめ」の名前はあっても、やがて、何をさしていたのか、わからなくなった場合や、あるいは、草あやめという植物をこの小説のため創作したなどです。また、森脇伸平氏によれば、庭の花写真でニワゼキショウというアヤメ科の俗名が草あやめだといいます。一応、草あやめは不明のままとしておきます。

心なし 思慮分別のない。思いやりのない。そんな人。
 過ぎ去った日。むかし。きのう。
おとしめる 貶める。おとしむ。劣ったものと軽蔑する。さげすむ。見下す。
 そう。よそおい。外観をととのえる。
悚然 しょうぜん。恐れて立ちすくむさま。慄然。寒さや恐怖など、また、強い感動を受けて、からだが震え上がるさま。
いしくも 美しくも。見事に。殊勝にも。形容詞「い(美)し」の連用形と係助詞「も」。
 キク科アザミ属の多年草の総称。葉に多くの切れ込みやとげがある。
鬼百合 ユリ科ユリ属の多年草。山野に自生し、高さ約1メートル。
猛し 勇猛な。勇ましい。勢いが盛ん。激しい。
せむ 責む。とがめる。なじる。責める。
一朝 いっちょう。わずかな間。
 力や勢いがさかん。さかえる。
ずや …ではないだろうか。…ではないか。
なん 完了の助動詞「ぬ」の未然形と、推量の助動詞「む(ん)」でしょうか。きっと…だろう。…にちがいない。
あわれ 不憫と思う気持ち。無惨な姿。
漱ぐ くちそそぐ。水などで口の中を洗い清める。うがいをする。
すえる 据える。物を一定の場所に動かないように置く。
端然 姿勢などが乱れないできちんとしているさま。礼儀にかなっているさま。
当てる 光・雨・風などの作用を受けさせる。
心安い 安心である。心配がない。
やよや 呼びかける時に発する語。さあさあ。おいおい。
ものいう花 ことばを発する。口をきく。力を発揮する。「物言う花」で美人。
撫す ぶす。ぶする。手のひらでさする。なでる。いたわる。かわいがる。
むくつけし 無骨でむさくるしい。無風流だ。
仮名 実名を秘して仮につけた名前。変名。俗称。通称。
斯道 学問や技芸などで、この道、この分野。
 ふところ。衣服を着たときの、胸のあたりの内側の部分。懐中。
編輯局 日本橋区通四丁目にあった春陽堂の編集室です。ここで一時編集者として前田曙山氏が働いていました。
女扇 おんなおうぎ。女持ちの小形の扇。
鏤める ちりばめる。金銀・宝石などを、一面に散らすようにはめこむ。
 よそおい。装い。粧い。外観の様子。おもむき。風情。
いとほし 気の毒だ。かわいそうだ。かわいい。

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小品『草あやめ』④|泉鏡花

文学と神楽坂

 茘枝(れいし)(ちひ)さきも活々いき/\して、藤豆(ふぢまめ)(ごと)()(つる)(はし)()むるを、いたづら()おほいにして、()(じつ)(せう)なる、()(かたち)さへさだかならず。二筋(ふたすぢ)三筋(みすぢ)すく/\と()びたるは、()れたる(には)むし()べくも(おぼ)えぬが、彼処かしこ()えて此處(こゝ)(あらは)けむ、其處(そこ)(また)彼處(かしこ)に、シヽデンに()たる雜草(ざつさう)(かぞ)るに()ず、(おとうと)はもとより、はじめはこと(こゝろ)()て、(みづ)などやりたる(あき)さんさへ、いひがひなきに(あき)()てて、罵倒(ばたう)することなゝめならず(くさ)(はびこ)るは、(また)してもキウモンならんと、以來(いらい)もなくたゞ呼聲(よびごゑ)いかめしき渾名あだなとなりて、今日(けふ)御馳走(ごちそう)があるよ、といふ(とき)(おとうと)(あき)さんも、(かげ)(つぶや)いて、シヽデンかとばかりなりけり。
 ()るまゝに何事(なにごと)()はずなりし、不図(ふと)()のシヽデンの(さい)昼食ちうじきのち(には)ながむることありしに、(くも)(ごと)紫雲英(げんげ)(まじ)りて(ちい)さき薄紫(うすむらさき)(はな)(ふた)咲出(さきい)でたり。立寄(たちよ)りて(くさ)()けて()れば、(かたち)すみれよりはおほいならず、六べんにして、(その)薄紫(うすむらさき)花片はなびら()(むらさき)(すぢ)あり、しべ(いろ)()に、(くき)(いと)より(ほそ)く、()水仙(すゐせん)()淺緑(あさみどり)(やはら)かう、()にせば()えなむばかりなり。(なへ)なりし(ころ)より見覺(みおぼ)えつ、(まが)ふべくもあらぬシヽデンなれば、英雄(えいゆう)(ひと)あざけども、苗賣(なへうり)(われ)()になさず、と(みな)打寄(うちよ)りて、(つち)ながら()()りて(はち)()ゑ、(みづ)やりて(えん)差置(さしお)き、とみかう()るうち、(しな)一段(いちだん)打上(うちあが)りて、緣日(えんにち)ものの()にあらず、夜露(よつゆ)()れしが、翌日(よくじつ)(はな)また(ふた)()きぬ、いづれも入相いりあひの頃しぼみて東雲しのゝめ(べつ)なるが(ひら)く、三朝(みあさ)みあさにして四日目(よつかめ)昼頃(ひるごろ)()れば(はな)(たゞ)(ひと)ツのみ、()もしをれ、()(かわ)きて、昨日(きのふ)には()風情ふぜい()くべき(つぼみ)(さが)()てず、()ればこそシヽデンなりけれ、申譯(まをしわけ)だけに()いたわと、すげなく()ひけるよ。

