月別アーカイブ: 2011年11月

オーシャニアクルーズ。第1日。アテネー身障者の外国旅行

出発とアテネ

 2018年10月22日(月)成田発でカタール航空0807便を使い、妻とアテネに。出発は22:20。10月23日(火)、 アテネ着。予定は12:10。

 空港からタクシーで市内に。車のナンバープレートのすべては、ギリシャ文字ではなく、通常のアルファベットで書いてある(と思った)。実は、アルファベットのA、B、E、H、Iなどはギリシャ文字のアルファベットと同じ。タクシーの運転手はナンバープレートもギリシャ文字で書いてあるという。

 アテネのエレクトラ・メトロポリスというホテルにつく。

Greek Travel Pages (https://www.gtp.gr/AccomodationDetails.asp?ID=81810)

 15時のチェックインの前なので、ホテルのロビーでグリークコーヒー(Greek coffee)を飲んだ。コーヒー粒が下に沈んでから飲むのだが、ここは粒が少なく、一般のコーヒーとよく似ていて、おいしい。飲み終わると、アテネの市街に。ホテルにスーツケースを置けるので便利。

ホテルのロビー。中央奥にカフェがある。

ハッピートレイン

ハッピートレイン

 14時ごろ観光バスのHappy TraiNに。シンタグマ広場から出発。ちょうど1時間で簡単に見られる。(上は会社のPRから)。

 インターネットでは、ハッピートレインは排気ガスがひどいなど、悪評プンプンだったが、1両目の最後の列なので、排気ガスはほとんど気にならない。ハッピートレインのコースを調べようとしたが、会社が提供するコースはこれだけ。大きな下向きの矢印はシンタグマ広場の出発地点。後は右側を回り、次に左側を回る。

happy Train in Athens (route)

アテネのハッピートレイン(経路)

 女性ガイドさんの英語はひどく、いっていることはよくわからないが、これはなになにです、という説明だけで、それ以外の説明はなさそう。

ハドリアノス門

ハドリアノス門

プラカ地区

プラカ地区

 ちょうど1時間でトレインが終わり、無名戦士の墓に。出かけるときに雨は降っていなかったが、行く途中で降り始めた。雨のためなのか、15:30の衛兵の交代はなかった。

無名戦士の墓

 16時ごろ、ホテルに帰り、18時ごろ、夕食を取ろうとすると、9時半にならないと空席はないといわれて、結局、9時半に夕食。ホテルの最上階にレストランがあり、ここからアクロポリスがよく見える。この夕食は西洋風のもので、普通でした。

ホテルのレストランから。アクロポリスがよく見える。

ホテルのレストランから。アクロポリスがよく見える。

オーシャニアクルーズ。第2日。アクロポリスー身障者の外国旅行

アテネとアクロポリス

 2018年10月24日(水)早朝、ホテルで朝食を取り、アクロポリスに。アクロポリスの開場は8時からで、8時半にはアクロポリスの下についた。入場料を払う。

 普通の人は10分もあれば、ここからアクロポリスの上まで到着するが、右半身麻痺の私はそうはいかない。急峻な階段では妻が私の左側につき、まず妻が1段上に登る。そのあと、私は右足を一歩、前に出して、段差を上に登る。このとき、数回だけ、ふらついた。そんなとき、妻は全力を挙げて、倒れないようにする。最後は楽な左足で、失敗はない。右足と左足が1歩ずつ上につくと、また、次の1歩が始まる。結局、1回も転倒も転落もしなかった。30分弱がかかったが、午前9時なので、まだ人は増えていなかった。

 また、最後の段差にはすべて手すりがあった。ほっとする。しかし、予約があれば、身障者用のリフトで上に行くこともできたという。知らないものなあ。Disabled Access at the Acropolisを見ておけばよかった。

アテナ・ニケ神殿などを帰りに撮った写真。手すりがあるので楽。人が多くなっている

 アクロポリスの上は➀プロピレア(前門)とアテナ・ニケ神殿などの群、➁パルテノン神殿、➂乙女6人の像が有名なエレクティオン神殿、の3種しかない。40年前、見たことがある私は上に立てただけでもOKで、妻はぐるりと回る。エレクティオン神殿だけは遠くから見ることになる。

アクロポリス

アクロポリス

エレクティオン神殿

エレクティオン神殿

 これらをつくる大理石は、岩石学的には「結晶質石灰岩」といい、石灰岩がマグマの熱を受けて再結晶したもの。地中海の山はほとんどが石灰岩(limestone)でできている。なお、岩がない「石灰」も英語ではlimestoneを使います。

 説明板のいくつかについて、翻訳をやってみた。パルテノン神殿の修復プロピレアで、絵をダブルクリックしても出てくる。しかし、説明板の文字はなんとも細かく、普通は読まない。つまり、誰も読まない英語とギリシャ語で書いてある。

パルテノン神殿

パルテノン神殿の修復の解説

プロピレアの解説

プロピレアの解説


 帰る途中で、大量の観光客が下からやってきた。この前に私たちの観光は終わったの で、ほっとする。同じく慎重に慎重に足を進め、10時を超えて、下の売店に入った。「アクロポリス」という本(▼)を買った。

アクロポリス復元

日本語版「アクロポリス」から

 いったんタクシーでホテルに戻り、チェックアウト。荷物はホテルに置いておき、ブラカ地区で昼食。ホテルに戻り、タクシーでピレウス港に向かう。

 午後2時ごろ、オーシャニアクルーズのリビエラに乗船。

オーシャニアクルーズ。第2日と第3日。乗船と海上ー身障者の外国旅行

 10月24日(水)午後2時ごろ、オーシャニアクルーズのリビエラに乗船。

https://www.ytk.jp/cruise/ship/oceania_riviera/

 部屋にはいるとシャンパンとカナッペ4個があった。

 ペントハウス以上の乗客でないと、掃除が終わる3時以降まで船室に入れない。甲板にいる人も多い。

 1715、全員が避難訓練を行った。しかし、我が家は車椅子がないと訓練は無理で、家の避難訓練は翌日に。

 1800、ピレウスから出港。1830、6階のグランドダイニングルーム夕食

 食後、風呂に入る

 夜になり、出航後3時間が経ったところで、船長のアナウンスがあった。医者が診断して、客一人が病気になって、この船はピレウスに戻る予定だという。夜12時に再度ピレウスを出港。

 10月25日(木)630、起床。朝、妻は11階のエグゼクティブ・ラウンジでコンシェルジェから聞いた話として、6時間遅れなので、予定通りには行かず、ロードス島の寄港は不可能だという。

 800、朝食でグランドダイニングルームに行くときに、正式な船長のアナウンスがあり、前日の異常事態でロードス島はキャンセルになったという。これで、1日中、海上に。あとで手紙が回ってきた。

 朝は、私は朝のステーキ(breakfast steak)とクランベリージュース、コーヒーを、妻はオムレツ、オレンジジュース、コーヒーを頼む。朝のステーキは昔米国に住んでいたときに食べたことがあるものとまったく変わらない。ただただスジが硬く、噛んでも噛み切れない。それを何切れか噛んでいると、それが喉の先に行かない。苦しくなり、スタッフを呼ぶ羽目に。すぐに落ち着いたが、これが「朝のステーキ」です。850、朝食終了。現病に「強直性脊椎炎」があるので、これが関係する可能性もある。

グランドダイニングルーム

グランドダイニングルーム

 930、バルコニーのドアが開かない。バトラーを呼ぶが、彼でも直せない。1030、メンテナンスが来て、直る。

 TVを見ると、ニュースにはMSNBC、BBC、さらにルパート・マードックがつくったFoxとSkyを放送中。FOXがでてCNNがでないのは変。

 1130、昼食は12階のウェーブズグリルで。2人でサラダ、神戸牛バーガー、トロピカルのスムージー、アイス、レモンクッキー。

 後方のエレベーターで帰り、11階のエグゼクティブラウンジでカプチーノ、クッキー。

 1500ごろ、14階のバリスタスでコーヒー。ただなので、部屋に焙煎装置がなくてもいい。

バリスタス

バリスタスでもコーヒーが飲める。

 もし外に出たとすると、ものすごい風が吹き荒れている。見るだけで、よくわかる。

 1800、5階で4組が避難訓練。1組は救命胴衣を忘れていた。2組がアメリカ人。1組がヨーロッパの人。タバコを吸わないこと以外には何もなかった。10分以内で終了。

 船にいる日本人は数名が個人で、JTBの団体が20人ぐらいで、他にはなく、それ以外はアジア人(国籍で米国人も含む)が3~40人ぐらい、ヨーロッパの人やイギリス人も多くはなく、あとは全員アメリカ人だった。しかも、全員がアメリカ語を使い、きれいで上品でゆったりした発音。日本にいるときには全く忘れていた感覚だった。

 1810、15階のホライズンで船長主催の歓迎パーティー。船長は挨拶を。

船長主催の歓迎パーティ。

船長主催の歓迎パーティ。

 1830、14階のトスカーナ夕食

オーシャニアクルーズ。第4日。クレタ島ー身障者の外国旅行

 10月26日(金)クレタ島のイラクリオン市に。

 545、起床。630、15階のホライズンにCoffee Cornerに行ったが、まだ暗くて、誰も来ないし、コーヒーもない。700、12階のテラスカフェで朝食。

テラスカフェ

テラスカフェ。中央奥に料理の山が沢山ある。右のアフリカ系の男性は正確にアメリカ英語を話していた。

Currents 2018/10/26

Currents 2018/10/26

 毎日、船内新聞「CURRENTS(海流)」が届く。今日、どんなことを行うといいのかを説明したもので、1頁目はイラクリオンの案内、2頁以降はその他の情報。港湾局が無料シャトルバスを出すという情報もあった。ここで、イラクリオンの情報をGoogleの手を借りて最初のページを翻訳してみました。で、日本人が好きな情報はまずないか、とっても少ない。

 820、5階のシアターステージがエクスカーションの出発点に。(このエクスカーションという言葉は寄港地ツアーや小旅行と訳すのが良さそうです)

 バスは、クノッソスに行く。私たちの寄港地ツアーは「クノッソス遺跡を3Dで」である。ガイドは女性でした。

Knossos in 3D software

これが”Knossos in 3D”の本体。これを首にかける。

 クノッソスへの寄港地ツアーは写真で。昔は半身麻痺では歩くのは難しいところもあったけど、現在は慎重に動ける限り、まず大丈夫。(写真は全部で10枚。順番に出てきます)

廃棄抗行列が並ぶ王座の間中央広場から王座の間王座の間中央広場からの光景柱廊の間王妃の間牛の壁画牛の壁画


















 この遺跡としてははっきり分かる嘘も多く、だから世界遺産に入らない。インターネットの「旅人 legend ej の世界紀行・心に刻む遥かなる『時』」では「コンクリートを初め、自然界からの顔料などではなく、石油化学で製造された塗料を使った過剰な『こうであろう復元・複製』は、かなり『やり過ぎ』と批評され、純粋な意味での考古学研究の精度を狂わせている、という手痛い意見もある」と書いてあります。

 また説明板があるものの一部ですが、訳すことに。ところが、英語にはあっても日本語にはないものもあり、欧米だけでしか知られていない情報も。

 1215、考古学博物館に。入場料は一人€10。これも写真で。€10は高く、普通は行かない。でも、これだけのものがあるなんて。絶対行くべきでした。

大理石の彫刻

大理石の彫刻

貝を持った女性

貝を持った女性

印鑑

印鑑

クノッソス遺跡の模型

クノッソス遺跡の模型

象牙、金などの芸術品

象牙、金などの芸術品

儀式用双斧

儀式用双斧

人間や昆虫の模型

人間や昆虫の模型

巨大瓶

巨大瓶

ある部屋

ある部屋


 1250、バスに戻り、1325、船の部屋に戻る。

 帰ってみると、右足の装具についていた金具が外れていた。困った。困ったときのバトラー頼り。しかし、バトラーは1700にならないと出てこないという。

 妻は1355~1420に洗濯室に行く。米ドルだけが使用可能で、1台が2ドル。洗濯と乾燥で1台ずつ使うので4ドルかかる。

 1600、15階のホライズンで、弦楽四重奏団の演奏を聞きながら、昔ながらのアフタヌーンティー。私はすべてのお菓子を食べる。1645、終了。

右足装具。かかとで装具ががなくなった。代わりに6角ボルトが入っている。

右足装具。かかとで装具ががなくなった。代わりに6角ボルトが入っている。

 1730、右足の装具についてバトラーがまだ来ない。そこで電話をかけ、来てもらう。1740、バトラーがやってくる。直せそうだという。

 1830、装具の救急処理は終って、直ってきた。足には6角ボルトが止めてあった。これが直るのもクルーズのおかげで、大感謝。

 1845、テラスカフェで夕食。ロブスターとエビのグリル、パパイヤサラダ、豚ロースト、ギリシャとベトナムの春巻き、前菜のサーモンなど。お寿司は食べにくく、うまいとはいえない。1930、終了。

 2000、風呂

オーシャニアクルーズ。第5日。サントリーニ島ー身障者の外国旅行

 530、起床。サントリーニ島に行く予定。今日の船内新聞『Currents』はサントリーニ島の一般的な情報、ロバに乗るのはやめよう、連絡船(tender boat)についてなど。

gangway

gangway

 なお、gangwayの訳は自宅に帰るまでわかりませんでした。これは船の舷門(げんもん)か舷門に通ずる通路のこと。舷門とは、上甲板の横にあり、タラップを使って、人が出入りする戸口(ドア)のこと。実際は「舷門への通路」で使っているのが、一番多いようでした。

 630。モーニングを部屋で。昨夜からドアに「モーニングサービス」の紙をかけておく。ホテルで食べる普通の朝食でした。
In-suite breakfast serviceIn-suite breakfast service2朝食はモーニングで


 830、寄港地ツアーに。私たちが選んだのは「サントリーニのワイン醸造所とイア」。1人で$199(約22,500円)。

 クルーズ船からテンダーボート(連絡船)に乗ろうとして、杖を手から離した。そのままでは、杖は海の中に落ちる。しかし、船員が空中で杖を拾ってくれて、大事には至らなかった。次にテンダーボートから上陸しようとして、また杖を離した。今回は妻が拾ってくれた。

 半身麻痺がある場合、クルーズ船からテンダーボートに乗り換える場合と、テンダーボートから上陸する場合に、一瞬だが麻痺がない片手は、船からもボートからも離れる。別の片手は麻痺している。つまり、宙に浮く。慌てて、何かを持とうとして動くのだが、これで杖は意識から消え、最悪の場合、海中に消えてしまう。テンダーボートに乗り換える場合、自分の身は乗員に任せること。杖は妻に渡すこと。これがわかったのはもう少し先のことである。

テンダーボートから

テンダーボートから

アティニオス港

アティニオス港

サントス・ワイナリー

サントス・ワイナリー

 今回のガイドは中年の男性。なかなか、かっこいい人物。アティニオス港から約20分で最初の場所、ワイナリーにつく。

 ワイナリー(Santo Wines Winery)では、工場の見学などはなく、 直ちに試飲に。赤ワイン、白ワイン、デザートワインの3種類が飲める。赤と白は私たちにとっては美味しくなく、同乗者でも残す人も多い。デザートワインはおいしく、まあ安い。妻はデザートワイン2本(2本で€42.99、つまり約5500円)と、菓子2箱を買う。

