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神楽坂の地図と由来

文学と神楽坂

 神楽坂の地図と、路地、通り、横丁、小路、坂と石畳を描いてみました。

材木横丁 和泉屋横町 から傘横丁 三年坂 神楽小路横 みちくさ横丁 神楽小路 軽子坂 神楽坂通り 神楽坂仲通り 芸者新路 神楽坂仲坂 かくれんぼ 本多横丁 見返り 見返し 紅小路 酔石 兵庫 ごくぼそ クランク 寺内公園 駒坂 鏡花横丁 小栗横丁 熱海湯階段 見番横丁 毘沙門横丁 ひぐらし小路 藁店 寺内横丁 お蔵坂 堀見坂 3つ叉横丁

名前の由来は……
軽子坂 軽子がもっこで船荷を陸揚した場所から
神楽小路 名前はほかにいろいろ。小さな道標があり、これに
小栗横丁 小栗屋敷があったため
熱海湯階段 パリの雰囲気がいっぱい(すこしオーバー)。正式な名前はまだなし
神楽坂仲通り 名前はいろいろ。「仲通り」の巨大な看板ができたので
見番横丁 芸妓の組合があることから
芸者新路 昔は芸者が多かったから
三年坂 迷信から。神楽坂からはちょっと離れています
本多横丁 旗本の本多家から。「すずらん通り」と呼んだことも
兵庫横丁  兵庫横丁という綺麗な名前。兵庫町とは違います
寺内横丁 行元寺の跡地を「寺内」と呼んだことから
毘沙門横丁 毘沙門天と三菱東京UFJ銀行の間の小さな路地
地蔵坂 化け地蔵がでたという伝説から


16/3/13⇒20/8/6⇒21/6/16⇒21/9/23

記憶の中の神楽坂(2)

神楽坂3~4丁目辺り

1984年 住宅地図。

三善(みつよし)(料理屋)
某大企業のグルメの社長さんが昔こっそりお忍びで食べに来ていてお気に入りだったそうです。先日久しぶりに神楽坂に来たので行ってみたら「石かわ」に変わっていた。入ってみたら、こちらもおいしくて「やっぱり神楽坂はいいね」と思われたそうです。
✅「石かわ」は最初に(2004年頃?)神楽坂仲坂に居を構えていました。現在は毘沙門横丁。

福島ピアノ店(ピアノ専門店)
きれいなピアノを並べた、高級なピアノ専門店がありました。とても感じが良く上流社会の匂いがしましたね。
✅最初は福島ピアノ店だけ。次に1階はジョンブル、2階はピアノ店に。その後、ピアノ店がなくなり、2002年以前には既にジョンブルも閉店していたようです。現在「ロッキー カナイ 神楽坂店」(大衆酒場)「小浜水産」です。

ジョンブル(喫茶店)
30年ほど前、矢来町の友人宅を訪れた帰りによく入ったのが「ジョンブル」。ドライカレーと食後のコーヒーがおいしくて、ひと息つくのにいい場所だった。背の高いご主人がエプロン姿でよく客に話かけていた。店内は少し暗かったけど、その暗さがちょうどよかった。
✅「東京みてあるき地図」(昭文社、昭和59年)では「50種のコーヒーをお好みによって出す本格派で、2000円也のコーヒーもある」。書家のマスターに詩人のママという異色の組み合わせ。やがて喫茶店からレストランになりました。

小林信彦「新版私説東京繁昌記」 http://kagurazaka.yamamogura.com/new_sketches/神楽坂の写真/ https://www.enjoytokyo.jp/kuchikomi/100057/?__ngt__=TT1238cdfb7003ac1e4ae0321Neq0woK0azXqosy0weVnJ

五条(喫茶店)
1、2階のフロアがとてもきれいなお店でした。
✅おそらく五条ビルでしょう。左に袖看板「SUNTORY BAR 五条」とあります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8020 30年代

万平(すき焼き)
ちょっと陰気な柳が目印だった「万平」。名物のおばあちゃんは、四角いカウンターの中で、若かった文学青年たちを相手に、男女の粋な話をいろいろとしてくれた。確か早稲田の坪内逍遥先生の最後の講義を、着物をぱりっと着て、講堂の最前列で聞いたと自慢していた。20代で学生でもなかったけどね、粋だったね。元気で楽しいおばあちゃんだった。ビルになった時は、早稲田通り側に、檜の風呂を作ったのは有名な話だけど…。
✅「おでんやすき焼、荼めしなどがうまい」と「東京みてあるき地図」(昭文社、昭和59年)。「ちょっと陰気な柳」はID 6-7で。現在は「万平ビル」から「クレール神楽坂」。万平ビルの3階に移動すると檜風呂も置かれた。また、2階の「あまくさ」(居酒屋)は万平と同じ吊り看板がある。