[現代語訳] 小さいゴーヤもいきいきとして、藤豆などではつるの先端も見え始めた。一方、このシシデン、その名前は無駄に大きく、その実体は小さく、葉の形もわからない。二筋三筋がすくすくと延びたが、荒れた庭に引っこ抜いて終わるものなのか、これもわからない。あちらで消え、こちらであらわれるのか、シシデンと似た雑草は無数にある。弟はもとより、はじめは殊に心を込めて水などをあげていた秋さんにとっても、効果はなく、呆れ果てて、はなはだしい罵倒するようになった。草がしげる時には、またしてもキウモンかと喋り、以来と違い、呼び声だけはいかめしい渾名になっている。今日は御馳走があるよ、という時には、弟も秋さんも、かげでつぶやき、またシシデンかというようになった。
 日時が経過すると何もいわないようになった。昼食の後、ふと、そのシシデンの惣菜を考えながら庭をながめていたが、雲のようなレンゲソウと混ざって、小さな薄紫の花が二輪、咲き出ていたのである。立寄って草を分けて見ると、形はスミレよりは大きくなく、六弁で、その薄紫の花びらには濃い紫の筋がある。おしべの色は黄色で、茎は糸より細く、葉は水仙に似て浅緑で柔らかく、手に持てば消えそうだ。苗だった頃から見覚えがあり、まごうべくもないシシデンである。人の考え及ばないようなはかりごとをするのが英雄だが、こちらは苗売なので私をばかにしない。全員集まって、土から根を掘って、鉢に植え替え、水をあげて、縁台に置いてあげた。あちこちを見ていると、品質も一段上になり、ただの縁日ものではない。夜露に濡れたが、翌日は花をさらに二輪咲いた。夕暮れ時しぼみ、明け方に別の花だが開き、これが三日目の朝まで続いた。
 四日目の昼頃、見ると花はただ一輪だけ、葉もしおれ、根も乾き、昨日とは似ていない風情。咲くべき蕾も探しあてられず、だからこそシシデンだ、申し訳程度に咲いたのだと、私はそっけなく言ったのである。

挘る つかんだりつまんだりして引き抜く。
果つ 果てる。続いていた物事が終わりになる。終わる。
顕れる よくないことが公になる。発覚する。
数ぶ かぞふ。数える。数量や順番を調べる。勘定する。一つ一つ挙げる。列挙する。
尽きる 最後までその状態のままである。…に終始する。
籠める 物の中にいれる。詰める。形に表れない物を十分に含ませる。
言い甲斐 いひがひ。言葉に出して言うだけの価値。言っただけの効果。
斜めならず ひととおりでない。はなはだしい。
然もない そうではない。そうでもない。たいしたことはない。
いかめしい 近よりにくい感じを与えるほど立派で威厳がある。
とばかり ではないかと思うほど。
 酒や飯に添えて食べるもの。おかず。副食物
 しべ。花の雄しべと雌しべ。ずい。
英雄人を欺く 英雄は知恵・才能にすぐれているから、往々にして人の考え及ばないようなはかりごとや行いをするものだ。李攀竜(りはんりょう)の「選唐詞序」から。
 ぐ。おろか。ばか。ばかにする。
と見かう見 あっちを見たり、こっちを見たり。あっち見、こっち見。
入相 いりあい。日の沈むころ。日暮れ時。夕暮れ
東雲 しののめ。夜が明けようとして東の空が明るくなってきたころ。あけがた。あけぼの
すげない 素気無い。愛想がない。思いやりがない。そっけない。