Wineryで。ここでも外輪山の頂上にある。

外輪山の頂上にあるワイナリーで。

イアの地図

イアの地図。「地球の歩き方」から

 ここからイア(Oia)に。同乗の米国人はオアと読んでいる人が多い。

 バスは島の東側を高速で走る。外輪山の風景はどこにもなく、普通の島を突っ走る。

 約20分でOiaに。バスは駐車場に止め、私たち2人だけは一直線に、ショートカットで行く。地図は上のバスステーションから一直線に、まず下のメインスクエアに。

メインスクエアに建つ教会。

メインスクエアに建つ教会。

Oiaから見た風景

Oiaから見た風景

Oiaから

Oiaから

フィラに。右側の○で降ろしてくれて、左側の○で昼食。

フィラに。右側の〇で降ろしてくれて、左側の〇で昼食。この図はコンシェルジェからもらった地図。

 その後フィラに。今度は外輪山の頂点を回る。長さでいうと一番長く、Oiaからフィラに行くのに約30分。

 私たちがやはり最短距離(右図の右〇)でケーブルカーに乗るように降ろしてくれる。ケーブルカーのチケットをもらい、これでバスはおしまい。

 直線的に上に行くと、ケーブルカーの入口はここにある、という看板が出ているようだ。ケーブルカーの隣で食事(右図の左〇)。

 1330、ケーブルカーで急降下して降りる。

ケーブルカーは1台6人ぐらい。

ケーブルカーは1台6人ぐらい。4人というのは嘘だと思う。

テンダーボートで帰る

テンダーボートで帰る

 1400、クルーズ船に。もう一度、サントリーニ島の火口を見る。真っ黒な岩がゴツゴツとしている。活火山なので、草木はまだ見えない。

 1610、出航に気がつく。

Oiaに。遠くに風車も見える。

Oiaが見え、遠くに風車も見える。

 1640、妻は ブティックに。

カナッペ

普通のカナッペ

 1700、カナッペが来る。カナッペとは「パンを薄く小さく切って、その上に魚や肉などをのせたもの」。普通はこれぐらい。それがこうなる(写真)。

 1830、ポログリルで夕食。ポログリルは伝統的なステーキハウス。私たちがとったものは

  • 牡蠣のオーブン焼き
  • フォアグラとマッシュルームのパイ生地仕立て ポートワインソース
  • 仔牛肉のパンチェッタ包みとロブスター尾の盛り合わせ
  • サーフとターフ。フロリダ産ロブスターテイルとフィレ・ミニヨンの盛り合わせ
フォアグラとマッシュルームのパイ生地仕立て

フォアグラとマッシュルームのパイ生地

牡蠣のオーブン焼き

牡蠣のオーブン焼き


 2110、5階でミュージカル「What the World Need Now」を見る。1時間。

 2240、2310、風呂に

オーシャニアクルーズ。第6日。ケファロニアー身障者の外国旅行

 10月28日(日)、10時からケファロニア島アルゴストリ市に着岸する予定。ケファロニア島は石灰岩ばかりの島。地図を参照。目的は地底湖だけです。

ケファロニア島は石灰岩が見える

ケファロニア島は石灰岩が見える

 630、起床。どうもおかしい。実際は530だった。昨日で夏時間が終わって、標準時間になったのでした。

 今日の船内新聞はケファロニア島について。それ以外に面白い記事はなさそう。

 705、ウェーブズグリルで朝食。ここで食べたくはないと思っても、寄港地ツアーに参加してみると、食べ物はここだけしかないのです。

アルゴストリ港。長い桟橋。

アルゴストリ港。長い桟橋。私たちのバスは中央左手に見えている。

島とバスの経路

バスの経路は橙色に

 1015、5階で寄港地ツアー「メリッサニ湖とドロガラティ洞窟」に。1人$129(約15,000円)。1030、出発。ガイドは中年女性で、英国的な訛り。

 最初はドロガラティ洞窟。私は洞窟に行かない。ここで1時間。「たいしたことはなかった」と妻。ただの鍾乳洞だし。そうでしょう。

ドロワガティ洞窟

ドロワガティ洞窟。撮影は妻。1周すると終わり。

 米国の中年の女性は中で撮った写真を見せてくれる。すごく明瞭なアメリカ訛り。どうもほとんど全員がアメリカの訛りだった。そういえば、船のエレベーターの前や中でもアメリカ英語だけをしゃべっていた。
 アメリカ人だと半額で乗れる。たとえば、日本人は1人で40万円かかる場合だとすると、アメリカ人だと同額で2人が乗れる。2人で40万円。1人だと、わずか20万円。だから米国人はこれほど多くなったのですね。

 メリッサニの地底湖もやはり1時間。メリッサニ湖はブルーホールのひとつで、元々はただの鍾乳洞だった。今年の「地中の歩き方」のメリッサニ湖の写真でも、また「グレートブルーホール」の写真でも、なぜか、まん丸な穴になっている。

「地球の歩き方」から

「地球の歩き方」からメリッサニ湖

ブルーホールブルーホールは鍾乳洞だった

中米ベリーズのブルーホールも鍾乳洞だった


 地底湖に行く場合、最初は長いスロープで、1人だけで進めた。200m弱ほど進み、最後に階段。4~5段ぐらい。なんとかこの階段を進むと、漕ぎ手が私を抱きかかえて、新しいボートに乗せた。やはり抵抗しないこと。漕ぎ手は「Tip」と書いた箱を見せている。

メリッサニ湖。対面の2人も日本人。

メリッサニ湖。対面する2人も日本人。

メリッサニ湖は鍾乳洞の名残がある。

メリッサニ湖は鍾乳洞の名残がある。

 最後はツアーの最北端、きれいな白亜のミルトス・ビーチ。夏になると店舗も数店でているという。250、ツアーは終わり。

ミルトス・ビーチを上から見る

ミルトス・ビーチを上から見る。

 300、またウェーブズグリルで昼食。私はマグロバーガー。

 船長のアナウンスははいるが、よくわからない。あとで手紙が回ってきた。暴風雨でコトルで1泊する予定だという。

 630、夕食。フレンチの「ジャック」で。ジャック・ペパン自身がお年寄り。生まれは1935年。彼はフランス生まれの米国人で、有名になったのもテレビ。昔ながらの料理が有名で、新しい料理(キュイジーヌ)などは論外です。私たちが頼んだものは背景が黄緑色になったメニューの料理。

 昔からやっていたテレビ料理人よりも星3つや2つの料理人のほうがよく聞こえるし、星3つや2つのレストランは東京や京都ではそれこそ沢山ある。美食の船といっても、日本人にとっては嘘っぽく聞こえる。「なんとか、ここまでやったんだ、えらいえらい」と褒めてあげよう。でも星はまだまだ。

オーシャニアクルーズ。第7日。コトルー身障者の外国旅行

 2018年10月29日(月)、モンテネグロ・コトルに。

コトル湾

コトル湾の一番奥にコトルがある。

船外のテラスカフェ。PRで使う写真

船外のテラスカフェ。オーシャニアのPRで使う写真

 530、起床。同じ11階にあるラウンジからコーヒーをもらってくる。船内新聞『Currents』ではコトルの歴史など。

 700、オープンエアのテラスカフェで食事。右の写真はオーシャニア会社がだしている写真。この日は雨が降りそうな天気だったので、覆いの傘はなかった。

 800、妻はモーニングヨガと、830、ピラティス。ヨガはインドから来た修行・治療法、ピラティスはリハビリから来た深層筋トレーニングだそうです。

 840、アドリア海からコトル湾に入ると、波が静かになり、海面は鏡のように……とまではいかないけれど、小さいさざ波だけになる。また、コトル湾を囲む山の色がとても白い。どうもこれは石灰岩ではないかと疑う。

アドリア海から

アドリア海から

コトル湾に

コトル湾に


 コトル湾の写真で出ているが、魚の養殖場があった。この魚はインターネットで調べて和名で書くと、ゴウシュウマダイ(gilthead seabream)かヨーロッパスズキ(European seabass)だという。

 コトル湾を渡るだけで3時間ぐらいかかる。1200、着岸するとすぐに町に出る。町に入る前に観光勧誘する人が非常に多い。入口の脇には観光案内所もある。ここで地図をもらったが、巨大な地図。教会や要塞の名前は日本で使う名前とは相当違う。

コトル地図➀

コトル地図➁

コトル地図

 1番に「海の門、西門、1555年」と書いてある。1555年につくられた「海の門」または「西門」という意味。

 下の写真で一番高いところに旧ユーゴスラビアの国章。その下の文言は「Tuđe nećemo, svoje ne damo、Tito」で、これはbunbunさんによれば「他人が有する物を我々は欲せず、我々が有するものはけっして与えない」という言葉。当時、チトーなどの政治家たちが共通に使ったスローガン。さらにその下の「21-XI-1944」は1944年11月21日で、コトル町がムッソリーニから解放された日。

観光案内所、Clock Tower, Pima Palace, St. Tryphon Cathedrale

観光案内所(左上端)、Clock Tower(左上), Pima Palace(真ん中), St. Tryphon Cathedrale (右下)

 で、いよいよ中に入ってみると、最初に目につくのは44番の「町の時計塔、1602年」(Clock Tower)。時計塔の前の四角錐は「恥の柱」で、罪人を縛り付けるために使用したもの。

時計塔

時計塔

 37番は「プリマ宮殿、17世紀」。英語はPima Palaceなので、少し混乱。プリマ家は14~17世紀の名家。

 21番は「聖トリファン大聖堂、1166年」(St. Tryphon Cathedral)で、ロマネスク様式のカトリック教会。ロマネスク建築とは、ゴシック建築以前、つまり西暦1000年から1200年までの、中世西欧の建築様式。ロマネスクとは「ローマ風の」という意味。

聖トリファン大聖堂

聖トリファン大聖堂

聖トリファン大聖堂の内部

聖トリファン大聖堂の内部。露光の関係で日は強いように見えるが、本当はもっとうす暗い。

 23番の「聖ルカ教会」が普通だけど、まあ観光案内所を正しいとして「聖ルーカ教会、1195年」は、ロマネスク様式とビザンチン建築の両方の特徴を併せ持つ教会。昔はカトリック教会。1657年からは正教会。

聖ルーカ教会

聖ルーカ教会

 22番は「聖ニコラス教会、1909年」は、1909 年に建てられた新しい教会。

聖ニコラス教会

聖ニコラス教会

2本の塔の上にはセルビア正教会の十字形

聖ニコラス教会

 1300、武器広場(Trg od Oružja)で食べようと思ったが、ハンバーガーやピザで1人で€15する。またも船で昼食。ウェーブズグリルで。

 妻はドゥブロブニクに行くのにはどうするの、と11階のコンシェルジュに聞く。

 1700、カナッペが来る。野菜サモサと、甘いサンドイッチ。

 1830、さて、アジア料理の「レッドジンジャー」は結構よかった。各種のアジア料理と思っていたが、そうではなく、真のアメリカ料理、あるいは、アメリカ人が考えたアジア風の料理。好きな箸を選べる、圧縮おしぼりに水を加えると膨らむ、鉄瓶でお茶をいれる、突き出しはアメリカで大人気の枝豆、などは、いかにもアメリカ人らしい。本当の日本料理はありません。

 私たちが頼んだものは
 Chicken Satay (鳥のサテ)

 Vietnamese Summer Rolls (ベトナムの生春巻)
 Skewers, Sushi, Tempura (串焼き、寿司、天ぷら)。
  寿司は巻き寿司。天ぷらではなく、フリッター

ベトナムの生春巻と串焼き、寿司、天ぷら

ベトナムの生春巻


 Avocado lobster salad(サラダ)
 Lobster Pad Thai(ロブスター入りの焼きそば)
 Beef teriyaki(牛の照り焼き)。
  美味しいけど、照り焼きではない。ゆずがはいっている?

牛の照り焼き

牛の照り焼き

オーシャニアクルーズ。第8日。ドゥブロブニクー身障者の外国旅行

クロアチアのドゥブロブニク

クロアチア・ドゥブロブニク

 2018年10月30日(水)、目的地はクロアチア・ドゥブロブニク(Dubrovnik)である。

 400、目を覚まし、1週間に1回のボナロン経口ゼリー(骨粗しょう症の薬)を飲む。それから30分間、座る。430、ベッドに戻る。

 600、起床。船内新聞『Currrents』ではドゥブロブニクについてと、無料のシャトルバスについて
 700、船はコトルを出航。‎11階のラウンジでコーヒー、オレンジジュース、ヨーグルト、イングリッシュマフィンを食べる。

 715、妻は11階前方のランドリーに。

 800、テラスカフェで朝食。私も自分でバイキングを取っていたら、船員が介助に入った。

 1100、着港。1115、下船。シャトルバスで約15分で旧市街に。シャトルバスがない場合、とてもいけない。

船と旧市街

リベリア船と旧市街.相当離れている。

ドゥブロブニク地図の案内

ドゥブロブニク地図の案内

ドゥブロヴニクの地図

ドゥブロヴニクの地図

市外からミンチェタ塔 市外からミンチェタ塔


 シャトルバスから降りてすぐの塔はミンチェタ塔(上図)。一番高い砦で、1464年に完成。日本は室町時代にあたる。

 同じ場所で東の方を見るとピレ門が見える。1537年に建築。

ピレ門

ピレ門

 昔は跳ね橋になっていた。それがわかる仕掛けになっていた。

跳ね橋だった

ピレ門は跳ね橋だった

 さらに奥に進むと、聖ヴラホの石像の下で、また門になる。

聖ヴラホの石像

聖ヴラホの石像

内側の門

内側の門

 2つ目の門を渡ると、すぐにオノフリオの大噴水が出てくる。頭像16個の口から水が流れ落ちている。

オノフリオ大噴水

オノフリオ大噴水

 プラツァ大通り。10月末日なのに沢山の人が出ている。ヘーゼルナッツのソフトを食べる。

プラツァ大通り

プラツァ大通り

 プラツァ大通りでさらに東に行く。

プラツァ大通り

プラツァ大通り

 鐘楼がはっきり見えるようになった。中央右寄りの屋根に、たぶん聖人の像が見える。聖ヴラホ教会で、バロック様式。聖ヴラホは町の守護聖人。

鐘楼

左は鐘楼。その右側の像がある建物は聖ヴラホ教会。

 右に入り、振り返ると、スポンザ館が見える。16世紀に造営。現在は古文書館に。

スポンザ館

スポンザ館

 さらに奥に行くと、元首官邸。これは15世紀のゴシック・ルネサンス様式。

元首官邸

元首官邸

 1130、グンドゥリチ広場(青空広場)で昼食。チキンサラダとリゾット。お土産を買う。
 グンドゥリチ広場には詩人I.グンドゥリチの青銅像が建っていた。

詩人I.グンドゥリチの青銅像

詩人I.グンドゥリチの青銅像

 城壁に行く。最初は東入口はどこなのか、わからない。妻が右往左往して、聞いても知らないという人ばかり。それでも、ようやくわかった。入るのに100クーナが必要だが、EUの紙幣はだめで、妻はカードで払う。2人で200クーナ。家で換算すると3514円だった。高い。

東入口は真ん中の高い場所

城壁の東入口は右側にアーチ状の空間がある。そこをくぐる。これよりも小さい場所だった。

 なんとか上に行き、上半分を歩いた。

城壁から1城壁から2城壁から2

城壁から4

城壁から

 一度、下に行くところで転んだが、直ちに外国の男性が助けてくれた。

 1500、シャトルバスで帰る。

 1600、アフタヌーンティー。1630、終了し、帰ってみると、カナッペが部屋にあった。チーズクラフティケーキとプチパン

 1750、洗濯。640、終了。

 1855、ルームサービスでオーダーしたいが、メニューはどこにあるのか、わからない。バトラーに聞くと、電話のそばにあるという。電話の側の戸棚の中に分厚い本があった。聖書と同じぐらいのサイズ。2人で頼んだものは、カリフォルニアロールと牛肉のプチフィレ。

 2130、今日は5階のステージで「Light, Camera, Music」のショーを見に行く。

 2215、ショーが終わると、リベエラのクルーが挨拶。その後、船長の挨拶がある。観客は大喜び。終わっても、クルーは帰らず、全員で通路脇で1列に並び、拍手で乗客を見送った。なんかなー。でも感動はしました。

