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飯田橋分水路工事(写真)ID 14805-11 昭和52年

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」で、ID 14805-11は昭和52年(1977年)、飯田橋分水路と高速5号池袋線飯田橋入口の工事などを撮影しました。

 当時は飯田橋分水路はまだ100%はできていません。完成すれば下図のようになります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14810 飯田橋分水路工事

 下図のように地下鉄の上に既存の分水路があります。この左側に新しい分水路ができつつあります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14811 飯田橋分水路工事


 当時は高速道路5号(池袋線)の飯田橋入口と料金所も新たに作っていました。左側には首都高の道路、その下に見えませんが神田川、右側には目白通り、右の遠くに飯田橋の立体交差点などが見えます。コンクリートがある地下に分水路が1本新たに追加されます。橋脚にいる作業員は合わせて4人、舗装上にいる人は1名です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14805 飯田橋分水路工事

 飯田橋料金所(飯田橋入口)に登る道路は最初には曲がっています。

飯田橋料金所の道

 飯田橋料金所に近くなり……

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14806 飯田橋分水路工事

 さらに近くに来ました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14807 飯田橋分水路工事


 別の場所ですが、ここについて考えてみます。首都高のT型橋脚が右奥へ伸び、神田川と橋が見えています。左側の目白通りに沿って建築中の建物には「安全第一 東武建設」の看板。そのすぐ右下には「飯田橋ハイツ」と読めます。飯田橋ハイツは1977年(昭和52年)完成なので、時期も符合します。
 つまり、写真に見える遠くの橋は西江戸川橋で、次の橋との距離が最小である小桜橋に撮影者はいるのでしょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14808 飯田橋分水路工事

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14809 飯田橋分水路工事

首都高速(写真)新小川町 昭和44年 ID 12776-79

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12776-79は、首都高速道路5号線(池袋線)の飯田橋出入口付近を昭和44年9月に撮影したものです。備考では「新小川町付近高速道路下」となっています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12776 新小川町付近高速道路下

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12777 新小川町付近高速道路下

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12778 新小川町付近高速道路下

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12779 新小川町付近高速道路下

 5号線は1969年(昭和44年)6月27日、西神田出入口から護国寺出入口までを供用開始しました。
 この写真は開業から間もない時期のものです。高所からの撮影で、おそらく飯田橋交差点(下宮比町)の東海銀行飯田橋支店の建物、現在の飯田橋御幸ビル(1966年=昭和41年5月竣工)から北の方角を見下ろしたのでしょう。
 目白通りが奥に延びています。ここには都電15系統が走っていましたが、1968年(昭和43年)に廃止され、軌道も見えません。
 首都高は神田川の上に建設されました。画面左に曲がる急カーブは「大曲」と呼ばれる場所です。手前から3本目の橋脚にかかる橋が「隆慶橋」です。その右側、高架の向こうに首都高から下りてくる「飯田橋出口」があります。
 一方、目白通りの奥に首都高が白く光って途切れている部分があります。ここは飯田橋入り口の予定地ですが、実際に建設されたのは昭和52年(1977)ごろでした。ID 12215-16に工事中の様子があります。
 手前のビルには写植・フォント大手の「モリサワ」の大きな看板。経営理念は『文字を通じて社会に貢献する』こと。デジタルフォント(日本語ポストスクリプトフォント)が有名です。本社は大阪で、大正13年に設立。この下宮比町15-5は昭和44年からの東京支店です。
 目白通り沿いの少し先のビルは「中央印刷」。大曲の向こうの「TOPPAN」は文京区の会社で今は「TOPPANホールディングス株式会社」、昔は凸版印刷株式会社と呼んでいました。本社は東京都台東区で、創業は明治33年。事務所は文京区水道1-3-3。総合印刷会社です。
 いずれも印刷関係の企業で、神田川流域が印刷・出版で発展した歴史を感じさせます。