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小品『草あやめ』③|泉鏡花

文学と神楽坂

 朝顔(あさがほ)(なへ)覆盆子いちご(なへ)(はな)()もある(なか)に、呼声(よびごゑ)仰々(ぎやう/\)しき(ふた)ツありけり、(いは)牡丹咲(ほたんざき)(じや)()(ぎく)(いは)シヽデンキウモンなり愚弟(ぐてい)たゞち()て、賢兄にいさんひな/\と()ふ、こゝに牡丹咲(ぼたんざき)(じや)目菊(めぎく)なるものは所謂いはゆる蝦夷(えぞ)ぎく(なり)。これは……九代(くだい)後胤こういん(たひら)の、……と平家(へいけ)豪傑(がうけつ)名乗(なの)れる如く、のの()(ふた)()けたるは、賣物(うりもの)(はな)(ほか)ならず。シヽデンキウモンに(いた)りては、何等なんら(もの)なるやを()るべからず、苗売(なへうり)()けば(たぐひ)なきしをらしき(はな)ぞといふ、蝦夷(えぞ)(ぎく)おもしろし()(はな)しをらしといふに()ず、いかめしくシヽデンキウモンと()ぶを(あざ)けるにあらねど、の二(しゆ)()(ほか)(べつ)に五(せん)なるを如何いかんせん。
 しかれども甚六(じんろく)なるもの、豈夫あにそれ白銅(はくどう)一片(いつぺん)辟易(へきえき)して()ならんや。すなは()()なく(さと)(いは)く、なんぢ若輩(じやくはい)、シヽデンキウモンに私淑(ししゆく)したりや、金毛(きんまう)九尾(きうび)ぢやあるまいしと、二階(にかい)(あが)らんとする(たもと)(とら)へて、()いぢやないかお()ひよ、(ひと)()いたつて(はな)ぢやないか。旦那(だんな)だまされたと(おぼ)()してと苗賣(なへうり)(すゝ)めて()まず、(ぼく)()ゑるからと女形(をんながた)(しきり)口説(くど)く、(みな)キウモンの()(まよ)へる(なり)長歎(ちやうたん)して(べつ)五百(ごひやく)(おご)
 (かき)朝顏(あさがほ)藤豆(ふぢまめ)()ゑ、(たで)海棠かいだうもとに、蝦夷菊(えぞぎく)唐黍(たうもろこし)茶畑(ちやばたけ)(まへ)に、五本いつもと三本みもとつちかひつ()にしおふシヽデンは(には)一段(いちだん)(たか)(ところ)飛石(とびいし)かたへ()ゑたり。此處(こゝ)あらかじ遊蝶花(いうてひくわ長命菊ちやうめいぎく金盞花きんせんくわ縁日えんにち名代(なだい)(がう)のもの、しろべにしぼり濃紫こむらさきいまさかり咲競さききそふ、なかにもしろはな紫雲英げんげ一株ひとかぶはうごしやくはびこり、だいなることたなそこごとく、くきながきこと五すんうてな(いたゞ)()に二十を(くだ)らず、けだ(はる)(さむ)(あさ)、めづらしき早起(はやおき)(をり)から、女形(をんながた)とともに道芝みちしば(しも)()けておほり土手(どて)より()たるもの、()()らんとして、(たもと)火箸(ひばし)(しの)せしを、羽織(はおり)(そで)破目やぶれめより、(おもひ)がけず(みち)に落して、おほい臺所(だいどころ)道具(だうぐ)事缺ことかし、經營(けいえい)慘憺(さんたん)あだならず(こゝろ)なき(くさ)も、あはれとや(しげ)けん。シヽデンキウモンの(なへ)なるもの、二日(ふつか)三日(みつか)うちに、()紫雲英(げんげ)()がくれ()えずなりぬ。