オーシャニアクルーズ。第9日。ベニスー身障者の外国旅行

 2018年10月31日、12時にイタリア・ベニスに到着予定。

 550、起床。船内新聞『Currents』はベニスと無料シャトルバスについて。

 600、11階のラウンジでヨーグルト、ジュースなどをもらってくる。700、妻はアイロンをかけるため、11階前方のランドリーに。

 来年のオーシャニアクルーズの本が部屋にはいくつもある。また本の中に「2 for 1 Cruise Fares」という文言も沢山ある。船の運賃1人分でなんと2人が乗れる! 嘘でしょ。11階のコンシェルジュに聞くと、6階のアンバサダーに聞いてほしいといわれ、700、聞きに行くと、これはアメリカ人用のコマーシャルで、アメリカに住んでいる人だけが対象だという。
 たとえば、クルーズの「Inspiring Italy」で、2019年8月6日~9月2日の10日間、船に乗る場合を考えてみたい。例えばペントハウス1とOLIFE CHOICEの乗船券を買う場合、アメリカでは「2 for 1」があるので、2人で$7699である。日本人では1人で$6699、2人で$13398になる。1ドル113円と考えるとアメリカでは2人で約87万円、日本人では2人で約150万円になる。さらにアメリカ人では往復の旅費も含めるので、この値段になる。破格だが、会社は何でもできる。
 なぜアメリカ人が多いか、ようやく、わかった。なぜ普通のアメリカ人ばかりがこの船に多いのか、これも納得。オーシャニアクルーズは日本人では破格でも、アメリカ人にはお手頃の価格なのだ。

アメリカ人用のパンフ。

アメリカ人用パンフ

日本用のパンフ

日本用のパンフ


 830、朝食でグランドダイニングに行く。サーモンやラムチョップを取った。この時、アメリカ人の男性が私たちの所にやってきて、「あなたの頑張りには感動した」という。どうもケファロニア島で地底湖のことをいっている。う~ん、困る。

 1030、ベランダからベニスの入港を見る。




















ベニスのクルーズ。シャトルバス。券を買う。水上バス。ピープルムーバ―の場所

シャトルバスが停止する場所、水上バス、係員がいる切符売り場、ピープルムーバ―の場所は遠い。

 1215、着岸。シャトルバスがでている。シャトルバスはすぐに終点になったが、次の水上バスは時間がかかった。自動券売機なんてものはなく、窓口に並んで係員から切符を買うのだが、一人一人が質問するのだろうか、20分以上もかかった。

http://livingveniceblog.com/venice-instructions/coming-going/venice-by-cruise-ship/

http://livingveniceblog.com/venice-instructions/coming-going/venice-by-cruise-ship/

水上バスに入る

水上バスに入る

 1330、サンマルコ広場に到着。€1.5のミントのソフトを買う。€10で絵を買う。

ドゥカーレ宮殿

有翼の獅子の像とドゥカーレ宮殿

聖テオドロス像(左)と有翼の獅子の像(右)

聖テオドロス像(左)と有翼の獅子の像(右)

サンマルコ寺院

サンマルコ寺院

右側は鐘楼。左側は時計塔

正面はサンマルコ寺院。右側は鐘楼。左側は時計塔。

 1400、Ceffè Uroraで、昼食。残念ながら、Caffè Florianではありません。Florianはもう少し左側だった。

Ceffè Urora

Ceffè Uroraで昼食。

何かのコーヒー

何かのコーヒー

ロールサンド

ロールサンド


 鐘楼に登る。2人で€14。エレベータの2方向が同時に開く。1方は乗車する人たちで、もう1方は下車する人たち。

サンマルコ広場を鐘楼から見た場合

サンマルコ広場を鐘楼から見る

 鐘楼を終え、元の高さに戻ってみると、水かさが高くなっている。この現象をアクアアルタ(acqua alta)といい、満潮のこと。多い年では1年間に60回以上もアクアアルタが発生するという。鉄製支柱と木製の厚板でつくった道もできている。この道はgangwayというらしい。

アックアアルタ

アクアアルタで囲まれたサンマルコ大聖堂

 目的地のサンマルコ大聖堂やドゥカーレ宮殿に行くのは私では大変。また、大運河へも、つまり南方へ行くのも私ではできない。そこで、来た場所から反対の北側に行く。

反対側に

反対側に

 20分ぐらいのあとで、なんと、リアルト橋にたどり着いた。水上バスで帰る。

リアルト橋

リアルト橋が見えた。

あっという間に夜

あっという間に夜になる

 1830ごろ、クルーズ船に戻る。部屋にはカナッペが届いていた。冷フルーツミネストローネと新鮮生野菜。

 1900、夕食はまた同じグランドダイニングに。ステーキなど。

 2100、今日は私たちの部屋には誰も来なかった。メイドもいない。ベッドメイキングで清掃はしていない。全部を変えるべきだと思って、そう伝えると、別のメイドがいやいやベッドをすべて換えてくれた。風呂に入るが、シャンプーブースの下で詰まっていた。風呂も清掃はしていなかった。逆に、貯めたお湯は妻から私になってから、なぜかなくなっているし、もう一度、貯めたら、またなくなった。私の番で3回、水を代えた。あ~あ。そろそろ総点検の時期に来ている。

 2018年11月1日、540、起床。8時に下船の予定。すさまじい雨が降っている。
 朝食をテラスカフェで食べた。sticky bunがあった。これはベトベトする甘いパンだが、日本には全く入ってこない。
 740、下船。750、ターミナルに。出口でコンパニオンというフィリピンの男性の大学生がタクシーまで送ってもらう。800、タクシーに乗り込んで、820、空港に着く。あとは待合室にいって、待つだけ。

プロピレア(説明板)

A. プロピレア(2018/10)

The Propylaia, the monumental entrance of the sanctuary of the Acropolis, was built at the west edge of the hill in the frame of the building programme of Perikles. The building’s architect was Mnesikles, who applied ingenious and innovative architectural solutions. The construction of the Propylaia (437-432 B.C.) was interrupted by the outbreak of the Peloponnesian War, and as a result the original plan remained incomplete.
The Propylaia comprise a central building with an E.-W. direction and similar hexastyle (6 columns) Doric pedimental facadet. A cross-wall with five doorways divides the central building into two parts. The longer western one is divided into three aisles by two Ionic colonnades, each of three columns, which support the ceiling. The marble ceilings comprised beams and coffered slabs which had rich painted decoration. The central building of the Propylaia is flanked on the south and the north by two wings with a similar prostyle Doric porch. In the north wing the hall lying behind the porch might have served as a banquet and recreation hall for the worshippers. According to the traveler Pausanias (2nd cent. A. D.) the hall was decorated with paintings and for this reason is conventinally known as the “Pinakotheke” (picture gallery). The southwing consists only of a porch through which the sanctuary of Athena Nike was accessed.
In the 6th cent. A.D., the south wing of the Propylaia was transformed into a single-aisle Christian basilica. In the Medieval times, Frankish and FIorentine rulers converted the Propylaia into a Palace and a tall tower was built at the south wing. During Ottoman Occupation, in 1640. The building was struck by a lightning or a cannonball which blew up the gunpowder stored there and caused extensive damage to the monument.The Medieval and later remains were removed during the excavations of the Acropolis in the 19th cent.in order to reveal the Propylaia of the Classical period.

A. プロピレア
 プロピレアは、アクロポリス聖域の記念碑門を示し、丘の西端にあり、枠組みはペリクレスによる建築設計だった。建築家はムニシクルスで、独創的かつ革新的な建築法を使っている。 プロピレアの建設(前437-432年)はペロポネソス戦争の発生で中断、その結果、元の計画は不完全なままである。
 プロピレアは東西に向いた中央の建物で、同じく玄関は6柱(6列)、正面にはドリス式ペディメント(三角形の切妻壁)がある。 5つの出入口がある横断壁は、中央の建物を2つに分割する。比較的長い西側のものは、通路3つと、イオニア式の列柱2つに分かれ、列柱はそれぞれ円柱3つで天井を支える。大理石の天井には、梁と石板が含み、豊かな装飾があった。プロピレアの中央の建物は、南翼と北翼で同様のドリス式前柱廊ポーチが側面に並ぶ。北翼ではポーチの後ろの集会場は、崇拝者たちの宴会とレクリエーション集会場として役立ったと思える。旅行者パウサニアス(2世紀)によると、この集会場は絵画で飾られていたため、この理由から、 慣習的に”ピナコテーケー”(絵画館)として知られている。南翼はポーチだけから構成し、アテナ・ナイキの聖域がある。
 6世紀で、プロピレアの南翼は、単一通路のキリスト教のバシリカに変形された。中世の時代には、フランク人とフィオレンティンの支配者たちはプロピュライアを宮殿に改造し、南翼には高塔が建設された。オスマン帝国時代の1640年に、建物には稲妻か砲弾の爆破があり、そこにあった貯蔵庫の火薬は爆発し、プロピレアに大きな被害をもたらした。古典時代のプロピレアを明らかにするために、中世以降の遺跡は、19世紀にアクロポリスの発掘中に除去している。

B. アテナ・ニケとヒュギエイアの神殿
 プロピレアの中央建物の東南部では小さな神殿があり、アテナ・ニケ(健康)とヒュギエイア両者の神であるアスクレピオスの娘に捧げられている。この娘は薬の神である。 アクロポリスにあるアテナ・ニケの信仰は碑文的証言によると前6世紀からのもので、ヒュギエイアの信仰は前420年である。
 神殿には、長方形の祭壇の一部と、アテネの彫刻家ピロスが作ったアテネ・ニケの銅彫像のうち円筒状の大理石の土台が保存されている。伝統によれば(プルタルコス『ペリクレスの一生』、 13.7-8)、この像は、プロピレアの建設中に事故を起こした労働者の救助のために捧げられたという。 しかし、アテネの人々(demo)が、ペロポネソス戦争(前429-427年)の始まりに都市を襲う疫病と関連して捧げられたとの見解がいいだろう。

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パルテノンの復元(説明板)

 パルテノンの復元(2018/10)

 The restoration of the parthenon;
 Works in progress and interventions completed.

The project of the Opisthonaos (1992-1993 and 2001-2004) included the strengthening of columns by grouting (1997) and the structural restoration of the capitals, the upper drums and the entablature. The blocks of the west part of the frieze were transferred to the museum and cleaned with the use of a laser method; they were replaced with copies made of artificial stone (1-2).
The works in the west side (2011-2015) concerned the structural restoration of the two corners of the entablature including the capitals and parts of the edges of the pediment. Seven metopes from the west of the monument were transferred to the museum, while copies were placed back to their original positions (2,5,6).
During June of the 2017 the restoration programme of the west pediment began. The works were of a rescue nature and included the dismantling of the middle orthostate and the upper blocks of the backing wall. During their repositioning special damps will be used to further secure the orthostates (3-4).
ln the period of (2017-2020) the works will involve the replacing of the grid frame of the roof of the west wing, with the use of ancient restored beams together with new ones that were made in the 1950s.
Later on, the arrangement of all or some of the newer coffer slabs will also take place (7).

 パルテノンの復元。進行中の作業と完了した介入。

https://classicalarthistory.wordpress.com/2015/11/21/doric-and-ionic-orders/

 神殿後側(Opisthonaos)プロジェクト(1992-1993、2001-2004)では、薬品注入による柱の強化(1997年)と、 柱頭、上部筒形部、エンタブラチュア(柱の上に架した梁部)の構造的復元などを行う。西側のフリーズの台盤は、博物館に移され、レーザーで清掃し、人工石で作ったものに置き換えられた(1-2)。
 西側の仕事(2011-2015)では、 柱頭やペディメント(切妻屋根の稜線とコーニスとに囲まれた三角形の壁面)の端などエンタブラチュアの2つの隅の構造的復元に関係する。記念碑の西からの7つのメトープが博物館に移され、コピーを元の位置(2,5,6)に戻した。
 2017年6月の間、西ペディメントの修復計画が始まった。この仕事には救助の性格があり、中央の立て石と裏側の壁の上のブロックの解体を含む。位置を変えている間、立て石をさらに固定するために特別な防湿性材料を使用する予定である(3-4)。
 この期間(2017-2020)は、西棟の屋根の格子枠を置き換え、古代の復元した梁や、1950年代に作られた新しい梁も一緒に使用する。
 その後、新しい石製の格間の全部~一部の配置も行われる(7)。

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ドゥブロブニク。Currents。

 クロアチアの陸地は世界の国のなかで小さく、しかし、地理的に見ても自然を見ても種々雑多です。
 北方のリエカ港から南方のドゥブロヴニクまで伸びたクロアチア海岸は、目の覚めるような海の風景、友好的な地元住民、稀な美しさがあります。
 クロアチアの真の見せ場は、有名なダルマチア海岸で、素朴なビーチと深青色の海は、クールな地中海とよく合っています。
 約1200の島がありますが、66の島だけが人間が住めるといわれ、なかでもダルマチア沿岸は地中海で最大の群島を誇り、水は最も清純かつ澄明です。アドリア海の東沿岸は多くクロアチア共和国に属し、ドゥブロブニク市はその最南端に位置しています。世界には独特だといわれる都市はいくつもありますが、ここドゥブロヴニク市は、古代からの街路があり、さらに石でつくった宮殿、ベネチア様式の建物、鐘楼などが並んでいます。 1979年にユネスコの「世界遺産の宝物」となったのですが、これは数世紀に渡った無数の修復プロジェクトがあり、また、万難を排して行った都市の修復には、妥協は許されない確約があったからだと、自信をもっていえるからです。ドゥブロヴニクに入ると、印象的な歩行者天国のプラツァ通りがあり、町の反対側には時計塔やオノフリア小噴水などがあります。ピレ門の近く、市の城壁のそばには、オノフリオ大噴水があり、ドゥブロヴニクの青年たちにとっては評判のよい会合場となっています。完璧に保存した旧市街はユニークで、大理石で舗装した広場や石畳の街路、背の高い住宅、教会、宮殿、噴水、美術館などは、すべて同じ明るい色の石からできています。
 道路や小道には幸いにも車の交通はありません。あるのは人間の精神だけで、活発で、魅力的です。旧市街のツアーは、ほとんどが古代の入り口、ピレ門から始まり、市の城壁を通過します。13世紀から17世紀までに建築したこの壮大な城壁は、全長1940m、壁厚4~6mで、旧市街全体を取り囲んでいます。さらに稜堡数カ所と偉大な要塞2カ所もあり、外敵から守っています。
 14世紀につくったフランチェスコ会修道院には、ゴシック様式の玄関と、装飾のある小回廊があります。修道院は、世界で3番目に古い薬局の装具や器具を保存しています。この図書館には、3万点以上の蔵書があり、15世紀から16世紀までの手書きの写本1500点と彩飾した合唱本15点があり、さらに古いクロアチア音楽では沢山の作品があります。
 アドリア海岸は、新鮮な魚介類の料理も有名です。車エビ、貝、ダルメシアンブローチ(米で煮込んだ複数の魚)を、オリーブオイルで料理し、茹でた野菜を添えて出てきます。イタリアのピザとパスタは、ダルメシアン沿岸でも名高く、しかも、支払い金額は西欧の半分ほどです。食事の前にブランデーを小グラスで飲み、食事の時にはクロアチアの優れた地方産ワインを飲むのが通例です。クロアチアは梅ブランデー、ハーブブランデー、コニャック、リキュールでも知られています。ザダール地域で作った桜のリキュール、マラスキーノも有名です。イタリア流のエスプレッソコーヒーも地元のお気に入りです。
ドゥブロヴニクのシャトルバスについて
 今日、無料のシャトルバスを利用してドゥブロヴニクのピレ門に着くことが可能です。シャトルバスは、船から約40分毎に運行し、午前10時に出発し、最後のシャトルは午後4時に船に戻ります。シャトルバスは先着順で運行し、満席の場合には予定より早く出発します。交通などの予期しない遅延の影響を受けます。タクシーは交通手段の代替形式です。 この無料サービスを使用しない場合、または別の輸送手段を使う場合は、補償はありません。これは地域運行のシャトルバスであり、オセアニアクルーズはシャトル経路の変更や遅延については一切その責任を負いません。

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Few countries in the world offer as much geographical and natural diversity on such a small land surface as Croatia.