小林信彦「新版私説東京繁昌記」http://kagurazaka.yamamogura.com/new_sketches/神楽坂の写真/

神楽坂青果店(八百屋)
その時季の出始めのものが店先に並んでいて、旬のものはもちろん、高級でめずらしいものがそろっていたのを覚えているけど、それも料亭が近くにあったから他の八百屋とは違っていたのかもしれないわね。
✅こまった。この店は「神楽坂フーズガーデン」として現存し、最初は芋を焼いて売ったのが当たり、次第に商品構成が変わったようです。「ビルのオーナーでもあるので生き残っている」とも。

キムラヤ木村屋(パン・菓子)
明治時代からつづく老舗中の老舗。銀座本店と縁戚関係にあって、名物の酒種あんパンをはじめ、クリームパン、マロン、チーズクリームなどとてもおいしかった。お店のおばさんや若夫婦もとても品があって気持ちがよかった。新作メニューのナッツの入ったのや煮タマゴの入ったのも好きでした。残念の一語です。
✅こまった。「キムラヤ」スーパーは6丁目、こちらは正しくは「木村屋」です。銀座木村屋の初代の娘が神楽坂の木村屋に。創業は明治39年(1906)、閉店は平成17年(2005)なので、100年ほど存続。なお「キムラヤ」として「木村屋」店が使っていた場合もありました。

テレビ番組「気まぐれ本格派」から。

銀座木村屋総本店の分店一号を表す証書。後ろに見える店の看板の題字は山岡鉄舟。平松南編「神楽坂まちの手帖」第8号、2005年。けやき舎。

茂木書店(書店)
まちの普通の本屋さんだと思っていたら、ポケットサイズの国語辞典を出版していたので驚いたよ。
✅美容室ニューマヤ以前の店舗

ジョウトーヤ(果物店)
戦前は、毎日毘沙門天辺りにバナナの叩き売りを出していた人が、神楽坂が気に入って果物屋を開業した。
✅ジョウトーヤはここで。

塩瀬(和菓子)
築地明石町の有名な老舗の支店があった。来客用の上等な和菓子は塩瀬で買ったけど、揚げ煎おかきのような庶民的なものもおいしかった。
✅こまった。塩瀬は明石町で、築地の隣町。
揚げ煎 揚げて作るせんべい
おかき 餅米を原料とした菓子。なまこ餅などの餅を小さく加工し(欠き)、乾燥させたものを表面がきつね色になるまで炙った米菓

鳥忠(居酒屋)
地元民が普段着ですごせるこの店は、京都で知り合った老舗の友人との再会にぴったりだった。一人でも気負いなくくつろげる店だった。こういう「普通」な店が神楽坂から消えたのは残念で仕方がない。
✅「『安価でいい料理を』という大衆割烹の正しい姿がここにある』と神楽坂宴会ガイド(牛込倶楽部、1999年)

福鮨(寿司)
ご主人の福田さん北海道岩内町の出身。昨年暮れ57歳の若さで急逝した。座席8人の小店。が、そのネタケースはどの店にも負けぬ長さ。ネタは新鮮で、値も張った。が、満足度120%。噂を聞いて時の総理大臣も来店されるほど。福田さんは咽喉ガン手術のため言葉が不自由。それを引き取って、奥サマが通訳。かいがいしくお世話もし、愛想よく素敵な女性。あの豊麗美麗な鮨が二度と口にできなくなったことは、口惜しい限りである。
✅遠政の閉店後に建ったビルの店子でした。

海老屋(そば屋)
お店の前の自転車がすごかった。年季の入ったボディは鈍い光を放ち、フレームにぶら下がったぼろぼろの看板には海老屋の文字がかすかに見える。革のサドルはひびわれておじいちゃんの手みたいになっていた。この自転車がお店の味だった。

「そば處」が海老屋。http://kkb.la.coocan.jp/sampo/35/index3.htm

庄平(ビルマカレー)
ビルマカレーの店。チキンカレーが旨かった。会社の先輩と食べに行きました。

神谷(氷屋)
氷の固まりを買うときには、この店へ行った。夏の暑い時分や、風邪などの高熱の時にはお世話になった。
✅「軽子坂プロジェクト」の再開発で、御殿坂の升本本社の前に移転しました。今は閉店して建物も変わっています。

2016年までは神谷氷店。2017年は更地に。2018年からはマンション。

山本コーヒー(喫茶店)
楽山の場所 の隣りに昭和初期にあった。よく職人さんに連れていってもらった。
✅こまった。楽山の場所ではなく、隣りの「魚さん」の場所だった。⇒山本コーヒー。博文館編纂部『大東京写真案内』(昭和8年、再版は1990年)では「うなぎの御飯」や「コーヒー」を売る店舗がありますが、見ると、小さく「山本」と書いています。