〔現代語訳〕 朝顔の苗、いちごの苗、花も売っているし、実も売っている。大げさな売り声はふたつあって、牡丹咲きの蛇の目菊がひとつ、シシデンキウモンが別のひとつだという。弟はただちに聞きほれて、にいさん買おうよ、買おうよという。ここで牡丹咲きの蛇の目菊は、いわゆる蝦夷菊で……九代の後胤、(たいら)の、……と平家の豪傑も名乗ったようだが、ここで「の」の字を二個つけているのは、「売り物には花を飾れ」という言い回しそのままである。シシデンキウモンは、どんなものなのかわからない。苗売に聞くと、比類なく しおらしい花ですという。蝦夷菊には心をひかれるが、この花については、しおらしいというのは似合わない。シシデンキウモンと厳しく呼んでいるが、かといって悪く言おうというものではない。この二種、一分(25銭)に加えて、別に五銭を払えという。どうしようかね。
 でも、甚六という者は、どうして白銅貨一枚でためらうのかという。そこで、私はシシデンキウモンを師として尊敬するのか、金毛九尾の狐が出た場合じゃないのにと、二階に向かって逃げ出したくなったが、その袂をつかまえて、いいじゃないか、買おうよ、ひとつ花が咲いてもたかが花じゃないかという。苗売りも旦那だまされたと思って買いましょうと、その勧誘は止まらない。女形も僕が植えるからと盛んに口説く。全員キウモンという名前に間違えているのだ。長いため息をだして、別に500銭ほど大盤振舞をした。
 垣根に朝顔と藤豆を植え、蓼はハナカイドウの花の下に、蝦夷菊とトウモロコシは茶畑の前で五本と三本で栽培した。名前も有名なシシデンは庭の一段高い場所で、飛石の傍に植えた。ここにはあらかじめパンジー、ヒナギク、キンセンカという縁日では超有名な花が植えてあり、色は白、赤、まだら、濃紫などで、今を盛りに咲き競い、中でも白い花のレンゲソウは、一株だけでも150cm四方になり、葉は巨大で掌のよう、茎も長くて15センチ、開花の期間は20日以上。思えば春の寒い朝だが、めずらしく目が覚めて、女形と一緒に、お濠の土手の路傍の草についていた霜を分けて、根っこを掘ろうと思って、火箸をたもとに入れておいた。が、羽織のそでの裂け目から、思わず道路に落とし、そのため、台所道具は大いに事欠き、あらゆる事も惨憺になっだ。心なき草も、あわれと思ったのか密集して生えてきたが、しかし、シシデンキウモンの苗は、二、三日間で、このレンゲソウの葉にかくれ、見えなくなった。

仰々しい 大げさだ。
牡丹咲 花びらが重なって咲く花の咲き方で、花びらが大きく膨らんで、派手になったもの。例は http://www.nagominoniwa.net/camellia/botan-fukurin.html
蛇の目菊 「蛇の目」とは大小二つの同心円の文様。「蛇の目菊」は舌状花の基部に蛇の目模様があるもの。右図を。
シシデンキウモン なんでしょうか。この単語、文章の最後になってわかります。
 こつ。ほれる。心がぼうっとする。ぼんやりする。
蝦夷菊 えぞぎく。キク科の一年草。園芸品種名はアスター。右図を。
後胤 こういん。子孫。後裔。
名乗る なのる。自分の名や身分を他人に向かって言う。
売り物に花 売り物には花を飾れとの故事・ことわざ。売り物がよく売れるためには、内容もよくなければならないが、見てくれはなおよくなければならない。売り物は体裁よく飾り立てて売るのが上手な商売である。
しおらしい 控えめでいじらしい。遠慮深くて奥ゆかしい。
おもしろい ここでは、心をひかれる。趣が深い。風流だ。
嘲る  あざける。ばかにして悪く言ったり笑ったりする。
一歩 いちぶ。一分。一分金。4分で一両(明治時代では一円)になります。明治初年で一円は約二万円。一歩は約5000円。
白銅 白銅貨。ここでは五銭白銅貨でしょう。
辟易 へきえき。閉口する。うんざりする
然り気なく 考えや気持ちを表面に表さない。何事もないように振る舞う。
諭す 目下の者に物事の道理をよくわかるように話し聞かせる。納得するように教え導く。
私淑 直接教えを受けたわけではないが、著作などを通じて傾倒して師と仰ぐこと。
金毛九尾 こんもうきゅうび。体毛が金色の老狐。金毛九尾の狐。妖狐。
長歎 長いため息をもらす。
奢る  程度を超えたぜいたくをする。自分の金で人にごちそうする。物などを人に振る舞う。
海棠 カイドウ。ハナカイドウ。バラ科の落葉低木。中国原産。花木として古く日本に渡来。
培う つちかう。草木の根元や種に土をかけて草木を育てる。栽培する。
名にしおう 名高い。評判である。
飛石 日本庭園などで、伝い歩くために少しずつ離して据えた表面の平らな石。
遊蝶花 ゆうちょうか。パンジーのこと。江戸時代末に,オランダの船で渡来した。
長命菊 ちょうめいぎく。ヒナギク(デイジー)のこと。
金盞花 キンセンカ。キク科の越年草。南ヨーロッパ原産。
名代 なだい。名前を知られていること。評判の高いこと。
 しぼり。花びらなどで、絞り染めのように色がまだらに入りまじっているもの。
紫雲英 げんげ。レンゲソウの別名。
 ほう。正方形の各辺。
 1尺=10/33m≒30.303cm。
 一尺の10分の1。約3.03cm。
 うてな。花の最も外側に生じる器官。花被。
蓋し かなりの確信をもって推量するさま。思うに。確かに。
道芝 みちしば。路傍の草。
忍ぶ 他人に知られないようにこっそりとする。
事欠く 必要なものがないために不自由する。
経営 行事の準備・人の接待などのために奔走する。事をなしとげるために考え、実行する。
仇ならず 期待したとおりにならずに終わる。無駄になる。
繁る 草木の枝や葉が勢いよく伸びて、重なり合う。草木が密に生え出る。
葉がくれ 葉隠れ。草木の葉のかげになること

