These two maps indicate the location of historical sites in the vicinity of Iidabachi and Yotsuya Stations. The sites offer vital insights about Tokyo’s history from the early modern to the modern period. The map on the left traces the path of early modem Japan’s “Five Routes,” which radiated out in all directions from central Edo’s Nihon-bashi Bridge, and indicates the location of the city’s entrance gates and post stations on its periphery. The second map is a jurisdictional map indicating the territories under the authority of the Edo City Governor. It shows that areas inside the Yamanate Line comprised the city center and that the city area extended over a vast space that stretched far east as present-day Kinshicho Station.
喰違(The Remains of Kuichigai Gate)外堀で唯一土塁を組み合わさせた門で、1612(慶長17)年に完成しました。現在も原形を確認できます。
赤坂門跡(The Remains of Akasaa-mon Gate)江戸城外郭門で、1639(寛永16)年に完成しました。石垣は一部現存し、福岡黒田家の刻印がみられます。
飯田橋周辺案内図
牛込駅(千代田区側)駅舎跡
牛込駅(千代田区側)駅舎跡 甲武鉄道時代、ここには牛込駅の出入口がありました。 現在でも、当時作られた駅舎の左右にあった石積み擁壁がそのまま残されており、見ることができます。 The Remains of Ushigome Station 石積み擁壁 高低差のある土地で土砂崩れを防ぐために設置し、石を積んだ壁。
牛込門枡形石垣跡の舗装表示 かって牛込門の枡形石垣があった位置が自然石舗装で表現されており、その大きさを体感することができます。 Remnants of Ushigome-mon Gate’s Stone Walls 枡形 ますがた。石垣で箱形(方形)につくった城郭への出入口。敵の侵入を防ぐために工夫された門の形式で、城の一の門と二の門との間にある2重の門で囲まれた四角い広場で、奥に進むためには直角に曲がる必要がある。出陣の際、兵が集まる場所であり、また、侵入した敵軍の動きをさまたげる効果もある。
石に刻まれた印
石に刻まれた印 かつて牛込門の枡形石垣を構成していた石垣石が移設展示されています。 枡形石垣の整備を担当した徳島藩蜂須賀阿波守の刻印とみられるものが確認できます。 Inscriptions on the Stone
江戸城外堀跡散策案内図
江戸城外堀跡散策案内図
散策モデルルート Aルート:「外堀散策ルート」Edo Castle’s Outer Moat
周囲14kmの江戸城外堀を史跡中心に巡ります。 This walk visits heritage sites along the outer moat’s 14-kilometer periphery Bルート:「江戸城内ルート」Edo Castle
牛込門から北の丸の田安門を経て旧江戸城本丸跡を巡ります。 Departing from Ushigome-mon Gate, this walk passes through the Northern Citadel’s Tayasu-mon Gate before visiting the remains of Edo Castle’s Inner Citadel. Cルート:「外堀水辺散策ルート」The Outer Moat Riverside Walk
神田川と日本橋川にある鉄道遺産などを巡ります。 This route visits sites along the Kanda and Nihonbashi Rivers relates to local railroad development.
マーガレット・プライス(Margaret Elizabeth Price)氏の「セクシーな日本」(NECクリエイティブ、2000年)です。氏は1956年、オーストラリア・メルボルン市に生まれ。1982年、毎日新聞社の「Mainichi Daily News」のスタッフライターとして働き、当時はNHK「バイリンガルニュース」や編集企画の方面で活躍。現在はオーストラリア・クイーンズランド州スプリングブルックに住んでいます。茶道歴は30年。
坂上の神楽坂5丁目です。右側には文房具屋の「相馬屋」があります。さらに空き地をはさんで「万長酒店」。左から差し込む一条の光は「地蔵坂」(あるいは「藁店」)を通ってやってきました。「電燈電力工事」は「火災保険特殊地図」だと「中河電機」です。街灯は神楽坂1丁目(写真)昭和20年代後半 ID 21, 23と同じ簡素なものです。電柱看板「歯科川島」は藁店にありました。