大東京写真案内。神楽坂。牛込見付から肴町に到る坂路さかみちが神樂坂、今や山手銀座の稱を新宿に奪はれたとは云ふものゝ、夜の神樂坂は、依然露天と學生とサラリーマンと、神樂坂藝妓の艶姿に賑々しい。

記憶の中の神楽坂(1)

文学と神楽坂

記憶の中の神楽坂

 サザンカンパニーからかつて小冊子「かぐらむら」がでていました。今はない店舗群を扱った「記憶の中の神楽坂」の短期連載もありました。その後、「記憶の…」はインターネットにも載りましたが、この小冊子は100冊で休止し、「記憶の…」も消えました。じーっと待っていましたが、どうもでる様子がなさそうです。そこで再度でるまで、ここに1~4丁目の一部をブログしておきます。全体の半分以下で、間違いもあります。

神楽坂1丁目~2丁目辺り

1980年 住宅地図。


おかむら森川(トンカツ)
神楽河岸の今は「なか卯」辺りにあった。ここのトンカツは天下一品だったんだよね。復活してほしいなぁ。20何年前にあそこで「これからフランス行きます!」って宣言した人、どうしたかなぁ…そういえば。(編集部注:神楽坂3丁目のお店とは別です)
✅こまった。まず「おかむら」は正しくは「森川」、「神楽河岸」は正しくは「神楽坂1丁目」。「なか卯」は正しく「トンカツは天下一品」は正しいらしいけど。⇒とんかつ森川

人形の家(純喫茶)
外濠沿いにあった間口の狭い純喫茶。ちょうど今の「きものの英」の場所にあって、いつもクラシックの名曲が店内に流れていた。ウエイトレスのお姉さんがきれいで、格調があった大人の喫茶店。昭和30~40年代、本と缶ピースをもって、この店のモーニング・サービスを朝食としていた。
✅現在は見返し横丁に移転⇒見返し横丁
きものの英 正しくは「きもの英」で、洗える着物の専門店
缶ピース 日本たばこ産業が製造・販売する紙巻たばこの銘柄で、1缶は50本入。

https://k-miyazaki.blog.ss-blog.jp/2007-12-13

佳作座(映画館)
外濠沿いにあって、洋画の名作をよく観ました。お茶の水界隈の学生たちにとって、絶好の名画座でした。チケット売り場の裏が「ミッシェルズ」という喫茶店があって上映前の半端な時間をここでコーヒーをすすって過しました。
✅パチンコのオアシスにかわった。⇒佳作座

田原や(フルーツパーラー)
氷メニューが豊富でした。美味しかったですよ。ソフトクリームが美味しくて、それを使ったパフェも絶品!甘いものが苦手な人には小ぶりの丸パン3つに違った具をはさんだバンズセットというのが人気でした。当時の私は、お昼のお弁当を食べて、夕方それを食べて、家でまた夕食を食べるという食い気ばかりの高校生でした。(そうそう、そこの氷が独特で、名前も変わっていて、スノーハワイアンっていったかな?)
✅1丁目南東の2番目の店舗。戦前からあったようだ。⇒田原屋

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 42 神楽坂入口から坂上方向、着物の女性たち

神楽坂メトロ(映画館)
昭和20年代の後半、洋画3本立ての劇場は映画少年にとってはたまらない夢の殿堂だった。今でもそこで観た「第三の男」のチターの音が耳の底にこびりついている。
✅「神楽坂メトロ」の写真は⇒ここで。最初の図は間違いを避けるために橙色で。
チター 弦楽器。ドイツ南部、オーストリア、スイスなどで使用。

https://graphic.nobody.jp/musical_instruments/zither.html

軽い心(喫茶店)
クラブ活動で遅くなり日も落ちて、飯田橋の駅あたりから見える神楽坂の街が夜の賑わいを見せ始める頃、明るい時間には全く気付かなかった“軽い心”という紫色のイルミネーションが目に鮮烈でした。
✅神楽坂メトロから軽い心にかわりました。図は赤色で。

のりもの倶楽部(模型・書籍)
今は市ヶ谷に移転。通りに面した窓辺には、飛行機や電車の模型が並び、独特の雰囲気。半地下に階段を下りると突然「暗くないおタクの世界」が展開しているのに感動した覚えがある。唯一感のあるところが、神楽坂らしい。
✅「軽子坂田中ビル」の半地下テナントから市ヶ谷に。しかし、2017年、32年間続いてきたのにここも閉店