小品『草あやめ』②|泉鏡花

文学と神楽坂

 泉鏡花氏の「草あやめ」(明治36年)で、その2です。

物干(ものほし)(たけ)二日月(ふつかづき)(ひか)りて、蝙蝠かうもりのちらと()えたる(なつ)もはじめつ(かた)一夕あるゆふべ出窓(でまど)(そと)(うつく)しき(こゑ)して()()くものあり、(なへ)玉苗(たまなへ)胡瓜(きうり)(なへ)茄子(なす)(なへ)と、()(こゑ)あたか大川(おほかは)(おぼろ)(なが)るゝ今戸(いまど)あたりの二上にあが調子(てうし)()たり。一寸ちよつと苗屋(なへや)さんと、(まど)から()べば引返ひつかへすを、(ちひ)さき木戸(きど)()けて(には)(とほ)せば、くゞ(とき)(かさ)()ぎ、(わか)(をとこ)()つき(するど)からず、(ほゝ)まろきが莞爾莞爾にこにこして、へい/\()ましと()()ろし、穎割葉かひわりばの、(あを)鶏冠とさかの、いづれも(いきほひ)よきを、()()けたる()して(ひと)(ひと)取出(とりいだ)すを、としより、(おとうと)、またお神樂座かぐらざ一座(いちざ)太夫(たいふ)(せい)原口(はらぐち)()(あき)さん、()んで女形をんながたといふ容子ようすいのと、(みな)緣側(えんがは)()でて、()るもの(ひと)ツとして()しからざるは()きを、初鰹(はつがつを)()はざれども、(ひる)のお(さかな)なにがし、(ばん)のお豆府(とうふ)いくらと、帳合ちやうあひめて小遣(こづかひ)(なか)より、大枚(たいまい)一歩(いちぶ)ところ(なへ)七八(しゆ)をずばりと()ふ、もつと五坪いつつぼには()ぎざる(には)なり。
 隱元いんげん藤豆ふぢまめたで茘枝れいし唐辛たうがらし所帶(しよたい)たしのゝしたまひそ、苗賣(なへうり)若衆(わかいしゆ)一々(いち/\)()(はな)()へていふにこそ、北海道(ほくかいだう)花茘枝(はなれいし)(たか)(つめ)唐辛(たうがらし)千成せんな酸漿ほうづき(つる)なし隱元(いんげん)よしあし大蓼(おほたで)手前(でまへ)(あきな)ひまするものは、(みな)玉揃(たまぞろ)唐黍たうもろこし云々うんぬん

 〔現代語訳〕物干の竹が8月2日の月に光っている。コウモリも出てくる初夏のある夕方、出窓の外に美しい声を出した行商人がやってきた。苗、稲の苗、キュウリの苗、ナスの苗はいらんかね…と、その声は隅田川が流れる今戸地区あたりで聞こえてくる三味線のリズムに似ている。ちょっと苗屋さんと、窓から呼ぶと、へいへい、どれにしましょうかと荷を下ろし、穎割や、緑のヒトツバなど、どれも勢いはよい。日に焼けた手で、1つ、1つと取り出してきた。年寄りも、弟も、お神楽座の太夫も…これは姓は原口、名は秋さんで、女形という様子のいい奴だが…みんな縁側にでて、見ている。どれもこれもほしい。私は初鰹などは買わないが、昼のお魚がこれだけで、晩のお豆腐はこれだけでと、まず帳簿を確かめて、小遣の中で、大枚を一分使って、苗の七、八種をずばりと買う。もっとも五坪もない庭なのだが。
 インゲン豆、藤豆、蓼、ゴーヤ、唐辛子は、くらし向きのプラスになりましょうといって、苗売りの若衆はいちいち名前に花の言葉をそえている。手前どもが商いをするのは、北海道産の花ゴーヤ、鷹の爪の唐辛子、沢山生えるほうづき、インゲンにはツルがなく、良い悪いはわからないけど大蓼、種のそろったトウモロコシなどですという。