Stretching from the northern harbor of Rijeka to Dubrovnik in the south, Croatia’s coast is a stunning seascape of friendly locals and rare beauty.

The true highlight of Croatia is the legendary Dalmatian Coast, where pristine beaches and deep blue waters merge into the cool Mediterranean.

With approximately 1200 Islands only 66 of which are said to be inhabited, the Dalmatian Coast boasts not only the largest archipelago but also the cleanest and clearest waters in the Mediterranean region. The majority of the coastline along the eastern Adriatic Sea belongs to Croatia, with the city of Dubrovnik situated in the southernmost section of the Republic. Dubrovnik, among the unique cities of the world, is a place of ancient streets lined with stone palaces,Venetian style buildings and bell towers. It was recognized in 1979 as one of UNESCO’s “World Heritage Treasures” due to the numerous restoration projects executed over the past several centuries. Its people take pride in their uncompromising commitment to the restoration of their city at all costs. Entering Dubrovnik, you are greeted by an impressive pedestrian promenade, the Placa, which extends before you all the way to the Clock Tower and Small Onofrio Fountain at the other end of town. Just inside the city walls near the Pile Gate is the Large Onofrio Fountain a popular meeting spot for Dubrovnik’s young population. The entire perfectly preserved old town is unique for its marbled-paved squares as well as its cobbled streets, tall houses, churches, palaces, fountains and museums, all cut from the same light colored stone.

Streets and lanes are blessedly free of vehicular traffic and the human spirit prevails in a vibrant and inviting manner. Most tours to the old city begin at the ancient entrance at the Pile Gate, where you will pass through the city walls. Built between the 13th and 17th centuries, these great walls measure 6200 feet in length are 3 to 19 feet thick and encompass the entire old town. Several bastions and two great fortresses guard each approach.

Dating from the 14th century, the Franciscan Monastery has a remarkable Gothic porch with a small ornamented cloister. The monastery preserves the equipment and utensils of the third-oldest functioning pharmacy in the world. The library contains more than 30,000 volumes including 1500 manuscript, 15 illuminated choral books from the 15th and 16th centuries, and numerous works of old Croatian music.

The Adriatic Coast excels in fresh seafood dishes ranging from scampi, shellfish and Dalmatian brodet (mixed fish stewed with rice), all cooked in olive oil and served with boiled vegetables. Italian pizza and pasta are also good options on the Dalmatian Coast, costing about half of what you would pay in Western Europe. It’s customary to have a small glass of brandy before a meal and to accompany the food with one of Croatia’s fine regional wines. Croatia is also known for its plum brandies, herbal brandies, cognacs and liqueurs such as maraschino, a cherry liqueur made in Zadar. Italian-style espresso coffee is also a local favorite.

 

SHUTTLE BUS SERVICE IN DUBROVNIK
Today in Dubrovnik guests may use complimentary shuttle buses to reach Pile Gate. The shuttle buses will run approximately every 40 minutes from the ship beginning after at 10:00 am with the last shuttle returning to the ship at 4:00 pm. Shuttle buses are operated on a first come, first served basis and may depart earlier than scheduled if filled to full capacity. Shuttle buses are subject to unforeseen delays such as traffic. Taxis are an alternative form of transportation. No compensation is due for non-use of this complimentary service or if alternate forms of transportation are used. As this is locally operated shuttle bus services, Oceania Cruises is not responsible for any changes or delays to the shuttle schedule.

パルテノン(解説)

パルテノンの建築家の優美さ
 パルテノンの建築家たちは、神殿を厳密な直線ではなく、はずれるようにして彫刻しました。水平部分(階段、腰掛け、高さ)はわずかに凸で、垂直部分(円柱、部屋の壁)はわずかに内側に傾斜しており、柱は下から上に向かって細くなり、その中央は膨らみ、その結果、全体的な印象としては、建物に上方の動きがでてきます。
 パルテノン神殿は、アテナ・パルテノス(処女神アテナ)に捧げられた神殿でした。その神殿はドリス式で造られ、白いペンテリコ大理石でできていて、幅30.86メートル、長さ69.51メートル、高さ15mです。外部柱廊(翼廊)は幅8列、長さ17列、内部柱廊(前部)は幅6列でした。神殿の内部は、前室(玄関間、プロナオス)、主室(神室、セコ、ケラ)、後室(オピストドモス)、オピストホーネスに分かれていました(それぞれプラン1,2,3,4参照)
 パルテノンはアクロポリス聖域再建計画のうち、最も重要な建物です。ペルシア人が略奪した(480 BC)後、アテネの有名な政治家、ペリクレスのイニシアチブで実施しました。このプログラムの資金は、パルテノン神殿のオピストホーネスに残っていたアテナイア連盟の財宝から来たものです。
 神殿は、紀元前447〜438年に建てられ、紀元前432年に彫刻の装飾が完成しました。イクチノスとカリクラテスは神殿の建築家でした。彫刻の飾りつけは、有名なアテナイの彫刻家でありペリディアスの友人であるフィディアスが、同僚たちと共同で、設計し、一部は彫刻しました。また、フィディアスは神殿建設の全般的な監督を受けていました。フィディアスはまた、クリスリファンチン(金と象牙でつくった)の女神の像をつくりました。堂々とした正式な外観と高さ12mがあり、主室で立っていました。像は保存されていませんが、その外観は古代の作家から知られています。
 神殿の彫刻装飾品。
 パルテノンの豊かな彫刻装飾品は、数世紀にわたって深刻な被害や略奪を受けており、92のメトープと、ペディメントとフリーズで構成されています(パルテノンの断面図を参照)。オリジナルの彫刻装飾品の大部分は、アクロポリス博物館で展示されています。メトープでは様々な戦いを描き、東側ではオリュンポスの神々対反抗的な巨人族ギガース(ギガントマキア)、北側はギリシャ人対トロイアの略奪(イリオスの陥落)、西側は都市を脅かすアマゾンの反撃(アマゾノマキー)、南側ではギリシャ対ケンタウロスの戦い(センタウロマキー)を描いています。
 東ペディメントは、他のオリンピックの神々があり、父ゼウスの頭からのアテナの誕生を表しています。女神が誕生する期間は、ペディメントの角にあったヘリオス(太陽)の二輪戦車とセレーネ(月)の二輪戦車で定義されます。西ペディメントは、アテナ人の保護のもと、アテナ対ポセイドンの紛争を示し、アテナ人の祖先や地元の英雄の王たち、あるいはアッティカの風景を擬人化したものです。
 フリーズは、全長160メートルでドリス式建物の閏ローニック要素ですが、市民のグループとアテネの軍隊が参加した大パナセアエア祭典を描いています。進行は東側で完結します。オリンピックの神々の存在下でアテナ神殿の儀式のために礼服(peplos)を提供します。

The architectural refinements of the Parthenon
The architectural members of the Parthenon were carved in such a way that the parts of the temple present deviation from the strict straight line; the horizontal parts (steps, stylobate, elevation) are slightly convex, the vertical parts (columns, walls of the cella) slightly incline inwards, the columns diameter tapers from the lower to their upper part and have a swelling in the middle of their height, etc., resulting in an overall impression of an upward movement of the building.

The Parthenon was a temple dedicated to Athena Parthenos (Virgin). It is built in the Doric order and made of white Pentelic marble with a width of 30.86 m., a length of 69.51 m. and a height of 15 m. It has an outer colonnad (pteron) of 8 columns on the short and 17 columns on the long sides as well as an inner colonnade (prostasis) of 6 columns on the short sides. The interior of the temple was divided into the pronaos, the sekos (cella), the opisthodomos and the opisthonaos (see Plan. no 1,2,3 and 4 respectively).

The Parthenon was the most important building of the Programme for the re-establishment of the Acropolis sanctuary after the sack by the Persians (480 B.C.), which was implemented at the initiative of Perikles, the renowned politician of Athens. The funding for the programme came from the treasury of the Athenian League that was kept in the opisthodomos of the Parthenon.

The temple was built between 447 and 438 B.C. and its sculptural decoration was completed in 432 B.C. Iktinos and Kallikrates were the architects of the temple. lts architectural sculptures were designed and partly sculpted, in collaboration with his colleagues, by the famous Athenian sculptor and friend of Perikles, Pheidias, who also had the general supervision of the construction of the temple. Pheidias also created the chryselephantine (gold and ivory) statue of the goddess with an imposing formal appearance and of a total height of 12 m, which stood in the cella. The statue is not preserved but its appearance is known from ancient writers and later copies.

The sculptural adornment of the temple.
The rich sculptural decoration of the Parthenon which through the centuries suffered severe damages and looting, consisted of 92 metopes, the compositions on the pediments and the frieze (see sectional diagram of the Parthenon). Great part of the original sculptural decoration is exhibited in the Acropolis Museum. The metopes depict the battle between the Olympian gods against the rebellious Giants (Gigantomachy) on the east side, the sack of Troy by the Greeks (Ilou persis) on the north side the repulsion of the Amazons who threatened the city (Amazonomachy) on the west side, and scenes of battle between Greeks and Centaures (Centauromachy) on the south side.

The east Pediment represents the birth of Athena from the head of her father Zeus, in the presence of other Olympian gods. The duration of the birthday of the goddess is defined by the chariot of Helios (the sun) and the chariot of Selene (the moon) at the corners of the pediment. The west pediment shows the dispute between Athena and Poseidon for the protection of Attica, in the presence of the kings who were the forefathers of the Athenians and local heroes or personifications of the Attic landscape.

The frieze, an intercalary lonic element in a Doric building of a total length of 160 m. depicts the procession of the festival of the Great Panathenaea, in which several groups of the citizens and the army of Athens participated. The Procession concludes on the east side, with the offering of the robe (peplos), for the cult statue of Athena Polias in the presence of the Olympian gods.

メリッサニ湖とドロガラティ洞窟。寄港地ツアー。

メリッサニ湖とドロガラティ洞窟 ARG-001 3時間半 1:00

 ケファロニアの自然の魅力を見ましょう。ドロガラティ洞窟や地下のメリッサニ湖などで、地下に広がっています

 桟橋から出発すると、ケファロニア島の東岸に向かって進みます。この島はイオニア諸島の最大の島です。ドロガラティ洞窟に到着すると、階段を降り、大きな洞窟に行き、採光のもと劇的な効果が生まれます。鍾乳石は、ギザギザのカーテンのように天井から垂れ下がり、古代の石筍は岩場の床から上がってきます。色は主に赤、オレンジ、黄色、白で、岩の中の鉄分と、白亜と石灰岩の層からできています。

 この洞窟の年齢は推定約1億年ですが、約300年前までは発見できず、激しい地震が入り口を開いたのです。「歓楽の部屋」という洞窟の内部では、音響は完璧に近いと考えられ、コンサートはしばしば音量のある洞窟の内で行われます。有名なオペラソプラノのマリア・カラスもここで歌いました。

 続いて、北に向かい、途中でサミ町を通り、さらに有名なメリッサニ湖に出ます。この地下で起こった現象は、まさに魔法のようで、数十年前に天井の一部が崩壊し、現在は30メートルの上から来る光の軸で囲まれます。小さなボートで湖に入り、静かに漕いでいき、表面はほとんど乱さないようにします。この塩水はイオニア海の海水とアルゴストリの淡水が混じったものです。天井由来の鍾乳石は、少なくとも2万年前からと推定されています。

 その後、アルゴストリに戻ってきます。イタキ島の海峡を渡って絵のような沿岸ルートを通り、壮大な景色を望み、ミルトス湾が見え、本当に透明な白い崖が続きます。

注意。このツアーには約1時間の歩く行程があります。しかし、洞窟内の表面は自然のままで、ゴツゴツし、滑りやすい場所もあります。 ドロガラティ洞窟では階段もあります。参加者はメリッサニ湖の小さなボートに限られた援助で出入りします。ツアーは車椅子のお客様にはご利用いただけません。移動の心配がある方には適していません。快適な衣服、帽子、平坦なウォーキングシューズをお勧めします。かかとがある靴は履かないでください。洞窟の気温は冷たくて軽いセーターやジャケットも提案されています。

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10.29
MELISSANl & DROGARATI CAVE

Behold the natural attractions of Cephalonia, including those beneath the surface, such as the Drogarati Cave and subterranean Melissani Lake.

Departing from the pier, you’ll drive toward the eastern shore of Cephalonia, the largest Ionian island. Arriving at the Drogarati Cave, you’ll descend a flight of stairs into a large cavern which is lighted for dramatic effect. Stalactites hang from the ceiling like jagged curtains, and ancient stalagmites reach up from the rocky floor. The colors are predominately red, orange, yellow and white, from the iron content in the rock and the layers of chalk and limestone.

Although estimated to be 100 million years old, the cave wasn’t discovered until about 300 years ago when a violent earthquake opened an entrance. Inside the cave’s Chamber of Exaltation, the acoustics are considered near perfect, and concert events are oftenheld in its voluminous interior. Even the famed opera soprano, Maria Callas, sang here.

Continuing on, you will travel in a northerly direction, passing the town of Sami en route to the renowned Melissani Lake. This underground phenomenon looks absolutely magical in the shafts of light that come from 100 feet above, where parts of the ceiling collapsed decades ago. You’ll enter the lake by small boat, paddled in so it hardly disturbs the surface of the water, which is a brackish mix of saltwater from the Ionian Sea and freshwater that originated back in Argostoli and then flowed across the island. The stalactites hanging from the ceiling here are estimated to be at least 20,000 years old.

Afterwards, you’ll return to Argostoli via a picturesque coastal route that offers spectacular views across the strait to the island of Ithaca, and further along, Myrtos and its dramatic sheer white cliffs.

Please note. This tour includes approximately l hour of moderate walking; however, surfaces inside the caves are natural, uneven and can be slippery. There is also a flight of steps to negotiate at Drogarati Cave. Participants must be able to enter and exit the small boats at Melissani Lake with limited assistance. The tour is not available to wheelchair guests and not considered suitable for those with mobility concerns. Comfortable clothing, hat and flat walking shoes are recommended. No heels please. Temperatures in the caves can be cool so a light sweater or jacket is also suggested.