パール(ビリヤード)
理科大に行く路地に入って、最初の角を右にまがったところにあったビリヤード。「ハスラー」という映画が人気だった頃で、パールのご主人が手ほどきもしてくれた。3クッションが1台、4つ玉が2台、ポケットが1台あった。
✅パールは結城ビルにあった。現在も結城ビルは同じ。
3クッション ポケットのない大台を使い、球は通常3つ、プレーヤーが撞く手球を他の2つの球に当てる、難易度の高いゲーム。
4つ玉 ポケットのない中台を使い、球は通常4つ、プレーヤーが撞く手球を他の2つの球に当てる。
ポケット 中台を使う。手球1個に対して的球9個をいかに早く落とせるかを競う競技

Bar kagura(カフェ・バー)
バーだけど、ランチもやっていて、カフェ飯的なワンプレートランチが、750円。仕事をしながらコピーライターの学校に行っていたとき、ここで、ひとり卒業式をしたのでした。飲めもしないカクテルをちびちびしながら一人で乾杯したっけなあ。人生の転機の記念となった、忘れられない思い出の場所。
✅新宿区郷土研究会の『神楽坂界隈』(1997)「神楽坂と縁日市」では、平成8年(1996年)に陶柿園の1軒下(南西)に「カフェテラス Kagura」があった。
カフェ飯 「カフェ」でランチなどとして提供する軽食

赤-2000年から現在
茶-戦後
緑-戦前

松ヶ枝(写真)昭和54年 ID 72, 73

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 72から73までは、昭和54年(1979年)1月5日、料亭「松ヶ枝」を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 72 料亭玄関

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 73 料亭玄関

 実は区の「松ヶ枝」の写真は多く、たとえば

新宿区『ガレキの中から、30年のいま…』昭和53年3月

 1974年12月の『サンデー毎日』では

 格子戸つくりの表門。その門の左の端に、木の札に『松ヶ枝』と格調高い筆跡で書き記された表札がかかっている。格調高いの道理、何とこの表札は、かの名画家・川端竜子の筆になるもの――などというのも、実は先入観のうち。(中略)
 驚くべき点の第一は、この料亭が何とユウレイに買われたものであるということ。
 ユウレイといっても、ユウレイ会社のことなのだ。室町産業と並んで、いまや知らぬ人とてない かの新星企業。設立発起人・田中角栄、資本金六憶円にして社員はゼロ、専用電話もないというこのユウレイ会礼が、一昨年の六月に、この商級料亭を買ってしまったというのだから、これはオドロキ。
 ユウレイの正体は、田中サンであるというのは日本の常識ですから、これすなわち、現職の総理大臣が料亭を貿って自分のモチモノにしちまったというオハナシ。お値段は、四億円とも、五億円とも。
川端竜子 かわばたりゅうし。日本画家、俳人。本名は川端昇太郎。生年は明治18年6月6日、没年は昭和41年4月10日。
新星企業 田中ファミリー企業群の1つ
田中角栄 実業家・政治家・建築士。第64・65代の内閣総理大臣。出生は大正7年5月4日、没年は平成5年12月16日。

 創業者はおたけさんで、創業は明治38年。お竹たけさんは民主党の代議士・三木武吉の妾さんです。神楽坂で一番の料亭だといわれていました。
 また『神楽坂まちの手帖』第12号(けやき舎、2006年)では

 松さん、竹さん、梅さんという三姉妹がいたことで有名。末娘、梅さんの切り盛りで全盛期を迎えるも、梅さんが亡くなったあと持ち主が変り、実質的な営業を終了。数年後に取り壊され、現在はマンションに変っている。

       ●思い出語り●
 私たちは出入りの業者ですから、正面からは入りませんよ。塀の右端のほうに勝手口があってね、そこから入ると庭に出るんです。そこで作業してると女中さんが出てくるから、花を渡して出てくる。それでも夕バコ銭ってくれるんですよ。懐紙にいくらか包んでね。あの頃の料亭さんはみんなそうだったけど、松ヶ枝は額も多かったからね。盆や正月になると更にはずむでしょう。仲間内で喧嘩になるんですよ。「俺が行く」「いや俺だ」ってね。(田口生花店、寺田司郎さん)
夕バコ銭 タバコ一箱分くらいのわずかの金。小遣いや心付けなどに使う。

 廃業後、松ヶ枝駐車場を4つに分割しました。

松ヶ枝駐車場跡。4つに分割。元はGoogle。

神楽坂1丁目(写真)昭和51年 ID 69から71

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 69から71までは、昭和51年(1976年)8月26日、牛込見附(現、神楽坂下)交差点から神楽坂1丁目などを撮ったものです。大きな左向きの標示はロール式の標識で、坂下から坂上までの一方通行を示し、時間によって進入禁止の表示と入れ替わります。夜間には照明も。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、電柱の上には柱上変圧器があります。また「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつ立っています。横断歩道はごく普通のもので、地下鉄の駅(飯田橋駅)が新たに出現しました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 67 飯田橋駅付近より坂上方向