二日月 ふつかづき。陰暦2日の月。8月2日の月
玉苗 たまなえ。苗代から田へ移し植えるころの稲の苗。早苗(さなえ)と同じ。
大川 吾妻橋付近から隅田川の下流の通称。
 ぼうっと薄くかすんでいるさま。
今戸 台東区北東部の地名。隅田川西岸の船着き場として栄えました。
二上り にあがり。三味線の調弦法。第2弦を1全音(長2度)高くしたもの。派手、陽気、田舎風の気分をあらわす。
木戸 庭などの出入り口に設けた簡単な開き戸。
 日光・雨・雪などが当たらないように頭にかぶるもの。「傘」と区別する。
召す 「買う」という意味の尊敬語
穎割葉 かいわりば。芽を出した植物が最初に出す葉
鶏冠 ヒトツバ。葉が鶏のトサカのように切れ込む常緑のシダ。右図を。
神楽座 芝居のはやしの一種。
太夫 能、歌舞伎、浄瑠璃等で上級の芸人。
帳合 現金や在庫商品と帳簿を照らし合わせ、計算を確かめること。
 締め。しめ。金銭などの合計を出すこと。
大枚 多額のお金。大金。
一歩 一文(一歩)銭の寛永通宝は昭和28年まで法的には通用し、4文で一両(一円)に替えられました。明治初めの一円は二万円ぐらいなので、1歩は約5000円でしょうか。
隠元 インゲン豆。マメ科の蔓性(つるせい)の一年草。ツルナシインゲンは蔓のない栽培品種。
藤豆 ふじまめ。マメ科のつる性一年草。熱帯原産。食用とするため広く栽培。
 たで。タデ科タデ属の植物の総称。特にヤナギタデは辛みがあり、食用として刺身のつまなどに。
茘枝 ここでは(つる)茘枝(れいし)のこと。別名はニガウリ、ゴーヤ。ウリ科の蔓性の一年草。黄色い花を開き、実が熟すと黄赤色になり、若い実は食用に。
所帯 一家を構えて独立した生計を営むこと。そのくらし向き。
罵る ののしる。ここでは「盛んにうわさされる。評判になる」
鷹の爪 トウガラシの栽培品種。果実は小形の円錐形で上向きにつき、赤く熟す。
千成り 数多く群がって実がなること。
酸漿 ナス科の多年草。初秋、果実が熟して赤く色づく。
よしあし よいとも悪いともすぐには判断できかねる状態。
玉揃い キャベツなどの結球野菜で、結球の発育が似たようになること。

巴有吾有[昔]

文学と神楽坂

石田衣良(いら)氏が平成21年(2009年)、『チッチと子』という本を書いています。

石田衣良 耕平がむかったのは神楽坂の坂したにある喫茶店だった。ログキャビン風の重厚な造りで、ギャラリーを兼ねているのか、二階には美術品が飾られている。その日は針金細工の立体作品だった。いつも空いているので、編集者との打ちあわせによくつかうカフェである。

坂下にある喫茶店というのは、この本が出た時にはなくなっていましたが、「巴有吾有(パウワウ)」以外にあり得ません。場所はここ。1970年代に創設し、木造の山小屋風で、2階はギャラリー、しかし、2006年にはなくなり、代わって理科大の巨大な「ポルタ神楽坂」の一部になりました。

かつての巴有吾有。今はなくなりました。

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powwowです。

軽い心|神楽坂二丁目

文学と神楽坂

軽い心

昭和42年までには神楽坂二丁目に「メトロ映画館」がありましたが、この年、この「メトロ映画館」と「バーみなみ」「麻雀」はなくなり、「CLUB 軽い心」が開店します。場所はここ

さらに昭和44年には「喫茶 軽い心」と「パブ・ハッピージャック」に変わります。インターネットで熊谷興業の歴史を読むと、昭和43年(1968年)、レストラン「ハッピージャック」開店、昭和44年(1969年)、純喫茶「軽い心」を開店と書いてあります。そして、昭和57年(1982年)には「カグラヒルズ」に変わり、「軽い心」はなくなりました。

軽い心(S42とS45)

国立国会図書館の住宅地図から


 『新修新宿区史』を見ると、昭和42年、この写真が出ています。
新修新宿区史(昭和42年)。飯田橋駅の方から見た神楽坂
「神楽坂まちの手帖」の第1号で講談社の小田島雅和氏は

 club軽い心。遠景九時頃に句会が終わると、まだまだ話し足りなくて、坂下近くにあった「軽い心」という喫茶店に流れることが多かった。この店はかつてキャバレーだったそうで、格別珈琲がおいしいわけでもなかったが、キャバレーの造りそのままで、ボックスごとの仕切りがやたらに高く、隣のボックスが見えないようになっている。喫茶店としては何とも妙で、それが気に入って、私は個人的にもよく利用した。