コトル。Currents

CURRENTS。旧市街コトルを中心に

CURRENTS。旧市街コトルが中心

 モンテネグロで最も古くて最も有名な町のひとつがコトルです。沿岸のこの町は、ロブチェン山の麓にあり、コトル湾で一番奥深くにある場所。コトルは典型的な地中海の旅行先であり、古くて狭い通りには、ロマンチックなバーやレストラン、小さな店舗、古代の遺跡、教会、絵のような建物が並んでいます。有名な詩人や作家は、コトル湾の美しさを作品のひらめきとして利用してきました。コトルはユネスコの世界自然と文化歴史地域に登録されており、また、世界各地の船乗りには有名なヨットと航海の目的地となっています。
 モンテネグロの山の町々を旅した人は、コトルは歴史と伝統がそれこそ一杯ある地域です。アドリア海の沿岸で、主要な港町コトルはオルジェン山脈の麓にあり、ここでは深層水が古い渓谷にしずんでいく場所です。この町は、見事に中世の城壁に囲まれ、モンテネグリン人、セルビア人、クロアチア人、ロマニ人などが友好的に出会う地域です。旧市街コトルは、ユネスコの世界遺産ですが、1979年の地震がその一部を破壊し、その後、復元しました。破壊したものは、ロマネスク様式の教会、イコノ(聖画像)の品々、中世の建物などです。今日、つつましく、しかし、美しく豊かな山小屋が何軒もある登山口になり、古くからの習慣の一部は依然として日々の生活になっています。
 コトルは山が好きな人には興味は尽きない場所です。山頂にある聖ジョバンニ要塞に向かって、ハイキングの情熱を持つ人たちにとっては専用の道があります。逆に海面にいるのを好む人は、航海用具を借り、心の中の船乗りを見つけましょう。コトル(ボカコトルスカ)湾では、海水は穏やかで、ダイビングの絶好の機会です。ダイビングクラブ「Zubatac」でダイビング用具をレンタルできるか、聞いてみましょう。
 旧市街の東上を4.5キロほど進むと、ほぼ垂直な崖になり、城壁は曲がりくねったものになります。それは小さな万里の長城のようです。1350歩を登ると、聖母教会(山腹)や山頂の聖ジョバンニ要塞から、コトルの町や湾の素晴らしい景色が広がります。体力に自信がある人にのみ推奨されますが、さらに上に行くと、一部の道はなくなります。靴は正しく選んでください(スニーカーよりも頑強な靴で、サンダルはだめです)。366メートル上に行くのは1時間ほどかかります。城壁には2つの入口があります。1つは聖メリ教会の北門近くで、もう1つは旧市街の南門に近いところにあります。
 コトルのユニークな料理の定番は、純粋なおふくろの味の食事です。野菜と一緒に煮込んだ子羊、ミルクで調理した子羊、カラードグリーン(キャベツの一種)入りのポークシチュー、濃い色の葉菜類、この品々で日常の食品に香ばしい暖かさを加えるのです。レストランに入ったら、今日のお奨めはなあにと聞いてみてください。ここじゃあ焼き魚だな、などと答えが帰ってきます。てっとり早い食べ物は地元の焼き物料理です。通常のお気に入りには、プジェスカビア、ラムか豚肉か牛肉のハンバーガー、チェバピ、豚のひき肉、牛の肉まん、付け合わせは焼き玉ねぎとサワークリーム。食べ物にあわせたワインのヴラナッツは、ベリー風味の辛口赤ワインで、この地域の特産品です。一方、クルスタックは、花の匂いがある辛口白ワインで、お土産には好評です。もっと強力なのは地元のブランデーのラキヤで、梅かアプリコットかブドウで作り、ハーブとハチミツの匂いがします。
 旧コトルをショッピングすると可能性が無限に広がります。ブティック、ギャラリー、カフェ、ショップが桟橋の徒歩圏内にあります。城壁の中に入ると、さらに多くの選択肢があります。市街地ではイタリア製の最高仕様の商品を探しましょう。素晴らしいお土産専門店や宝石、本、写真、絵、地元の美術品などの店舗もあります。地元のワインも数本買ってみましょう。

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One of the oldest and most famous Montenegrin towns is Kotor. The coastal town is located in a most secluded part of the Gulf of Kotor, at the foot of mountain Lovcen. Kotor is a typical Mediterranean travel destination with old narrow streets, romantic bars and restaurants, small shops, antique monuments, churches and picturesque buildings. Famous poets and writers have used the beauty of the Bay of Kotor as inspiration for their works. Listed as unesco World Natural and Historical Heritage Site, Kotor has become a famous yachting and sailing destination for skippers around the globe.

Journey through the mountain towns of Montenegro, a winsome country full of history and tradition, on the coast of the Adriatic. The main port city of Kotor bustles at the foot of Mount Orjen, where deep waters submerge an ancient river canyon. Surrounded by impressively high medieval walls, the town is a welcoming juncture of ethnic Montenegrins, Serbians, Croatians, Romani and others. Old Town Kotor is a unesco World Heritage Site, restored after a 1979 earthquake damaged parts of its Romanesque churches, iconographic monuments and medieval buildings. Today, the port is the gateway to a chain of humble yet beautiful and enriching mountain hamlets where old customs are still part of daily life.

Kotor is an interesting place for mountain lovers. Towards the peak Sveti Iven (St. Ivan), above Kotor, there is a path dedicated for those who share a passion for hiking. For those who prefer to remain at sea level, explore the possibility of renting sailing equipment and discover your inner sailor. Next to the channel of Bay of Boka Kotorska, the water is calm presenting a great opportunity for diving. Inquire at the diving club “Zubatac” (Dentex) for the possibility of renting diving gear.

Stretching some 2.8 miles (45 kilometers) directly above and east of the Old Town, on almost vertical cliffs, is the meandering upper town walls. It looks a little like a short version of the Great Wall. Climbing up the l,350 steps will be rewarded by an excellent view of Kotor and the bay from the Church of Our Lady of Health (half way up) and the St. John’s fortress on top. Only advisable for physically fit people, furthermore on some sections the steps are broken up. Choose your footwear wisely (sturdy shoes preferable over sneakers and definitely no flip flops). The 1,200 foot (366-meter) ascent may take an hour. There are two access points to the Upper Town Walls, one near the northern gate by St. Mary’s Church, and one closer to the southern gate to the Old Town.

Kotor’s unique culinary staples are pure comfort food. Try any of a variety of stewed dishes. Boiled lamb with vegetables, lamb cooked in milk, and pork stew with rastan, a dark leafy green, infuse the native diet with savory warmth. Ask for the catch of the day in any restaurant,too–grilled fish is delicious here. For quicker fare hit a local grill. Regular favorites include Pljeskavia, a lamb pork and beef burger, or cevapi, minced pork and beef in bun with grilled onions and sour cream. Pair food with wine here, Vranac, a dry red with high berry flavors, is the region’s specialty. Krstac, a dry floral white, is another local worth sipping. More potent is rakija, a local brandy made with plum,apricot or grape and flavored with herbs and honey.

Shop Old Kotor for endless possibilities. Boutiques, galleries, cafes and shops start within walking distance of the pier. Once inside the walls of the town, even more options unfold. Look for high end Italian labels lining the streets next to great souvenir boutiques and shops with jewelry, books, photography and prints and local antiques. Bring back some of the local wine, too.

ベニス。Currents。

Currents第9日 ベニスはイタリア北東部のアドリア海岸のラグーンに位置し、世界で最も美しくロマンチックで心惹かれる都市のひとつです。この真にユニークな都市にあるのは――水路、歩道、狭い通り、小さな広場が集まって迷路となり――約117か所の島、177の運河、400ほどの橋です。建物は文字どおり数百万のさおに支えられ、このさおは沼地の堆積物の中に埋められています。ラグーンを横切る4.8キロの橋がベニスと本土を結び、これはアドリア海の脅威からベニスを守る天然の防波堤です。ベニスには車やバスはなく、代わりに訪問者やベニスっ子たちは徒歩、ヴァポレット(水上バス)、個人用のモーターボート、水上タクシー、上品で伝統を守るゴンドラを利用します。
 ベニスはマルコ・ポーロや歴史的に有名なカサノバの故郷でもあります。ちなみに、カサノバはここで投獄されました。王、女王、皇帝、教皇など多くの有名な人々がベニスを訪れ、たとえば、バイロン卿、チャールズ・ディケンズ、プーシキン、マーク・トウェイン、ヘンリー・ジェイムス、アーネスト・ヘミングウェイなどは全員ベニスに滞在しました。ビバルディはコンサートマスターとしてここで働き、リチャード・ワグナーは「トリスタンとイゾルデ」を作曲した時にベニスに滞在しました。数多くの芸術家や作家は魅力的な美しさを伝えてくれます。今では観光はベニスにとって非常に重要な産業であり、続いて海運と港湾サービスです。サンマルコ広場は、ベニスの生活の中心地で、散歩したり、喫茶店の外で音楽家を聞いたり、広場のアーケードで店舗を訪ねたり、そこに集まる大量の鳩に餌をあげることもできます。
 サンマルコ広場の中央近くには、再建した鐘楼があります。元は9世紀につくられ、1902年に崩壊しました。エレベーターで登ると壮大な景色を見ることができます。時計塔は、鐘楼の反対側にあり、1499年にマウロ・コドゥッシが建築しました。ムーア人の人形2体が1時間ごとに大きな鐘を打ち鳴らします。時計塔には十二支の時計もあり、アラビア数字とローマ数字で時間を示しています。聖マルコ大聖堂は真にビザンチン建築の傑作で、建設は830年、元々はドージェの礼拝堂でした。現在の大聖堂は11世紀に建てられ、壮大なモザイク、貴重な芸術、珍しい大理石などがあります。大聖堂の隣にあるドゥカーレ宮殿は、ドージェの邸宅兼政庁であり、第一級の部屋は、壮大な議事堂で、ティントレットとヴェロネーゼが描いた絵画が入っています。嘆きの橋は、17世紀に建設されたバロック様式の石橋で、宮殿と古い刑務所を結びつけています。処刑か投獄された囚人の絶望にちなんで命名されています。大運河はベニスの主要な水路で、長さ約2マイル、約100の大理石の宮殿が並んでいで、12世紀から18世紀につくっています。
 ベニスではパスタより米のほうが人気があり、リゾットはすごく一般的です。フェガト・アッラ・ヴェネツィアーナは地元の名品です。薄い帯状に切った子牛レバーに炒めた玉ねぎとポレンタ(トウモロコシ粉の粥)を添え、これに合うのはトウモロコシやコーンミールのケーキです。魚も豊富で、パスティッチョ・ディ・ペッシェ、魚のパイを試してみてください。ベニス周辺地域では優れたワインもあります。おそらく最もよく知られている赤ワインはヴァルポリチェッラ、バルドリーノ、カベルネとメルローでしょう。
ベニスのシャトルバスサービス
 今日、ベニスでは、地元の港湾局が提供する無料のシャトルバスを使い、水上タクシーの乗降場に行くことができます。バスはターミナルから12:30 pmに始まり、最後は10:30 pm、船に戻ります。先着順で運行し、満席となる場合、予定より早く出発します。このサービスは、タクシーなどの地元の交通機関の代わりではなく、補助手段として考えるべきです。バス同士の間隔はおおよそのもので、予期しない遅延や変更については、オセアニアクルーズはその責任を負いません。バスを待つことを好まない場合、自費でタクシーを呼ぶことも可能です。この無料サービスを使用しない場合や、代替の移送手段がある場合、バスの補償はありません。注意。バスは車椅子では入ることができません。

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Situated in a lagoon on Italy’s northeastern Adriatic Coast, Venice is one of the most beautiful romantic and best-loved cities in the world. This truly unique city–a maze of waterways, walkways, narrow streets and small squares– is built on approximately 117 islets, which are separated by 177 canals and spanned by some 400 bridges. The buildings are supported by literally millions of poles driven into the marshy sediment. A 3-miles (4.8-kilometer) bridge reaches across the lagoon connecting Venice to the mainland, while a narrow sandbar, the famous Lido, forms a natural breakwater that protects Venice from the force of the Adriatic Sea. There are, of course, no cars or buses in the main city and transport for visitor or Venetian alike is on foot, by vaporetto (water bus) private launch, water taxi or the traditional, graceful gondola.
Venice was the home of Marco Polo and later in history Casanova, who was imprisoned here. Many famous people have visited Venice including kings, queens, emperors and popes. Lord Byron, Charles Dickens, Puskin, Mark Twain, Henry James and Emest Hemingway, among others, all stayed in Venice. Vivaldi worked here as a concert master and Richard Wagner stayed in Venice while composing “Tristan and Isolde.” Numerous artists and writers have immortalized its charmed beauty. Today tourism is a very important industry for the city, followed by maritime and port services. Piazza San Marco (St. Mark’s Square) is the center of life in Venice, a popular meeting place where visitors can stroll, listen to the musicians outside the coffee houses, browse in the shops in the Piazza’s arcades, or feed the large numbers of pigeons that congregate there.
Near the center of St. Mark’s Square is a copy of the original 9th-century bell tower, which collapsed in 1902. An elevator will take you to the top for magnificent views. The clock tower, across from the bell tower, was built in 1499 by Mauro Coducci. Giant Moors strike the hour on the great bell. There is also a zodiac clock on the tower, showing the time in Arabic and Roman numerals. St. Mark’s Basilica is truly a masterpiece of Byzantine architecture. Built in 830,it was originally a chapel for the Doges. The present Basilica dates from the 11th century and contains some magnificent mosaics, precious art and rare marbles. Palazzo Ducale (Doge’s Palace), situated next to the Basilica, was both the residence of the Doge and the seat of government. The finest room in the palace is the grand Council Chamber, containing paintings by Tintoretto and Veronese. The Bridge of Sighs (Ponte del Sospiri) is a baroque stone bridge built in the 17th, century connecting the Doge’s Palace with the old prisons. It was named after the despair of prisoners who were led across to be executed or incarcerated. The Grand Canal is the main waterway of Venice, approximately two miles in length, it is lined with some 100 marble palaces, built between the 12th and 18th centuries.
Rice is more popular in Venice than pasta, and risotto is quite common. Fegato alla Veneziana is a local specialty; thin strips of calves’ liver grilled with onions and served with polenta with the main accompaniment being either maize or cornmeal cakes. Fish is plentiful; try Pasticcio di Pesce, a fish pie. There are several good wines produced in the region surrounding Venice; perhaps the best-known reds are Valpolicella, Bardolino, Cabernet and Merlot.

SHUTTLE BUS SERVICE IN VENICE
Today in Venice guests may use complimentary shuttle buses provided by the local port authority to reach the water taxi station. The shuttle buses will run continuously from the terminal, beginning at 12:30 pm with the last shuttle returning to the ship at 10:30 pm. Shuttle buses are operated on a first come, first served basis, and may depart earlier than scheduled if filled to full capacity. This service should not be considered as an alternative to available local transportation such as taxis but rather as a supplement. Interval between shuttles is approximate and Oceania Cruises are not liable for any unforeseen delays or changes to the shuttle schedule. Guests who prefer not to wait for a shuttle may wish to secure a taxi at their own expense. No compensation is due for non use of this complimentary service or if alternative forms of transportation are used. Please note, shuttle buses are not wheelchair accessible.