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 70 神楽坂入口から坂上方向

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 70 神楽坂入口から坂上方向

神楽坂1丁目(昭和51年)牛込見附
  1. 牛込見附。歩行者専用道路 自転車を除く 12-13。歩行者道路。日曜休日の12-20。スプーン・フォーク・スープの標識
  2. ニューバリーパチンコ。
  3. 電柱広告「鮨・割烹 八千代鮨」(本多横丁にある)
  4. TAWARAYA。黒い看板と白の球。(フルーツパーラー 田原屋)
  5. 元祖 貸衣装 清水本店
  6. 生そば(翁庵)。は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。
  7. 中華料理 信華園
  8. 電柱広告「あまなっと」五十鈴
  9. 電柱広告「〇島歯科」
  10. 1丁目の田口屋生花店。五階建て
  11. 小栗横丁にいく通り
  12. 志満金。ビルではない
  13. 靴(オザキヤ
  14. 大島糸店2階が大島歯科
  15. 話し方教室。五条ビル(ヒデ美容室の隣で)
  16. ID 70で看板「株式会社 第○」
  17. ID 70で標識「坂通」の字の上に頭を出している半円は三菱銀行の看板
  1. 一方通行。
    自転車を除く。歩行者専用
    歩行者専用道路 自転車を除く 12-13。歩行者道路。日曜休日の12-20
  2. 足袋・ワイシャツ 赤井商店。入口上部にあった切り文字(立体文字)の店名はなくなっています。吊り看板の「公衆電話」とその下に2台の電話。右に佳作座の看板。2階建て。
  3. カレーショップ ボナ
  4. 皮膚泌尿科 婦人科 外科 内科。白十字診療所。ID 70では白十字マークも
  5. 紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店 コピーサービス
  6. 地下鉄 飯田橋駅。山田紙店が店を半分、出口として提供。
  7. FUJIYA 不二家洋菓子。不二家 コーヒーショップ
  8. 消火栓標識と消火栓広告「福屋不動産」。福屋不動産はせんべい福屋の裏手
  9. ビル「軽い心」。ネオン「今宵楽しく軽い心」
    3,4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック
  10. 山(一薬局)
  11. パチンコ(マリー)
  12. ニューイトウ(靴)

住宅地図。1976年

神楽坂1丁目(写真)昭和49年 田口重久氏

文学と神楽坂

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」第五章 新宿区 補-10 (11/15) 05-10-32-1 牛込見附交差点からは昭和49年(1974年)12月21日(土)に撮ったものでした。大きな左向きの矢印はロール式の標識で、坂下から坂上までの一方通行を示し、時間によって進入禁止の表示と入れ替わります。夜間には照明も。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、電柱の上には柱上変圧器があります。また「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつ立っています。横断歩道はごく普通のもので、地下鉄の駅(飯田橋駅)が新たに出現しました。外堀通りにはまた鉄板が覆っています。

1974-12-21 牛込見附交差点から。田口重久氏「歩いて見ました東京の街」

神楽坂1丁目(昭和49年)
  1. 有楽町線「飯田橋駅」。道路を開削、上に鉄板。埋め戻しは開業後。
  2. 看板「車両通行止め12~18 牛込警察署 新宿区」
  1. 牛込見附。歩行者専用道路 自転車を除く 12-13。歩行者道路。日曜休日の12-20。スプーン・フォーク・スープの標識
  2. ニューバリーパチンコ。Pachinko。上の看板イーグルボウル下宮比町に。
  3. 電柱広告「鮨・割烹 八千代鮨」(本多横丁にある)と(質)大久保
  4. TAWARAYA。黒い看板と白の球。(フルーツパーラー 田原屋)
  5. 元祖 貸衣装 清水本店
  6. 生そば(翁庵)。は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。
  7. 中華料理 信華園
  8. 1丁目の田口屋生花店がビルに。五階建て
  9. 小栗横丁にいく通り
  10. 志満金。ビルではない
  11. 靴(オザキヤ
  12. 大島糸店2階が大島歯科
  13. 話し方教室。五条ビル(ヒデ美容室の隣で)
  1. 大きな矢印。自転車を除く。
    歩行者専用道路 自転車を除く 12-13。歩行者道路。日曜休日の12-20
  2. 足袋・Yシャツ「赤井商店
  3. 「カレーショップ ボナ」
  4. 白十字医院
  5. 紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店
  6. 地下鉄 飯田橋駅
  7. FUJIYA 不二家洋菓子。不二家 コーヒーショップ。
  8. あんみつ。紀の善。切妻の屋根
  9. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  10. 上でビル「喫茶 軽い心
    3,4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック
  11. 陶柿園がビルに。昭和47年(1972年)3月に完成
  12. 「菱屋」が遠くに見える