「神楽坂まちの手帖」第4号の「神楽坂まちかど画廊」で

 最近でこそ奇想天外な店名に驚かなくなったが、「軽い心」の看板は当時はずいぶんと人目を引いた。ではいったいなんの店か。知っている人は、神楽坂の古いなじみである。クラブとあるが、平たくいって、いまはほとんど死語となったキャバレーである。昭和30年代前半のある日の風景である。

「神楽坂まちの手帖」第5号の「読者のページ」で高瀬進氏は

 「軽い心」、キャバレー時代、1度覗いたことがあります。爆笑王林家三平さんが、本当に面白く、腹を抱えて笑ったものです。「軽い心」はその後、喫茶店になり、よく昼寝したのを覚えています。場内が広く、そして暗かったので妙に落ち着けました。

また神吉拓郎氏の『東京気侭地図』に随筆「神楽坂の灯」があります。

 喫茶店の名前にもいろいろあるけれど、「軽い心」というのをご存じだろうか。

 中央線の電車が、飯田橋の駅にかかるとき、神楽坂の見当を一瞥すると、丁度そのあたりに「軽い心」と大きな看板が上っている。

昭和47年作の銅版画「神楽坂」もここに掲載します。このころは「喫茶 軽い心」になっています。

銅版画の『神楽坂』。写真ではありません。版画です。

銅版画の『神楽坂』

現在、直前まで「マクドナルド」でしたが、この店も平成28年(2016年)には閉店し、ドラッグストア「マツモトキヨシ」になりました。

三孫質店[昔]|神楽坂二丁目

文学と神楽坂

神楽坂2丁目に質屋の三孫がありました。お店の地図はここ。『まちの手帳』第3号の水野正雄氏の『新宿・神楽坂暮らし80年』で

一家で神楽坂に越してきて、祖父は神楽坂2丁目の「三孫(さんまご)」という質屋の通い番頭、長男は質屋に奉公、次男は質屋に婿養子、三男は着物の整理屋へ奉公に出ていたのを、三男だった親父を呼び戻して39年「湯のし屋」を始めた。

「さんまご」と読み、「さんそん」とは読まないようです。

邦枝完治氏が書いた「恋あやめ」 (朝日新聞、1953年)には

 牛込見附の石垣に弁慶蟹が這って、飯田町駅を出た甲武鉄道の汽車の煙が、夕焼空に吸われて行った六時近く、神楽坂裏の質屋三孫ののれんをくぐったのは、ふろしき包を小脇に抱えた、四十がらみの肥ったおかみさん。

弁慶蟹はイワガニ科で海岸の湿地にすみ、約3センチ。本州中部以南に分布。今では蟹はこのあたりにはいません。

質屋「三孫」の場所は↓。現在はポルタ神楽坂になりました。

三猿(さんまご)質店

三猿質店。都市製図社製『火災保険特殊地図』(昭和12年)

メトロ映画劇場[昔]

文学と神楽坂

メトロ映画劇場

昭和27年(1952年)1月元日を期して神楽坂2丁目に開場しました。場所はここです。

神楽坂アーカイブズチームが書いた『まちの想い出をたどって 第4集』(2011年)では、「坂の右側に見える映画の看板はかつてあった神楽坂メトロのもの」と出て、写真2枚をだしています。

1つは新宿歴史博物館が提供したもので、その北西に「トリスバー」「コーヒーリオン」が見えます。恐らく昭和30年後半の写真です。

昭和30年後半の神楽坂通り(新宿歴史博物館提供)

昭和30年後半の神楽坂通り(新宿歴史博物館提供)

別の写真はこれで、修道社の『東京都-県別・写真・観光日本案内』(1961年)からとったものです。遠くにこの映画館が見えます。近くに見える神楽堂は現在の不二家飯田橋店です。L

毎日新聞社の本『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』では下のような写真が出ています。昭和37年(1962年)の写真です。またコーヒーリオンは「BAR みなみ」に変わっています。

映画館

山本祥三氏の『東京風物画集 PARTⅡ』(雪華社、昭和38年)では本の前半(109)にイラストとメモ、後半(23)には文章が出ています。イラストとメモには映画館はありませんが、文章に出ています。しのだ寿司

109 神 楽 坂
Kagurazaka
繁栄を誇った神楽坂も今は新宿に押されて小
ぢんまりした小盛り場になってしまいました。
それでも街に流れている空気は山の手らしい
上品さです。
シネマスコープ(神楽坂メトロ)大人一二〇 同伴九五 学生五五 学生科金が普通料金の半値なのはこの街らしい
ジャズ喫茶、トリスバー、ダンス教室、気のきいた喫茶店などが目に付く
山手でも下町でもない神楽坂の雰囲気
戦前に繁栄した盛り場のカンロクが残っている
戦災ですっかりイタメつけられたこの街も、昔日のおもかげはないにしても軒を並べた商店は皆小綺麗で感じがいい 山手の上品さと下町の気安さとを持つこの街
街の中程はこぢんまりした毘沙門天の境内に子供の遊び場。