カナッペ

カナッペメニュー

カナッペメニュー

 午後4時はカナッペの時間です。カナッペとは「パンを薄く小さく切って、その上に魚や肉などをのせたもの」。バトラーが自室に持ってきます。
 私たちはカナッペを4回頼みました。
 テキサス、イタリア、インド、メキシコなど、各国の味が散りばめられているけれど、どれも同じ味になっているのは、なにかが悪い。

10.27
 Texas Style Chicken Wings with Hot Sauce
  Celery Sticks and Traditional Blue Cheese Dip
   テキサススタイルの鶏の手羽。辛味ソースをつけて。
   セロリスティックと伝統的ブルーチーズのディップ
 Basket of Assorted Tortilla de Maiz Strips
  Homemade Guacamole and Thick Salsa Cruda
   メキシコパンの各種かご。トウモロコシ・ストリップをつけて。
   自家製アボカドソースと濃厚生トマトソース
10月27日のカナッペ。

10月27日のカナッペ。

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10.29
 Crispy Fried Indian Vegetable Samosas
  Trilogy of Samosas with Yogurt Chutney
   カラリと揚げたインドの野菜サモサ
   ヨーグルトチャツネとサモサのトリロジー

 Selection of Sweet Sandwiches
  Freshly Made Peanut Butter-blueberry Jam, Cheddar Raspberry jam and Nutella Sandwiches
   甘いサンドイッチの特選品
   新鮮ピーナッツバターとブルーベリージャム、チェダーラズベリージャム、ヌテラサンドイッチ

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10.30
 French Goat Cheese Clafoutis Cake with Thyme-Tomato Concassée
  Accompanied by Thin Grissni and Crispy Baguette
   山羊のチーズクラフティケーキ。みじん切りしたタイムとトマトをかけて。
   薄いスティックパンとパリパリのバゲット

 Ciabatta Petit Loaf with Brie, Apple and Cherry Tomato Garnished with Fruit
  Freshly Baked Ciabatta Garnished with Brie Cheese, Fresh Apple and Roasted Cherry Tomato
   プチパン。ブリーチーズ、アップル、フルーツ入りのチェリートマトを添えて
   焼きたてのイタリア製白パン。ブリーチーズ、フレッシュアップル、ローストチェリートマトと一緒に

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10.31
 Canyon Ranch® Chilled Fruit Minestrone in Hibiscus Flower Infusion
  Fresh Fruit Salad Accompanied by Pecan Orange Cookies
   キャニオンランチ®。冷フルーツミネストローネ。ハイビスカス花の香りを添えて
   新鮮フルーツサラダ。ペカンオレンジクッキーを添えて

カナッペ1031

 Canyon Ranch® Bouquet of Crudites Fresh from the Garden
  Assortment of Vegetable Sticks with Carrot Dip
   キャニオンランチ®。庭からの新鮮生野菜
   野菜スティックの彩り。人参ディップで

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船長の手紙。暴風雨のためコトルで1泊。

お客様、
 次の2日間、強風と荒海があり、 4〜5メートルの波を伴う暴風雨があると予報されています。最悪の暴風雨を避けるため、オセアニア・リビエラの事務所では明晩、コトルに滞泊し、10月30日午前6時に出帆すると決定しました。ドゥブロブニクの天気予報では、海と風の条件が悪く、午前中に入港はできません。ドゥブロブニクの到着時刻は10月30日午前10時になる予定です。リビエラはドゥブロブニクを午後5時に出発し、これでベニスでは時間通りになる予定です。
 港の時間は次のようになります。

 コトル:10月29日12:00(正午)〜10月30日(全員乗船の合図は午前5時)
 ドゥブロブニク:10月30日午前10時〜午後5時(全員乗船の合図は午後4時半)
 ベニス:10月31日12月(正午)。港で一泊。

 ドゥブロブニクのオセアニア・ツアー券をお持ちの場合、保管してください。目的地チームは出発予定を新たに部屋に送ります。
 ドゥブロブニクの港で私的な手配をすましている場合、コンシェルジュはツアー会社に連絡するなどのお手伝いをします。
 個人的に見て至らない点もあるかと存じますが、ご理解いただきましてありがとうございます。お客様の安全と安心は、常に最大の関心事です。

 敬具

 船長 ガンナール・ロムトベイト
 M/Sリビエラ

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Dear Guest,

Over the next two days we will be experiencing very strong winds and rough seas. It is expected to be gale force winds with 4 to 5 meter waves. In order to avoid the worst of the storm, it has been decided with Oceania corporate office for Riviera to stay alongside in Kotor tomorrow night and to set sail at approximately 6.00am on the 30th of October. The weather forecast for Dubrovnik in the morning shows unfavorable sea and wind conditions to enter the port therefore our arrival time in Dubrovnk, will now be at 10.00am on the 30th of October. Riviera will still be departing from Dubrovnik at 5.00pm in order to be on time in Venice.

Our time in ports will be as follows:

Kotor: October 29th – 12.00(noon) to October 30th 6.00am (all on board 5.00am)
Dubrovnik: October 30th – 10.00am to 5.00pm (all on board 4.30pm)
Venice: October 31st – 12.00(Noon)Overnight in port.

If you are holding Oceania tour tickets for Dubrovnik, please keep them. Our destination team will be sending to your room a new tour departure schedule.

If you had made private arrangements in the ports of Dubrovnik, our concierges will be happy to help you contact your private tour operator.

We apologize for any personal disappointments and we thank you for your understanding. The safety and comfort of our guests is always our primary concern.

Sincerely,

Captain Gunnar Romtveit
M/S Riviera

ケファロニア島について。Currentsから

 イオニア海のケファロニア(Kefalonia、Cephalonia)島は、驚くほど美しく、石灰岩がつくった切り立った崖、斜面にはオリーブの木が点在する段々畑があります。島の頂点はアイノス山で、標高は1774メートル。広い地域はよく茂った亜熱帯植物でおおわれ、偉大な山や海が織りなす景色は島中で見えます。
 ケファロニア島の多くの場所は、激動する歴史を反映し、王や支配者は絶えず変わりました。中世ではシチリアのノルマン王が島を支配し、その後、イタリアの領主だったモレアス専制公は300年ほど支配しました。 1478年には、トルコがこの島を征服し、20年後にはベニスに敗北しました。そして、短時間ですが、英国も支配しています。最後に1864年、ケファロニア島はギリシャに戻りました。 1823年、バイロン卿は数か月をこの島で過ごし、人々の不朽の精神、自然の美しさと豊かな歴史に魅了されました。
 ケファロニア島を訪れる人は、穏やかなアッソスの漁村や美しいアルゴストリの町などで時間を過ごしています。島のその他のハイライトには、ベニスの要塞、13世紀の城、壮観な洞窟などがあります。
 島の最大の町で活気のある州都アルゴストリは、半円形に並び、盛んな都市生活もあり、活発な歓楽地もあります。あらゆる趣味の店、ほっとするコーヒー、近所のバー、またビーチもあります。アルゴストリは1953年の地震で完全に崩壊しましたが、古いベニスの建築はまだあります。巨大壁がある旧クラニ街を見ることも、歩行者通りを歩くこともできます。機会があれば、地元のフィルハーモニー管弦楽団が伝統的なイオニアの歌を演奏するでしょう。遊歩道を歩き、波止場を散策することもできます。
 アルゴストリの多くの娯楽地は港から徒歩圏内です。古い建物の再建が今も行われているものもありますが、大部分はここ60年間に再建は終えています。市の中心はバリアヌ広場で、店舗、タベルナ、その他の商業地に囲まれています。広場の2ブロックほど南に主要ショッピング街、リトストロトがあります。これは歩行者専用の石畳の商店街です。市内には2つの素敵な小さな博物館があります。考古学博物館には、ミケーネン時代からローマ時代までの遺物があります。コルヤレニオス歴史民俗芸術博物館には、地震以前での島の展示が沢山あります。美しいデボセット橋は19世紀初頭に建築され、数年後には石橋で置き換えられました。ここは街で最も人気のある撮影スポットの1つです。また、地震後に再建されたドーリア式の灯台も撮影スポットです。
 地元の料理を試していないままアルゴストリを去ろうとするのはいけません。昼食のために心のこもったケファロニアっ子のミートパイを試し、島で生産する地元のワイン、ロボラを飲みましょう。アルゴストリの主要な道のパン屋で丸いチーズパイを食べ、パンを手に取ったら地元のタイム・ハニーをつけるのを忘れずに。

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The Ionian Island of Kefalonia, also known as Cephalonia, is strikingly beautiful, with jagged limestone cliffs and terraced slopes dotted with olive groves. The highest point on the island is Mount Ainos, rising to 5,914 feet (1774 meters). Large areas are covered by luxuriant subtropical vegetation, and all around the island, the scenery offers magnificent views of the mountains and the sea.
Many sites on Kefalonia reflect its tumultuous history of ever-changing kings and rulers. The Norman Kings of Sicily ruled the island during medieval times, followed by Italian overlords who ruled for three centuries under the principality of the Morea. In 1478, the Turks conquered the island only to be defeated 20 years later by the Vegetians. And, for a short time the British ruled here as well. Finally in 1864, Kefalonia was returned to Greece. In 1823 Lord Byron spent several months on the island, captivated by the enduring spirit of the people, the natural beauty of the land and its rich history.
Visitors to Kefalonia look to spend time in such places as the serene fishing village of Assos and the scenic town of Argostoli. Other highlights on the island include a Venetian Fortress, a 13th century castle and spectacular caves.
The biggest town of the island and the lively capital of the island is Argostoli, a town built amphitheatrically, with intense city life and active, full of various types of entertainments: shops for every taste, coffee to relax, bars and beaches nearby. Although Argostoli was totally ruined by an earthquake in 1953 there are still sites that depict the old Venetian architecture. You can see the old town Krani with the Cyclopean Walls, you can walk on the pedestrian street, where if you have the opportunity you may encounter the local philharmonic orchestra playing traditional Ionian songs; you can complete your promenade strolling through the dock.
Argostoli’s attractions are mostly within walking distance of the port. Though some are reconstructions of older buildings, for the most part, the capital has been reconstructed over the last 60 years. The meeting point in the city is Vallianos Square surrounded by shops, tavernas and other businesses. A couple blocks south of the square is the main shopping street, Lithostroto. which is a pedestrian-only cobblestone shopping mall. There are two nice small museums in the city. The Archaeological Museum has artifacts from Mycenean to Roman times. The Korgialeneio History and Folk Art Museum includes many displays showing the island prior to the earthquake. The picturesque De Bosset Bridge was built of wood in the early 19th century, but replaced a few years later with stone. It is one of the city’s most popular photo spots along with the Doric-style lighthouse rebuilt after the earthquake.
Don’t leave Argostoli without trying a few of their local specialties. Try a hearty Kefalonian meat pie for lunch, and wash it down with a glass of Robola, the local wine produced on the island. Drop by the bakery on Argostoli’s main thoroughfare for a round cheese pie, and pick up some bread to drizzle local thyme honey on.

クノッソスの説明版(一部)


南正門
今日見ている「南正門」は、エバンスが修復したもので、これは「酌人」のフレスコ画をコピーしたものです(図1)。
壁画は、神酒の花瓶(リートン)を持つ男を描いています。そのテーマは、エバンスによれば、「南前門」に達した「行列のフレスコ画」と関連しています。
ピトス(大きな貯蔵瓶)は、前門の東側にあり、後宮殿期(紀元前1450年〜1100年)に属し、後で貯蔵に使用したようです。
SOUTH PROPYLAEUM
The ‘South Propylaeum’ as we see it today is a result of the restoration of Evans who put up a copy of the ‘Cup-Bearer’ fresco here (Fig.1).
The wall painting depicted a man holding a libation vase (rhyton). lts theme is connected with the “Procession Fresco” which, according to Evans, reached here the ‘South Propylaeum’.
The pithoi (large storage jars) on the east side of the Propylaeum belong to the Postpalatial Period (1450-1100 B.C.), and indicate that the area was later used for storage.
東門と「大階段」
東門の大部分は、宮殿の残りの部分の上にある丘の側面に建てられているので、中央広場から見ることができません。宮殿の最も興味深い部分の1つですが、理由は 2つの階層が中央広場の下に保存されているからです。今日では、その大部分がコンクリートで再構築されています。
階層は「大階段」と呼ばれる階段のシステムによって互いに接続されています。階段は掘削中に元の位置にありました(図1,2)。階段は合計で4つあり、各2階層に2つずつあります。2つある下段は、発見したときと同じように保存されています。段差は広く、深く、緩やかな傾斜があり、簡単に上昇できます。階段は大きな光の井戸で照らされ、木製の柱の吹き抜けに囲まれています。
一連の廊下、広々としたホールと小さな部屋が あり、大階段に続きます。宮殿がクノッソス王の席であると信じたエバンスは、王室の居住区がこの場所だと仮定していました。
East wing, “Grand Staircase”
A large part of the East Wing cannot be seen from the Central Court as it is built into the side of the hill on top of which lies the rest of the Palace. It is one of the most interesting parts of the palace because two storeys are preserved below the levelof the Central Court. Today, a large part of it has been reconstructed in concrete.
The storeys are connected with one another by means of a system of stairs known as the “Grand Staircase”. The staircase was found during the excavation in its original position (Fig.1,2). There is a total of four flights of stairs, two for each storey.
The two lower flights are preserved as they were found. The steps are broad and deep, with a gentle incline that makes for an easy ascent. The staircase is lit by a large lightwell and surrounded by a colonnade of wooden columns.
A series of corridors, spacious halls and small rooms is connected to the Grand Staircase. Evans, who believed that the Palace was the seat of the king of Knossos hypothesized that the residential quarters of the Royal family lay in this part of the site.
「双斧の間」と「女王のメガロン」

双斧

双斧

ミノア時代の政治組織に関する考古学的情報はごく限定しています。それにもかかわらず、ミノス王に関して、また王権制度のエバンスの解釈に関して、神話的伝統は、宮殿やその空間に影響を与えてきました。「王家居住区(Royal Apartments)」はこの地域に位置しています。
「双斧の間」(Hall of the Double Axes)
「双斧の間」(図1)は、命名者はエバンスがですが、後ろにある光の井戸の壁面に刻印した二重の斧という絵のためです。彼はまた、それがクノッソスの王座か王の居住地であると考えました。
  中央領域は側面3面に開口部があり、したがって「ポリチロン」(出入口が複数ある状態)と呼ばれています。床に厚板があり、壁は石膏の厚板とフレスコ画で装飾されています。「ポリチロン」と光の井戸の間の領域は迎賓館として使用されました。木造の痕跡がここに見つかりました。エバンスはこの場所で木製の王座を再建しました。考古学的な発見によると、上層階の居住区の配置は1階の居住区と似ていました。

双斧の間

 

「女王のメガロン」
「双斧の間(Hall of the Axes)」の近くには、小さなホールがあり、同様に配置され、豊かに装飾されています(図2)。エバンスはそれが女王に属していたに違いないと思いました。イルカやダンスする女性が書いていたフレスコ画の断片が見つかりました。部屋は大きく復元され、井戸の絵画は壁に貼られています(図3)。部屋の終わりに、1列の低い隔壁が小空間を作り出しました。それは粘土の “風呂”の部分がそこに見つかったので、 “女王の浴室”だと考えられました。
 「女王のメガロン」に、廊下が準備と洗濯の場として解釈された部屋として加わります。

The “Hall of the Double Axes” and the “Queen’s Megaron”
Archaeological information concerning political organization during the Minoan period is very limited. Nevertheless, the mythological tradition concerning King Minos and Evans’s notions concerning the institution of kingship have influenced interpretations or the Palace and its spaces. The “Royal Apartments” have been located in this region.
THE “HALL OF THE DOUBLE AXES”
The “Hall of the Double Axes” (Fig.1) was so named by Evans due to the double-axe signs engraved on the walls of the light-well at its rear. He also thought that it was the place or residence of the king of Knossos.
The central area has openings on three sides and is therefore called a”polythyron” (system with multiple doorways). lt has a slab floor and its walls were embellished with gypsum slabs ard frescoes, The area between the “polythyron” and the lightwell was used as a reception hall. Traces of a wooden construction were found here. Evans reconstructed a wooden throne at this spot.
According to the archaeological finds the arrangement of the apartments on the upper foor was comparable with those on the ground floor.
The “QUEEN’S MEGARON”
Near the “Hall of the Double Axes” is a smaller hall, comparably arranged and richly decorated (Fig.2). Evans thought that it must have belonged to the Queen. Fragments of frescoes with dolphins and dancing ladies were found. The room is largely restored and copies of the well Paintings have been put up on the walls (Fig.3). At the end of the room,a low partition wall with one column created a small space. It was thought that it was the “queen’s Bathroom” since pieces of a clay “bath” were found there.
A corridor joins the “Queen’s Megaron” with rooms that have been interpreted as places of preparation and washing.