 神楽坂仲通りの△は横断歩道の標識。その奥は「神楽坂通り/美観街」です。

神楽坂1丁目(写真)昭和48年 ID 67

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 67は、昭和48年(1973年)5月22日、牛込橋から神楽坂1丁目などを撮ったものです。中央の通りは早稲田通りで、中央帯はありません。渡辺功一氏によれば、昭和54年にここも逆転式一方通行になったといいます(『神楽坂がまるごとわかる本』けやき舎、36頁)。この通りの右側は神楽河岸、左側は神楽坂1丁目です
 街灯は円盤形の大型蛍光灯ですが、左側の街灯(写真では「同棲時代」の右前。4枚目の写真)だけが形が違っています。新宿区の予算ではなく、この場所は区境を越えて、千代田区でした。
 また、最前部の車道と歩道は、石畳でした。この時代の牛込橋はコンクリート製。平成8年に現在の鋼製の橋に架け替えられました。ID 68も同様です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 67 飯田橋駅付近より坂上方向

 最初は4階以上の高層ビルです。これこそ地元の方の協力がないとできません。

高層ビル

  1. 理科大
  2. 週刊大衆なので双葉ビル
  3. 理科大
  4. 1丁目の田口屋(花屋)ビルで5階建て。2丁目の田口屋は2階建て
  5. 大島ビル。1階は大島糸店。4階建て。竣工は1959年5月。
  6. 五条ビル。2丁目。竣工は1967年。
  7. 三菱銀行。3丁目。現在は三菱UFJ銀行。
  8. 「軽い心」のビル。2丁目。現在はカグラヒルズビル
  9. 丸金ビル。3丁目。神楽坂仲通り。1973年の住宅地図だと「金丸ビル」。現存しません。
  10. 川田ハイツ。3丁目。現在は「クレール神楽坂6」。1973年6月竣工、5階建て。芸者新道に面していて、上に行くほど床面積がすぼまります。
  11. 七福ビル。2丁目。1971年2月竣工。5階建て。足元に「神楽坂ゴルフガーデン」(緑の楕円)がありました。

84年 住宅地図。五条ビル、大島ビル、田口ビル。丸金ビル、川田ハイツ、七福ビル。

 では1丁目です。左から右に…

67 1丁目

  1. キッチン熊
  2. ボート場
  3. 街灯。赤い円。新宿区のものではない。
  4. もつやき、正宗。キリンビール。やなぎ
  5. 立喰そば。飯田橋
  6. 金鷹。ラーメン。(二鶴)
  7. 電柱に「とんかつ森川」
  8. とんかつ森川。白鷹。
  9. コーヒー77
  10. 東山酒蔵

 右側に電柱看板「洋装店 ナカノ」があります。現在は3丁目のナカノビル。

神楽坂1丁目(写真)昭和48年 ID 65

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 65は、昭和48年(1973年)2月、牛込見附(現、神楽坂下)交差点から神楽坂1丁目などを撮ったものです。大きな左向きの矢印は坂下から坂上までの一方通行を示し、街灯は円盤形の大型蛍光灯で、途中に「神楽坂通り」の標識があります。電柱の上には柱上変圧器があり、「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつできています。また、休日の歩行者天国が始まり、バリケード看板「歩行者道路 日曜祝日の12~18 牛込警察署」が出ています。なお、ID 65は「神楽坂入口から坂上方向」でも細かく見ています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 65

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 65 神楽坂入口から坂上方向。昭和48年2月。

神楽坂1丁目(昭和48年)
  1. 有楽町線。将来の「飯田橋駅」。道路を開削、上に鉄板。埋め戻しは開業後。
  2. 看板「歩行者道路 日曜祝日の12~18 牛込警察署」
  1. 牛込見附。車両通行止め。歩行者専用道路 自転車を除く 12-13。
  2. 電柱看板の斉藤医院
  3. パチンコ ニューバリー。
  4. 電柱看板の(質)大久保質屋
  5. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  1. 大きな矢印。車両通行止め。歩行者専用道路 自転車を除く 12-13。
  2. 足袋・Yシャツ「赤井商店
  3. 「カレーショップ ボナ」
  4. (白十字医院)
  5. 地下鉄入口の建築中のためこの時点では山田紙店はなくなっている。
  6. FUJIYA 不二家洋菓子。不二家 コーヒーショップ。ウロコ張りの洋館風。店の横が見えている
  7. あんみつ。紀の善。切妻の屋根
  8. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  9. 白く光るのは理容バンコックのサインポール
  10. 上でビル「軽い心
    3,4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック
  11. ニューイトウ(靴)
  12. 陶柿園がビルに。1年前の昭和47年(1972年)3月に完成した。
  13. 「菱屋」が遠くに見える。竣工は昭和42年か前年末。

