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飯田橋分水路工事(写真)ID 14812〜15 昭和52年

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」で、ID 14812-15は昭和52年(1977年)、飯田橋分水路の工事を撮影しました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14812、飯田橋分水路工事、昭和52年

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14813、飯田橋分水路工事、昭和52年

 神田川沿いの目白通りを東向きに撮影しています。ID 14812は右端に「石切橋」の交差点表示と信号機。左の先に石切橋があり、神田川を渡っています。目白通り沿いには写真奥に向けて「三菱石油」「共立」の看板。さらに奥のビルの「◯AN」は、ID 14813の「TO」と併せて「TOPPAN」(凸版印刷)でした。
 首都高速道路はT型橋脚で、「非常駐車帯」の出っ張りが路面を覆うコンクリートに影を落としています。分水路の工事が終わったあとでしょうか。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14814、飯田橋分水路工事、昭和52年

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14815、飯田橋分水路工事、昭和52年

 ID 14812-3とは逆で西向きの撮影です。首都高のT型橋脚は右側が長く、神田川の上にせり出しています。ID 14815は手前の交通信号のある橋橋を自動車が渡っていて、これは「古川橋」です。さらに奥に向けて「掃部かもんばし」と「はなみずばし」と「江戸川橋」と続きます。

 ID 14814の左に「三菱銀行」の江戸川橋支店の看板があります。この支店は2020年10月26日に統合(廃止)され、現在は三菱UFJ銀行神楽坂支店内です。

飯田橋分水路工事(写真)ID 14805-11 昭和52年

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」で、ID 14805-11は昭和52年(1977年)、飯田橋分水路と高速5号池袋線飯田橋入口の工事などを撮影しました。

 当時は飯田橋分水路はまだ100%はできていません。完成すれば下図のようになります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14810 飯田橋分水路工事

 下図のように地下鉄の上に既存の分水路があります。この左側に新しい分水路ができつつあります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14811 飯田橋分水路工事


 当時は高速道路5号(池袋線)の飯田橋入口と料金所も新たに作っていました。左側には首都高の道路、その下に見えませんが神田川、右側には目白通り、右の遠くに飯田橋の立体交差点などが見えます。コンクリートがある地下に分水路が1本新たに追加されます。橋脚にいる作業員は合わせて4人、舗装上にいる人は1名です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14805 飯田橋分水路工事

 飯田橋料金所(飯田橋入口)に登る道路は最初には曲がっています。

飯田橋料金所の道

 飯田橋料金所に近くなり……

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14806 飯田橋分水路工事

 さらに近くに来ました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14807 飯田橋分水路工事


 別の場所ですが、ここについて考えてみます。首都高のT型橋脚が右奥へ伸び、神田川と橋が見えています。左側の目白通りに沿って建築中の建物には「安全第一 東武建設」の看板。そのすぐ右下には「飯田橋ハイツ」と読めます。飯田橋ハイツは1977年(昭和52年)完成なので、時期も符合します。
 つまり、写真に見える遠くの橋は西江戸川橋で、次の橋との距離が最小である小桜橋に撮影者はいるのでしょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14808 飯田橋分水路工事

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14809 飯田橋分水路工事