1967年には「メトロ神楽坂」と「バーみなみ」などはありますが、1970年にはなくなり、より巨大なパブ「ハッピージャック」と喫茶「軽い心」に代わっています。

ユレカとユリカ[昔]|神楽坂

文学と神楽坂

 小松直人氏の”Café jokyû no uraomote”(二松堂、昭和6年。日本語訳はたぶん「カフェー女給の裏表」です)ではユリカというカフェーがありました。

省線飯田橋駅で下車して、電車道をのりこえ坂をのぼつて行けば、左側にユリカ、神養亭の両カフエが並んでいる。ユリカは神楽坂界隈切つてのハイカラなカフエで、女給の数は十人を越え、サービスも先づ申し分がない。それに隣の神養亭は、レストラン()みて面白くない。

 新宿区郷土研究会の『神楽坂界隈』(2009年)の岡崎公一氏が書いた「神楽坂と縁日市」でも、昭和5年頃、カフェーではなく「酒場ユリカ」として登場します。(右図です)

 一方『ここは牛込、神楽坂』第17号(平成12年)に画家・作家の司修氏は「神楽坂『バー ユレカ』」を書き

画家の大野五郎さんに私淑して、若いころの話をいろいろ聞いた。大野さんの兄である詩人の逸見猶吉が、早稲田の学生時代に、「ユレカ」というバーを神楽坂に出したというのである。昭和三年の春というから、ぼくはまだ生まれていなかった。
 大野さんの話では、親父が亡くなって、分けてもらった遺産で開店したという。いかにも乱暴な話だが、詩人にとって金などどうでもよかったのだ。どちらかといえば捨てたかったのだろう。美人コンクール一位の人など数人いるバーは流行ったが、日銭を遣い果たすものだから、借金で首が回らなくなり、やくざ者の取り立てにあったりしたという。ドスを畳に剌して怒鳴る男の前で、逸見猶吉は寝そべったまま、ないものはないといって動じなかったという。萩原朔太郎や草野心平、その他多くの詩人が「ユレカ」を訪れ、熱い会話を交わしていた。路地裏の屋台で荷風が飲んでいたとか、神楽坂での話を沢山聞いたけれど、すっかり忘れた。
新宿区郷土研究会の『神楽坂界隈』。左は平成8年12月、右は昭和5年頃の上を向いて左側の商店です。

 「神楽坂まちの手帖」第18号(平成19年)に、佐々木光氏は「神楽坂にバー『ユレカ』を開いた詩人・逸見(へんみ)猶吉(ゆうきち)」を書き

昭和三年、“牛込見附から坂にむかって左側の白十字の一軒おいた隣り” (菊地康雄『逸見猶吉ノオト』 昭和四二年思潮社)に高級酒場「ユレカ」が開店した。当時「白十字堂」なる喫茶店が神楽町二ノ六に在ったからその辺であろうか。バーの店主・大野四郎(筆名・逸見猶吉)は、暁星中学を経て早稲田に学ぶ眉目秀麗なまだ二十歳であった。現代作家の村上春樹氏も一時期、学生時代からジャズ喫茶を経営していたが、昭和の初め、生活のためでもなく学生がバーをやるというのはかなり破天荒だったに違いない。店名のユレカ(ユーレカ)とは「見つけた!」「わかった!」との意で、古代ギリシャの学者・アルキメデスの歓喜の叫びとしても知られる。資金は四郎を溺愛する母が出したという。萩原朔太郎等が飲みにきていたものの放漫な経営で算盤は合わず、店は長くは続かなかった。なにせ開店したその年に四郎は早くも店を弟の五郎(画家。明治四三~平成一八)に託して飄然と北海道へと旅立ってしまったほどだ。
神楽坂2丁目のポルタ神楽坂(図)

Grand Mapグランマップ(mapnet corp 2001)

 で、問題です。よく似た場所に二つの違うバーはあったのか、同じ場所に二つの違うバーがあったのか、あるいは同じ場所に一つのバーだけがあったのか。どちらでしょう。たぶん私は一つしかなかったと思います。名前は「ユレカ」か「ユリカ」か。わかりません。非常によく似ています。レタリング如何によってはわからない場合もあると思います。でも経営に携わった弟の大野五郎氏はユレカを正しいと信じているようなので、ユレカをとりたいと思います。

 現在の場所は白十字も、ユリカかユレカも、神養亭も同じビル、理科大の巨大な「ポルタ神楽坂」の一部になりました。

Porta神楽坂(写真)

Porta神楽坂(写真)

文学と神楽坂