牛込から早稲田へ

文学と神楽坂

 サトウハチロー氏が書いた『僕の東京地図』(春陽堂文庫出版、昭和15年。再版はネット武蔵野、平成17年)の「牛込から早稲田へ」です。生年は1903年(明治36年)5月23日。没年は1973年(昭和48年)11月13日。享年は71歳でした。

牛込から早稲田へ
 お堀のほうから夜になって坂をのぼるとする。左側に屋台で熊公くまこうというのが出ている。おこのみやきの鉄砲巻の兄貴みたいなものを売っているのだ。一本五銭だ。長さがすん、厚さが一寸、幅が二寸はたッぷりある。熊が二匹同じポーズで踊っているのが、お菓子の皮にやきついてうまい。あんこの加減がいゝ。誰が見たツて、十銭だ。
 白木屋はその昔の牛込会館のあとだ。地震後に、こゝで水谷みずたに八重子やえこが芝居をやったところだ。その先に木村屋がある。木村屋といえばパン屋だ。東京中に、この屋号のうちは何軒となくあるが、みんな銀座の店とは関係がない、こゝはそうではない。それが証拠には、GINZA DOTENとローマ字で書いてある。もう少し行く。左へ這入はいると寄席よせだ。僕が小さい時に、この寄席の突きあたりに青洋軒なるトツクニのタベモノをヒサグ店ありて、ことにオムレツなどのうまかッたことをいまでもおぼえている。この間通って、のぞいてみたら、そんなうちは影も形もなくなって、オムレツの代わりに女の子のお尻が、横丁へゆれてゆくのが見えた。
六寸一寸二寸 一寸は約3.03cm、二寸は約6cm、六寸は約18cm
GINZA DOTEN 英語は正しいですが、銀座のDotenは不明。「同店」か?
トツクニ 外つ国。外国。異国。「つ」は「の」の意の格助詞
ヒサグ 鬻ぐ。販ぐ。売る。商いをする。

待ってくれ、牛込で僕の好きなものはまだある。新小川町しんおがわまち花屋だ。新小川町なんていうより大曲おおまがりの方が早わかりだ。横浜植木会社の東京売店だ。こゝにスガヤ、、、君なる揚げ、、まん、、じゅう、、、みたいな青年がいる。僕は、花を買う時は、どんな時でも、こゝまで行って買う。スガヤ君のくれる花を持って行って恋人に、つれなくされたことはない。
 大曲へ来てしまったか! 電車でんしゃみちを早稲田へ行く。石切いしきりばし。――向こう側に橋本という鰻屋、こいつは有名すぎるほど有名だ。その隣の丸屋まるやのそば、こいつも有名だ。この二軒は小石こいしかわに属するが、ついでだからこゝに書いておく。左側が改代かいだいちょう。講談本だとムッシュウ・クラヤミのウシマツが住んでいたところだ。こゝにフタバヤというエプロン屋がある。これが大変だ、と言ったら諸君はおどろくだろう。だが、この家を大変だと感ずるのは僕ばかりだ、このフタバヤは僕の家の家主なのである。なアーンだ。
花屋 横浜植木は現在も神奈川県横浜市で営業中。1890年(明治23年)鈴木卯兵衛を代表者として「有限責任横浜植木商会」を創業。1913年(大正2年)4月、東京市牛込区新小川町に東京売店を開設。
電車道 路面電車が敷設してある道路。電車通り。ここは現在は目白通り。
橋本 文京区水道2-5-7にある鰻の「はし本」。創業は天保6年(1835年)。
丸屋 現在不明。
小石川 旧小石川区のこと。昭和22年以降は本郷区と合併し、文京区に。
ムッシュウ・クラヤミのウシマツ 暗闇の丑松。戯曲。昭和九年(1924)、六世尾上菊五郎が初演。一時の激情から殺人を犯した料理人丑松は、愛妻お米を親方四郎兵衛にあずけて江戸を立退いた。一年たって戻るときに、丑松は女郎になったお米に再会。四郎兵衛に騙され売り飛ばされたと事情を聞いても信じられず、激怒。お米が首を吊って死んだ後になって、やっと真実を理解した丑松は、非道に気づき、江戸へ帰るや四郎兵衛夫妻を殺し、何処ともなくのがれて行く。

六さんの途中下車|六浦光雄

文学と神楽坂

 昭和42年(1967年)7月2日発行の「サンデー毎日」です。
 六浦むつうら光雄みつお氏はここで「六さんの途中下車」を連載していました。氏は朝日新聞の嘱託漫画家で、細密な風俗漫画で有名でした。昭和38年、第9回文芸春秋漫画賞を受賞。生年は大正2年2月23日。没年は昭和44年6月12日。享年56歳。死因は脳出血でした。