「教室」、「宝石工房」

教室

ここには、いわゆる「教室」があります。 エバンスによると、書記官は粘土板を書くように教えられました。エバンスはベンチの隣にあるしっくいから粘土をつくったと考えました(図1)。しかし、陶磁器や壁画の工房の可能性の方が高いと考えています。
「教室」の後ろには「宝石工房」があり、そこには未加工や半加工のラペス・ラセデモニウス(スパルタン玄武岩)や石の道具がありました。エヴァンスによると、主な工房は上階にあり、花瓶と大きな石のつぼが1階に落ちたといいます。

“SCHOOL ROOM”, “LAPIDARY’S WORKSHOP
Here is the so-called “School Room”, an area where, according to Evans, scribes were taught to write on clay tablets. He supposes that they kneaded the clay in the built mortar next to bench (fig.1). It is more likely, however, that was a workshop for ceramic or wall-painting,
Behind the “School Room” is the “Lapidary’s Workshop”, where blocks of unworked or semi-worked lapis lacedaemoniae (spartan basalt) and stone tools were brought to light.
According to Evans, the main workshop lay on the upper floor from which vases and a large stone amphora had fallen to ground floor.

「巨大瓶の倉庫」と「東の要塞」
 あなたの前に見える巨大なピトイ(貯蔵瓶)は、エバンスがつけた名前「巨大瓶の倉庫」(図1)という場所にありました。この倉庫は、宮殿の古い部分の1つです。 ピトイは、大きさ、取っ手の数、ロープや円板を使ったレリーフ装飾の豊かさで区別されます。
 右側には、エバンスによって再建した階段があり、下に行くと宮殿の東の入り口になります。 入り口は強固な構造で「要塞」の印象を与えます(図2)。この点から、いわゆる「王家の大邸宅」という宮殿時代の重要な建物に簡単に到達できます。主要な考古学的サイトの外にありました。

The “Magazines of the giant pithoi” AND THE “EAST BASTION”
  The great pithoi (storage jars) you see before you, were found in a place named by Evans, the “Magazines of the Giant Pithoi” (Fig.1), These magazines are one of the older parts of the Palace. The pithoi are set apart by their size, number of handles and the richness of their relief decoration with ropes and discs.
  On the right you see a staircase which has been reconstructed by Evans and descends to the east entrance of the Palace. The entrance is a robust construction that gives the impression of a “bastion” (Fig.2). From this point it would have been easy to reach an important building of the palatial period, the so-called “Royal Villa” which lies outside the main archaeological site.

Currents イラクリオン

Currents 2018/10/26

Currents 2018/10/26

イラクリオンは、クレタ島で最大の都市で、ギリシャの主要な都市のひとつです。その発展は9世紀初めに始まりました(古代では、クノッソスは島の最も重要な中心であり、ゴーティンが続いています)。その後、イラクリオンは イスラム帝国、ベネチア共和国、オスマン帝国の支配下に入りました。その征服者は当初ハンダクかハンダクという名前を与え、それがカンディアに変わりました。 2004年のオリンピックでは、イラクリオン市がサッカー競技場を提供しました。考古学的な証拠によると、イラクリオンはおそらく、前9世紀、ゼウスの母、レアというギリシャの女神に敬意を表して命名されたものです。ほとんどの地中海都市と同様に、イラクリオンは長くて激動のある歴史があります。9世紀にサラセン人が正式に設立、961年、ビザンチン帝国はクレタ島に侵入し、1211年にはベネチア人にこの島を売却しました。わずか1000個の銀貨のためでした。イラクリオンはついにベネチア人の下で栄えました。市内全域で、ロッジア、ベネチアの壁、そしてモロシニの噴水などの記念物を見つけることができます。しかし、おそらくイラクリオンはクノッソス の4000年前の息を呑む美しいミノア遺跡とラシティ高原(Lassithi Plateau)に広がる有名な風車の玄関口として知られています。
 イラクリオンの最も有名な観光スポットの中には、「旧市街」を示す要塞壁があります。最初の要塞はアラブ人が建設し、その後ベネチア人が強化しました。七つの砦から、マーティンゴ砦だけが今も生き残っています。訪問者は街を見下ろす所に有名な作家のN・カザンザキスの墓を見つけるでしょう。街にはいる4つの門のうち、特徴的な翼の付いたサンマルクのライオンのあるチャニョポルタ門と南側の新門(1587年)だけが現在も存在します。モダンな施設の隣にある(ベネチアの)古港では、丸天井のタルサナードを見ることができます。ここは造船の場所でした。一方、西側にはクールス要塞があります。市内の中心部には、イラクリオンが大きな繁栄を見せていた中世で数多くの記念碑があります。港から、アウグストウ(8月)25日の通りを上ると、広場に達し、アギオス・ティトスの教会があります。隣にはベネチアのロッジアがあり、これは壮大で華やかなアーケードのブレゾンやトロフィーで飾られたベネチアの建物です。ベネチア時代の公爵夫人や他の貴族の会合場としての役割を果たしていました。
 イラクリオンの典型的な特徴は、ベネチアの噴水とトルコの噴水であり、街のいたるところに散在しています。最も有名なのはベネチア風のオルゾーニ噴水で、地元の住民や観光客のランドマークとしても知られています。その他の注目すべきベネチアの噴水は、コルナロス広場のベンボ泉、ロッジアの北西端に建てられたサグレド泉、港の近くにあるプリウリ泉です。今日のイラクリオンは、再生の速い流れと、過去とのつながりを維持しようとする深い願望もあり、この2つの間で生きています。この2本の糸は両方ともその性質を定義しています。過去100年だけでも大きな変化があり、この町では極めて簡単に追うことができます。建物や通りはクレタ島の変化する運命を反映しています。中世から確立された街の「旧市街地」は、街の中心部で素晴らしい散策の旅をお届けします。

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Iraklion is the largest city of Crete and one of Greece’s major urban centers. Its development begun in the wake of the 9th century AD (in antiquity, Knossos was the island’s most important centre, followed by Gortyn). In later times, Iraklion came under Arabic, Venetian and Ottoman rule; its conquerors initially gave it the name Khandaq or Handak, which was corrupted to Candia. During the 2004 0lympic Games, the city of Iraklion provided one of the venues for the football tournament. Archaeological evidence shows that Iraklion probably arose during the 9th century B.C. and was named in tribute to the Greek goddess Rhea, mother of Zeus. And like most Mediterranean cities, Iraklion has a long and turbulent history. Officially founded by the Saracens in the 9th century, the Byzantine Empire invaded in 961 only to lose control to the Crusaders who sold Crete to the Venetians in 1211 for a thousand silver coins. Iraklion finally flourished under the Venetians. Throughout the city you’ll find stunning reminders of their influences the Loggia, Venetian Walls, and Fountain of Morosini are just a few must-see examples. But Iraklion is probably best known as the gateway to the breathtaking 4,000 year-old Minoan ruins at Knossos and to the famous windmills stretched across the Lassithi Plateau.
Among the most outstanding sights of Iraklion are the fortification walls that delimit the “old city”. The first fortifications were built by the Arabs and were later reinforced by the Venetians. From the seven bastions, only the Martinengo bastion survives to this day; there visitors will find the tomb of the renowned writer N Kazantzakis, overlooking the city. From the four gates to the city, only Chanioporta with the characteristic winged Lion of Saint Marc and the New Gate (1587) at the southern side survive today. In the old (Venetian) port, next to the modern facilities, one can see the vaulted tarsanades where ships used to be built, while the westem side is dominated by the Koule fortress. In the heart of the city there are many monurnents dating to the Middle Ages, a period in which Iraklion witnessed great prosperity. From the port, ascending 25 Avgoustou (August) street, one reaches a square where the church of Agios Titos is found, while next to it lies the Venetian Loggia, a magnificent, ornate arcaded Venetian building decorated with blazons, and trophies which served as a meeting Place for the Duke and other noblemen during the Venetian period.
A typical feature of Iraklion is its Venetian and Turkish fountains, scattered all around the city. The most famous one is the Venetian style orozini-fountain, also known as the Lions, a landmark for local inhabitants and visitors alike. Other noteworthy Venetian fountains are the Bembo fountain on Kornaros Square, the Sagredo fountain built in the northwestern corner of the Loggia, and Priuli fountain located near the port. Iraklion today is living between the fast moving currents of regeneration and a deep desire to maintain links with a past. Both these strands define its character. ln the last hundred years alone, we have seen huge changes which can be quite easily followed, in buildings and streets that reflect the changing fortunes of Crete. The “old town” areas of the city, established from mediaeval times, now offer visitors some fantastic walks in the heart of the city.

シャトルバス

ヘラクリオンへのシャトルバスサービス

 今日イラクリオンで ターミナルに到着するためには、港湾局が提供する無料のシャトルバスをご利用ください。投錨地同士をつなぐ歩行は禁止されています。シャトルバスは、午前8時から連続的に船から運行し、最後のバスは午後10時30分です。シャトルバスは先着順で運行されており、満席になると予定より早く出発します。シャトル間の間隔はおおよそのもので、オセアニアクルーズは、シャトルの予定で予期できない遅延や変更があっても、その責任を負いません。

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SHUTTLE BUS SERVICE IN HERAKLION
Today in Heraklion guests may use complimentary shuttle buses provided by the locaI port authority to reach the terminal, walking is not permitted between berths. The shuttle buses will run continuously from the ship beginning at 8:00 am. with the last shuttle returning to the ship at 10:30 pm. Shuttle buses are operated on a first come, first served basis and may depart earlier than scheduled if filled to full capacity. lnterval between shuttles is approximate and Oceania Cruises are not liable for any unforeseen delays or changes to the shuttle schedule.

サントリーニのワイン醸造所とイア

  カラフルな地元のボートに乗り、 地上のアティニオス港に到着すると、そこにはエアコン付きの観光バスが待っています。

 ワイン醸造所を訪問すると、ワインがサントリーニで生産した方法について、有益な洞察を与え、ワイン醸造所のガイド付きツアーの終わる時には、サントリーニで最も有名なワインを試飲する機会が与えられるでしょう。

 続いて、島の最北端に行き、ユニークなイア村を体験します。カルデラの急な斜面にあり、あっと驚くほど小さな村で、多くの家屋は火山岩の間にあります。島にはかつては裕福な船員の大邸宅があり、そして鮮やかなパステルカラーの映像が浮かび上がってきます。狭い石畳の通りを散歩すると、多くの趣のある店舗に出会え、手作りの陶器、絵画、飾り石など、さまざまな珍しい収集品を提供します。崖の端に抱かれているようなカフェでは、ティラ島や火山の素晴らしい景色を楽しめます。船に帰る前にゆっくりと村を楽しむため自由時間があります。

注意:このツアーには、でこぼこのある地面や石畳の通りがあり、歩行がやや困難な場合もあります。急な上り坂があり、ティラ(フィラ)町の停留所からケーブルカーまで何歩か歩く必要があります。また、イア村には階段もいくつかあります。車椅子のお客様には適していません。移動の懸念がある人は、能力とスタミナの個人的なレベルを評価するように注意を払いましょう。帽子と平坦で快適な歩行用シューズをお勧めします。醸造所でワインを購入して家に持ち帰るお客様は、税関の規制により、ワインの配送に最大3ヶ月以上かかる場合もあります。

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Traveling by colorful local boat , you will be transferred ashore to Athinios where your air-conditioned motor coach awaits you.

Your visit at the winery will provide an informative insight into how wines were once produced in Santorini and at the conclusion of your guided tour of the wine cellar, you’ll be given the opportunity to sample some of Santorini’s most renowned wines.

Continuing on, you will next make your way to the most northern tip of the island to experience the unique village of Oia.  A spectacular small village situated on a steep slope of the caldera, many of its homes are found nestled in niches hewn into the volcanic rock. Still evident today are the large island mansions that were once home to wealthy seafarers of the past, creating a vibrant picture with their spectrum of pastel colors. As you stroll down the narrow cobbled streets, you’ll encounter many quaint shops that offer a varied and unusual collection of hand-made ceramic art, paintings and semi-precious jewelry. Cafes that seem to cling to the edge of cliffs offer spectacular views of Thira and the volcano. Free time is provided for you to leisurely enjoy the village before returning to the ship.

Please note: This tour includes moderate walking at times on uneven ground and cobblestone streets. There is steep uphill walk and several steps from the parking stop in Thira town to the cable car. Also there are several steps in the town of Oia village. It is not considered suitable for wheelchair guests. Those with mobility concerns are cautioned to evaluate their personal level or ability and stamina. Hats and flat, comfortable walking shoes are recommended. Those guests making wine purchases at the winery due for shipment to their howes are advised that due to Customs regulations, wine deliveries can take up to 3 months or longer.

クノッソス遺跡を3Dで

クノッソス遺跡を3Dで。Knossos in 3D。4時間。8:30

 クノッソス遺跡で神話上のミノス王の宮殿やその他の遺跡を探索しましょう。3Dソフトウェアを使い、数千年前にこの構造群がどのようにして出現したのか、教えてくれます。
 桟橋から出発し、簡単な内陸への運転があり、クノッソス遺跡に到着します。クノッソスはクレタ島の州都で、古代ミノス文明の中心地です。紀元前7000年、最初にこの地域に人々が住み始め、考古学的発掘で徐々にその壮大さは明らかになりました。ここに建っていた宮殿は、伝説上のミノス王の権力の座として知られています。このユネスコ世界遺産の遺跡は、かつての栄光を反映しています。
 1900年から1931年まで、英国の考古学者のアーサー・エバンス卿は、クノッソス宮殿とその周辺の発掘を指図しました。発見した宝物の一部を直接見ることができるでしょう。ミノア文明の王室、神殿、王室の別荘、仕事場、宴会場、その他の保存記念物があります。
 遺跡の一部は現代的な素材を使って再建されています。この遺跡群は古代にはどんな形で出現したのかがわかります。構造の詳細を確認するには、3D拡張の仮想現実ソフトウェアを使って、付属の電子タブレットを使うだけです。タブレットのカメラを遺跡にむけると何世紀も前に建っていた構造が出てきます。
 クノッソスを徹底的に歩いた後で、イラクリオンに戻り、各自の目を使って観光します。ブティックを訪ねたり、17世紀のライオンズ広場のモロシニ泉などのハイライトを探してから、桟橋に戻ります。

注意。このガイド付のツアーでは、不均一な舗道や敷地を約1時間半歩くことが必要です。またおよそ15段を通り抜けます。車椅子のお客様にはツアーはご利用いただけません。移動の懸念を抱えるお客様には、自分のスタミナと能力の範囲で参加するようにお願いします。天候に適した服、サンキャップ、サングラス、平坦で快適なウォーキングシューズが推奨されています。

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Knossos in 3D

Explore the excavated palace of the mythological king Minos and other ruins in Knossos using 3D software that shows how the structures appeared thousands of years ago.

After departing from the pier, you will enjoy a brief drive inland to Knossos, once the capital of ancient Minoan Crete. The area was first inhabited in the seventh millennium B.C., and its grandeur has been slowly revealed through archaeological excavation. The Palace that once stood here was known as the seat of power of the legendary King Minos, and the remains of this UNESCO World Heritage site reflect the glory of former times.

From 1900 to 1931, British archaeologist Sir Arthur Evans supervised the excavation of the Palace of Knossos and the surrounding area, and you will see firsthand some of the treasures that have been uncovered. There are royal quarters, shrines, a royal villa, workshops, banquet halls and other preserved monuments from the Minoan civilization.

Portions of the ruins have been reconstructed using modern materials to show how they appeared in ancient times. For a more in-depth view of the structures, simply use the provided electronic tablet with 3D augmented-reality software. Just point the tablet’s camera at a ruin, and you will see the structure as it originally stood centuries ago.

After a thorough walking tour of Knossos, you will returns to Heraklion to sightsee on your own. You might browse the boutiques or seek out highlights such as the 17th-century Morosini Fountain in Lions Square before returning to the pier.

Please note: The guided Portion of this tour involves approximately 1½ hours of walking over uneven pavement and grounds. There is also approx. 15 steps to negotiate. The tour is not available to wheelchair guests. Those guests with mobility concerns are
cautioned only to participate to the extent of their personal stamina and ability. Weather appropriate clothing; sun cap; sunglasses; and flat, comfortable walking shoes arc recommended.

10月24日夕食

 船旅1日目の夕食は6階のグランドダイニングルームで取った。

1日目の夕食(グランドダイニングルーム)

 上のメニューはOceania社のGrand-Dining-Dinner-Menuから取っている。社はグランドダイニングルームで毎日違うメニューを出しているが、私たちがお世話になったT&Tでは、その全部を日本語に直している。

 私たちの料理には、✓がついています。念のため、私はロブスターのビスクと牛肉の赤ワイン煮込み、妻はシチリア風野菜のサラダと鶏肉の香草焼き。ビスク(bisque)はフランス語のスープ。取った料理は全部、普通でした。

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アフタヌーンティー

https://www.covingtontravel.com/2016/02/16804meet-oceania-cruises-sirena/

 午後4時、15階のホライズンで、弦楽四重奏団の演奏を聞きながら、アフタヌーンティーが始まる。最初はトワイニングの紅茶バックから1袋を選び、お湯を注ぐ。

 次はお菓子を選ぶ。フィンガーサンドイッチ、ケーキ、スコーン、タルトなどです。

 それ以外は、全く何も起こらない。あとは上品なバロックを聴くだけ。

https://jp.oceaniacruises.com/experience/dining/afternoon-tea/

 なんかなあ。1時間まで時間はあるけど、45分で切り上げました。

 本格的に行うと、執事が出てきて、しずしずと紅茶をいれるはず。ところが、これを米国式にやるので、雰囲気も格式も違うのでは、と考えられました。

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サントリーニのCurrents


素晴らしいサントリーニ島は――紀元前1450年頃、世界で一番の狂暴な噴火で有名ですが――議論の余地はなく、ギリシャの島で一番ドラマチックな景観です。正式にはティラ島ですが、ラテン語のサントリーニ島という名前も残っています。ビーチは真っ黒で、無骨な景色、衝撃的なカルデラ(噴火口)などは、キクラデス諸島ではなくカナリア諸島に似ています。白亜の教会や崖上の家々は魅力的です。

白壁の村々は切り立った崖の上にあり、またエーゲ海は信じられないほど青く、カルデラは数千年前に崩壊した火山で形成されています。サントリーニ島は神々が生まれた土地だという神話がありますが、それも不思議ではありません。その州都フィラはカルデラの頂上にあり、村は和気藹々です。フィラへ移動するにはケーブルカー、ロバ、歩行の3つだけで、友好的なカフェや店舗、現代ギリシャの島の建築がある町は、石畳の迷路です。一方、イアの街は美しく、比類ない夕日で有名です。庭園、ブドウ園、教会、洞窟を探索しましょう。これらのビーチは雄大ですが、しかし、ゆったりとしています。赤、白、黒、金色と色鮮やかな光景は、世界で一番美しい岸辺です。自然と村の生活が調和した、この華麗な島を探索しましょう。

これは自然美を愛好する人の島でもあります。太陽を楽しむ人はそのビーチだけを好むのではありません。一番の景色は、カルデラに接する切り立った崖です。カルデラは島の中心が基本的に崩壊したときに形成されたもので、岩石、溶岩、軽石の崖の多彩な地層に地質学者は驚嘆します。カメラを持ち、準備をして、地球の動きを感じましょう(おそらく文字通りにそうなります。サントリーニ島の最新の大地震は1956年でした。最近では2009年6月26日に地震は起こっています。)

サントリーニ周辺にある湾は、実際に世界最大の噴火口であり、3500年前にテーラ火山(いまだに活火山です)の大噴火がありました。また、一部の人々は、この湾は伝説では失なった都市アトランティスを覆い隠すためだと考えています。ここには想像力を働かせるあらゆるものがあります。1956年に地震が発生し、その後、テラ市、現代のフィラ市は完全に再建されました。

サントリーニ島は食べ物の楽園でもあります。古くからの噴火による火山灰は島を肥沃にし、ここでの農産物の質は真の自然の奇跡です。 2000以上のレストランが60マイル(97キロ)の島に点在しています。食事は前菜(メゼデス)で始まります。白ナス、島特有のお菓子、ケイパー、チェリートマト、オオムギのラスク、ファバ豆のパティとディップ。挽肉はここの特産品で、 ムサカやナスやパティシオで包んだラムの挽肉、マカロニとベチャメルソースがある牛のひき肉を試してみてください。

サントリーニのブドウ園は実に見事で、多くの地元のワインは、アースティーコのブドウから得て、新鮮な白ワインになります。ナイケテイは新鮮でも、もっと強力です。驚くほど熟成した赤ワインでは、ブドウとしてマヴロトラガノを試してみてください。サントリーニ島のショッピングは楽しく麗々しく、店舗は賑わい、民芸品、手工芸品、皮革、布製品、ワインでいっぱいになります。イアの市場は本物のギリシャ産で、もっぱら地元の人がやってきます。フィラでは多くの土産物があり、豪華な小物を買うのに最適な場所です。

Spectacular Santorini– scene of one of the world’s most violent volcanic eruptions around 1450 BC — is inarguably the most scenically dramatic of all the Greek islands. Officially the island is Thira, yet the Latin name of Santorini persists. With its pitch-black beaches, rugged landscape and stunning caldera (volcanic crater), it’s more akin to one of the Canary islands than the Cyclades, though its whitewashed churches and clifftop houses score highly in the charm stakes.
White-washed villages cling to cliff sides over the unbelievably blue Aegean Sea on this caldera, the ring formed by a collapsed volcano thousands of years ago. No wonder myths claim Santorini as the birthplace of gods. Its capital, Fira, is a welcoming village nestled atop the caldera. Accessible only by cable car, donkey or plenty of walking the town is a cobbled labyrinth of friendly cafes, shops and contemporary Greek island architecture. The town of Oia is just as beautiful, hailed for its unmatched sunsets. Explore its gardens, vineyards, churches and caves. Beaches here are dramatic, yet relaxing. Colored shores of red, white, black and gold are easily amongst the world’s most beautiful. Explore this brilliant island where nature and village life mingle in harmony,
This is the island for lovers of natural beauty, though sun seekers may not fancy its beaches. Best views are from the cliffs bordering the caldera, which was formed when the center of the island basically collapsed into itself. Geologists marvel at the cliffs’ multi-hued strata of rock, lava and pumice, so take your camera and be prepared to feel the earth move (perhaps even literally — Santorini’s most recent major earthquake was in 1956, although there was one nearby as recently as June 26, 2009.
It’s worth remembering that the bay surrounding Santorini is actually the world’s largest volcanic crater, created 3500 years ago by a massive eruption of the Thera volcano (which is still active). The bay is also believed by some to conceal the legendary lost city of Atlantis. There’s plenty here to set your imagination working. even though the modern-day city of Thira, officially Fira, was completely rebuilt after an earthquake in 1956.
Santorini is foodie paradise. Volcanic ash from eruptions throughout antiquity have fertilized the island, so that the quality of produce here is a genuine wonder of nature. More than 2000 restaurants dot the 60 mile (97 kilometer) island. Meals start with mezethes, small appetizer plates. Sample white eggplant, a sweet variety unique to the island, capers, cherry tomatoes, barley rusks, and patties and dips made of fava beans. Minced meat is a specialty here. Try moussaka, minced lamb with eggplant or pastitsio, minced beef with macaroni and bechamel sauce.
Santorini’s vineyards are superb. Most local wine comes from the Assirtiko grape, a fresh white. Nykteri is just as fresh, but more potent. For a phenomenally aged red, try the Mavrotragano. Shopping is a fun, flashy affair in Santorini, Shops are boisterous and can be packed with folk art, handcrafts, leather, fabric goods and wine. In Oia, markets are authentically Greek and cater mostly to locals. Fira has more souvenirs and is the perfect place to buy a luxury trinket or two.

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サントリーニの連絡船
午前8時から島に行きたいお客様は、目的地係の係員からリビエラのラウンジで、色付きの乗船券を入手します。ラウンジで待ち、その後 デッキ4にある出入口に向かいます。歩行困難な場合を除き、階段を使用して連絡船の乗降口に向かいます。注意。オセアニアの寄港地ツアーはすべて、アティニオス港に着岸します。個別の手配があるか、町を個別に訪れたいと思うお客様は全員フィラ町に着岸します。色付き券は個別のお客様全員に必要であり、その後、クルーズ管理者が構内アナウンスとして「乗船券使用可」と発表します。これは、大多数のお客様が降りた後で行われます。連絡船はその後、連続的に船と岸を結び、出発は約30分ごとです。

TENDER SERVICE IN SANTORINI
Guests wishing to go ashore from 8:00 am must obtain a colored tender ticket in the Riviera Lounge from a member of Destination Services. Please wait in the lounge until directed to the gangway on Deck 4. Unless you have difficulty walking, please use the stairs to gain access to the tender embarkation platform. Please Notes: All Oceania shore excursions will be tendered to Athinios port. All guests with independent arrangements or wishing to visit the town independently will be tendered to the town of Fira. Colored tender tickets are required for all independent guests until the time that the Cruise Director makes an “open tendering” announcement over the public address system. This will be done once the majority of guests have disembarked. Tenders will then operate on a continuous basis from the ship to shore and return; however the time between tenders is approximately every 30 minutes.

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参考までに
ロバの道は歩行者が歩くのにはお勧めできません 。ロバに乗る観光客が使う道と同じ道であるからです。ロバは桟橋とフィラの間で行き来して、ロバの道には600段の階段があり、歩行者にとっては面倒で危険なもので、その道は滑りやすくて狭く、ロバと一緒に歩く場合には混雑する可能性があります。 また、この道には医療支援はありません。事故が発生した場合、誰も支援はできません。安全で快適なケーブルカーを使用してフィラまで行くことを強くお勧めします。

FOR YOUR INFORMATION
Guests are kindly informed that the donkey path is not recommended for pedestrian walking as it is the same path used by the tourists riding donkeys on the way up and down between the pier and Fira. There are 600 steps on the donkey path and it could become tiresome and dangerous for pedestrians. The steps on the path are slippery and narrow; and they will become crowded with donkeys. Also, there is no medical assistance provided on the path itself, so if an accident did occur, there would be no one to assist. We highly advise using the cable car to go up to Fira as it is safer and more comfortable.

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10月25日夕食(トスカーナ)

 北イタリアの家庭料理です。

トスカーナで夕食

トスカーナで夕食

オリーブオイルの多さ

オリーブオイルの多さ

 最初はオリーブオイル10数本が出て、どれかいいか聞かれた。ただし、これがお薦めです、といっていたので、それにした。隣のアメリカ人も同じように聞かれて、全く同じオリーブオイルを選んでいた。同じなのです。

 その次は、パン。パンが串焼きになってでている。しかし、あまりおいしくはない。
 長く長く細長いパン。これは日本でも出ている。

トスカーナのパン

トスカーナのパン

 他に、まるごとのニンニク球根が揚げてあり、上部分は捨てて、下部分を出している。へーっと思うが、米国式、それともイタリア式? 普通はアメリカ式なんでしょうね。

ニンニク球根

トスカーナ

トスカーナ

トスカーナのメニュー

トスカーナのメニュー

トスカーナのメニュー1

トスカーナのメニュー2

 前菜とメインを1つずつ食べる。

 アスパラガス、イタリアハム、チーズ、野菜の盛り合わせ。

アスパラガス、イタリアハム、チーズ、野菜の盛り合わせ。

アスパラガス、イタリアハム、チーズ、野菜の盛り合わせ。

 ロブスターのリゾット

ロブスターのリゾット

ロブスターのリゾット

 スカロピーネ。仔牛の薄切り肉にワイン風味のソースを添えて。Scaloppine di Vitello a Modo Tuo. [Scaloppini of Veal Medallions prepared in sauteed in Aged Marsala Wine sauce]

コストレッタ。ベーコン巻のコロラドラムチョップ。Costolette d’Agnello avvolte nel Pancetta Toscana. [Roasted Pancetta-Wrapped Colorado Lamb Rack served over Traditional Roasted Potatoes perfumed with Garlic and Rosemary]

コストレッタ。パンチェッタをラム肉で包んで焼いたもの

コストレッタ(あばら骨付き背肉)のコロラドラムチョップ。

 うーん、普通でした。

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10/25船長の手紙| ロードス島はキャンセル

 お客様
 わかっている通りですが、昨晩リビエラ号は医療緊急事態のためにピレウスに戻りました。残念ながら、当時利用できる選択肢はありませんでした。リビエラは真夜中にピレウスを出航し、当初の予定より6時間遅れ、またロードス島の航海では荒海を予想しています。 ロードス島で数時間の上陸はできません。 したがって、オセアニア事務局はロードス島への着港をキャンセルし、直接イラクリオンに進み、10月26日に予定通りに到着することにしました。
 ロードス島でのツアーのためオセアニアの券をお持ちの場合、お支払い方法に基づいて自動的に払い戻されます。何もする必要はありません。
 もしロードス港で私的な手配を済ませていた場合、コンシェルジュはツアー会社に連絡することをお手伝いします。
 私たちはお客様の安全を常に心がけています。
 個人的に見て至らない点もあるかと存じますが、ご理解いただきましてありがとうございます。

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Dear Guest,

As you are aware last night, Riviera had to return to Piraeus for a medical emergency.
Unfortunately there were no other options available to us at the time.
Riviera departed from Piraeus at midnight, with 6 hours delayed from our original schedule and expected rough sea conditions while sailing toward Rhodes; we will not be able to make up the time to allow you some time in Rhodes. Therefore the Oceania head office has decided to cancel our call to Rhodes and proceed directly to lraklion, where we will be arriving as per schedule on October 26th.

If you are holding Oceania tickets for any tours in Rhodes, they will be automatically refunded based on your method of payment and there is no need for you to do anything further.

If you had made private arrangements in the port of Rhodes, our concierges will be happy to help you contacting your private tour operators.

The safety of our guests is always our primary concern.

We apologize for any personal disappointments and we thank you for your understanding.

入浴と就寝ー身障者の外国旅行

 私たちの滞在はペントハウスで、他のペントハウスと全く変わらない。

https://www.tripsavvy.com/oceania-cruises-riviera-cabins-and-suites-991376

 上図と下図のカーテンはこれ以上横に大きくはならない。ただの飾りです。また、ベッドの前のテーブルの花は生きた花でした。蘭なので長持ちする。

内部の絵。会社のパンフから

 バスは一見する限り問題なく動くと思えるが、ここに問題があった。

長すぎるバス

 風呂は長すぎるのだ。日本人がはいると、頭から足の爪まで真っ直ぐに潜るだけの長さがある。つまり、半身不随の私にとっては、万が一、横になると、立てない。手すりも手が届かない。浮力があって、初めて立てる。したがって、十分お湯を入れないとだめなのである。節水しょうと思っても、できない。

 シャワーも問題で、栓が3つあったのだが、私は下しか向けないので3つあるとわからなかった。上部の栓は天井からのシャワー、下部はシャワーヘッドからのシャワー、中部はお湯の温度を決めるものである。

 また、ベッドが高すぎると、のぼれない。今回はのぼれました。

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オーシャニアのリビエラ(船内図)

ホライズン

ホライズン。4時から1時間はアフタヌーンティー。夜はバー。

バリスタス

バリスタス。喫茶店。

バリスタス

バリスタスの隣にはお菓子

トスカーナ

トスカーナ。イタリアの家庭料理。

プール

プール

テラスカフェ

船内のテラスカフェ。朝昼晩のバイキング料理。

テラス カフェ

船外のテラス カフェ。

ウェーブズ グリル

ウェーブズ グリル。ハンバーガーとホットドッグなど。

エグゼクティブラウンジ

エグゼクティブラウンジ。

グランドダイニングルーム

グランドダイニングルーム。フルサービスの料理。

ロビー

ロビー

ステージ

ステージ。ショーで集まる場合もあり、また、寄港地ツアーの前でもここに集合。