 ドデン、ウイーン、チンジャラ、パラパラ、バタン、キュ。
 この音のヌシは、都電とクルマと、パチンコ屋と、その客をはやいとこオケラにするたくらみのホット・ジャズと、交通事故だ。むかしは人が倒れる音も、バターン、キューとのんびりしとったが、スピード時代のいまは、バタン、キュとのばさずにノビちまう。こちら牛込見付交差点。行く手には神楽坂がある。
 ドデン、パタンという現代の神楽バヤシのひびきのなかをオカメ、ヒットコ群衆が、ピーヒョロ行きかう。テンツクテンツクスッテンテン。物価高はテンをつき、庶民のふところはもはやスッテンテン。なのに右の空に「軽い心」というクラブのネオン。ハハノンキダネ。左の空にジュラルミンの星ひとつ。
 昔、ホシひとつの兵隊のとき、よくこの坂を通った。九段から戸山ヵ原へ行く通りミチだ。同年兵はほとんどフィリピンでパタン、キュと消えた。私って重い心になるとハラの虫がなく。神楽坂下の左手に「信華園」というシナソバ屋がある。この家のチャーシューはうまいねえ(チャーシューメン120円)。
 この店のすじ向かいに『紀の善』というしるこ屋がある。夏の甘味ではなんたって、、、、、氷アズキが一ばんだ。おしまいころのあのシタにのこるアズキの香がなんともいえんねえ。坂上、三菱銀行前のゲタ屋の横丁を右折して明治ビリヤードの角を左にはいると『おひで』というオサケ屋がある。剣菱180円。スイトン180円。
 本日は、話も横道にそれた。「おひで」での私の音は、キュキュ、ゴキーン。いろいろと申しわけない……
オケラ 所持金が全然ない人かないこと。元は博徒・すり仲間の隠語。
ホット・ジャズ モダンジャズ以前のジャズ演奏。黒人色が強く、即興を重視したものを漠然と指していう
のびる さんざんなぐられて動けなくなる。ひどく疲れてぐったりする。グロッキーになる。
ハヤシ 囃子。歌や舞踊,芝居,動作などをにぎやかにはやしたてる音楽やことば
ピーヒョロ トビ(鳶)の鳴き声。ピーヒョロ、ヒョロと鳴く。
テンツクテンツク 囃子の太鼓の音を表す語
スッテンテン 所有していた金や物などがすっかりなくなること
テンをつく 天を衝く。非常に高いこと。
ハハノンキダネ のんき節。歌の終わりに「はは、のんきだね」という囃子はやしことばが入る。大正7年(1918)ごろから流行した俗謡
ジュラルミン アルミニウム合金の一つ。軽量で強力で、航空機などの構造用材として使う。
ホシひとつ 二等兵(右図)
戸山ヵ原 戸山ヶ原。とやまがはら。現在は戸山ハイツ、国立国際医療研究センター、早稲田大学文学部などがある。
ハラの虫 腹の虫。空腹どきの腹鳴りを、腹中に虫がいて、それが鳴くと喩える
信華園 現在は三経第22ビル。翁庵と田口生花店との2店に挟まれた店舗
おひで この場所はわかりませんでした。

住宅地図。1965年

剣菱 剣菱けんびし酒造。本社は兵庫県神戸市東灘区。日本酒「剣菱」の蔵元
スイトン 水団。小麦粉の団子だんごを入れた汁物。

神楽坂1丁目(写真)昭和45年 ID 64

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 64は、昭和45年(1970年)3月、牛込見附(現、神楽坂下)交差点から神楽坂1丁目などを撮ったものです。大きな左向きの矢印は坂下から坂上までの一方通行を示し、街灯は円盤形の大型蛍光灯で、途中に「神楽坂通り」の標識と、藤の形の造花がたくさんあります。電柱の上には柱上変圧器があり、また「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつできました。横断歩道はここでは2本の直線だけですが、工事で一時的に消されていて、上の1本は自動車の停止線です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 64 神楽坂入口から坂上方向

神楽坂1丁目(昭和45年)
  1. Pachinco ニューバリーパチンコ。
  2. 電柱広告「鮨・割烹 八千代鮨」(本多横丁にある)
  3. 天井に〇RAYA(フルーツパーラー 田原屋)
  4. 清水本店
  5. 生そば(翁庵
  6. 中華料理 信華園
  7. 1丁目の田口屋生花店がビルに。五階建て
  8. パール。ビリヤード。小栗横丁にありました。
  1. 足袋・Yシャツ 赤井商店。吊り看板の「公衆電話」とその下に2台の電話
  2. 津田印店
  3. 原稿用紙 事務用品 山田紙店
  4. FUJIYA 不二家洋菓子
  5. 消火栓標識と消火栓広告「(ふ)とんのひしや(菱屋)」
  6. ビル「軽い心
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック

住宅地図。昭和39年 人文社 日本分県地図地名総覧